なみだ味ドロップ

榎木扇海

第1話 不思議な『ドロップ』

 わたしには、ちいさな『トクベツ』がある。

 ホントはひみつにしたらキレイなんだろうけど――――


***


 ある誕生日、小学校最高学年になったばかりの春のこと。

 桜をかたどったチョコレートを口に含むと、皆より一足先にオトナになった気がする。

優歌ゆうか、おいしい?」

ママが優しくわたしを覗き込んで尋ねた。

「うん!」

ほっぺについた生クリームさえ惜しいくらいに甘くって、頭の奥が きらきら パチパチした。


―――だからきっとそのときわたしは、まちがえて飲み込んでしまったんだと思う。

 甘い生クリームと、チョコレートの桜と一緒に、きらきら パチパチしたを。


***


 次の日の朝、喉に何かがつかえるような感じがして、咳き込んだまま起き上がった。

「けほっ、けほっ…」

パパが時々やるのを真似て胸を叩きながら咳き込んだ。

  きらきら パチパチ

視界の端っこで、何かが輝いたように見えた。

「―――だいじょうぶ?」

聞き馴染みのない、けれど優しく魅力的な声がした。

 そっと顔をあげると、人形みたいにキレイな顔した男の子がこっちを心配そうに見つめていた。

「―――え!?」


***


 サラサラの金髪に、とびきりキレイな海の色をした目。色白で華奢な体つきをしていて、まるで女の子のようだった。

 ノースリーブでボロボロのワンピースみたいな若葉色の服を着ていて、腰辺りで大きくて不格好なベルトをぐるぐる巻きにしていた。柄はうっすら黄色のストライプが3本入っている。

 太ももから膝にかけて唐草もようのような入れ墨が彫ってあり、長く分厚い革製のブーツを履いていた。

 右手首には木の実と、見たことないキラキラでできたブレスレットをつけていて、彼が動くたびにシャンシャンと鈴のような音がなった。

 しかし、なによりわたしの目が向かったのは、そのツンと尖った耳と虹色に光り輝く羽だった。


 目の前の男の子の姿は、昔見た絵本の妖精そっくりだった。


 優しくわたしの背中をなでる彼に、おそるおそる尋ねた。

「……ねぇ、あなた妖精?」

すると彼はにこぱっと笑い、「そうだよ!」と言った。

「ボクはラビィ。君は?」

「あ、…相原あいばら、優歌」

ラビィは人懐っこく笑った。

「よろしくユウカ!ドロップ、一緒に頑張ろうね!」

「う、うん……え?ドロップ?」

ドロップと聞いて、わたしは真っ先にさっき喉につまりかけていた何かを思いついた。――きらきら パチパチした何かだった。

 ラビィは少し驚いたような顔をして、幼いけれど特別優しいその声で言った。

「うん。さっき、舐めてみたでしょ?」

やっぱり、と小さくつぶやいて、のどにふれた。まったくなんて危ないことをしでかすんだ。

「それでね」

彼はゴソゴソと肩にかけている、使い古されてしなびた肩掛け鞄からガラス瓶を出した。瓶の中には透明の球体がころころ転がっていた。

「これは、ドロップの『もと』」

「ドロップの、もと?」

「うん。これを強い感情の下にさらすと、『感情ドロップ』ができるんだ」

ラビィはその小さな指でドロップのもとをつまみ、朝日にかざした。

「ユウカがさっき食べたのは、初めましての味。ボクが君に抱いた感情だよ」

「え……」

おもわずきゅっと眉根を寄せたその瞬間、彼が持っていた『もと』が強い光を放ち、キン、と金属を叩くような音ともに収まった。

 あまりのまぶしさに顔を覆っていた腕をゆっくりどけると、ラビィが顔をキラキラさせて手のひらを見ていた。つられてのぞき込むと、黄色か緑色なのかどっちともつかない色のドロップが転がっていた。

