狂花酔月 3

 うまくいかない。

 花があって、恋をして、みんな表情の上では楽しそうに笑っている。

 だんだんと、私はうまく笑えなくなっている気がする。もともと笑顔が可愛いね、と褒められたこともないのだけど。なにが得意なのだろう。花人として、私はどうやって愛されていくのだろう。私はなぜ、あのひとに執着しているのだろう。

 初恋のひとだったから?

 名前をもらったから?

 一目惚れだったから?

 もちろんそれらもある。あのひとの良い所は数えきれないぐらい挙げられる。

 翌朝、あなたのことは藤香に任せて、あのひとのところへと遊びに行った。遊び、とは言うけれど、相手は太夫。宵藤太夫のように何十人も取り巻きがいるわけではないが、毎日のように色とりどりの花に囲まれて忙しくしているはずだ。

 残念だけれど、私はあのひとのお気に入りではないから、遠くから機会を伺って話しかけるしかない。一言二言話せればいいし、顔をみて笑いかけてくれるだけでもいい。願わくば、ほんの指先だけでも触れ合えたら。

 私はあのひとと会うためのほとんどの時間を、物陰に背を預けて待ちわびる。

 これは仕方