「え!?」

ラビィは気が高揚した様子で叫んだ。

「すごい!ユウカ、これは『困惑』のドロップ。初日からいきなり、しかもヒビ1つないドロップを独力で作り出すなんて……!ユウカ、君才能あるよ!」

興奮した様子で早口に言い切ると、ラビィはむりやりわたしの口に困惑のドロップを押し込んだ。

「ぅぐっ――いきなりなにするのっ」

  きらきら パチパチ

頭の奥で小さな熱い光が生まれ、一気にわたしを飲み込んでいった。

 困惑味のドロップは、ちょっとだけ甘くて、残りは全部激ニガだった。

 まさしく、今のわたしの気持ちみたいな。

 顔をしかめながらドロップを舐めるわたしを見てラビィは可笑しそうに笑った。

「あれ、『困惑味』はびみょうかな?それは悪いことしたね」

わざとらしく頭を掻くと、彼は微笑んですこし首を傾けた。最高にかわいい笑顔をして、わたしへ手を伸ばす。

「とにかくね、この瓶に入ってるドロップの『もと』、全部使い切ったら終わりだから、それまで仲良くしようね」

長いまつげが揺らめいた。可愛く微笑んだまま口元が、小さく動く。

「あ、一個『感情ドロップ』作ったら、もうおんなじ感情は使えないからね」

「―――え!」

そんなことなら、『初めまして』のドロップ、飲み込まなきゃよかった。

 きっと甘くて爽やかで新鮮で、とびきりきらきらでパチパチしてただろうに。


***


 ラビィは、わたしがどこでなにをしている時だろうが関係なく、ずっとついてきた。

 ふわふわふわふわ浮きながら、頭の上に座ってくる。重くはないけど、なんだかフクザツな気持ちになるからやめてほしい。

「ラビィ、頭の上から降りてよ」

「えー、やだなぁ」

「やだって……」

「あ、そんなことよりあれ。ドロップチャンスじゃない?」

話題をむりやり逸らそうとしてか、ラビィは道路を挟んで反対側に立っている女の子を指差した。

 どうやら犬のフンを踏んだらしい。顔が真っ青だ。

「えぇ……なんだか不味そう…。ていうか、わたし以外の感情でもいいの?」

「不味くても大事な感情だから……。あぁ集める感情はむしろユウカ以外がメインになると思うよ。何も知らないほうが新鮮で大きな感情が現れるからね。ボクの姿やドロップ、ドロップをつくるときの光は君にしか見えないから安心していいよ」

優しい声でほだすように語りかけながら、彼はそっとドロップの『もと』を渡してきた。

 いざそれを掲げてみると、他人のアタマの中を覗くような罪悪感が現れてきた。助けを求めてラビィを見ると、彼は優しく頭をなでてくれた。

「ユウカ、最初は戸惑うだろうけど、君ならできるよ」

小さくうなずき、靴の裏を見て絶望している彼女のほうへドロップのもとを掲げた。

 キーン、という甲高い音と共に、目を焼かんばかりの光が破裂する。―――気付けば、『もと』をもっていたはずの右手は黒っぽい群青色のドロップを握りしめていた。

 その毒々しい色合いに躊躇して、ラビィを見上げる。しかし彼はニマニマと笑っているだけで特になにも言ってくれなかった。

 意を決して、ドロップを口に放り込んだ。

  きらきら パチパチ

頭の奥がチカチカと光を放ち、目の前に星が跳ぶ。

「―――吐き出しちゃ、ダメだよ」

ラビィの小さなつぶやきを皮切りに、口の中いっぱいにでろりとした苦味が広がった。舌を痺れさせるような渋みがじゅるじゅると唾液を奪っていく。

「うっ――」

わたしは口元を押さえて、駆け出した。ラビィも慌ててついて来る。

 ドロップの感情のもとになった女の子から大きく距離を取ると、体をくの字に曲げて歯を噛み締めた。

  ガリッ ガリッゴリッ!

 牙で割って、奥歯で砕き、すぐに飲み込んだ。それでもじわじわとえぐ味が広がる。

「―――うぇえっ、まっず!」

げっげっ、と吐き出すそぶりを見せると、ラビィは感心した様子で笑った。

「さすが。よく頑張ったね」

そっとわたしの頭をなでて、目元の涙をぬぐう。

 きらきらキレイな顔が、優しくほほ笑んでいた。


***

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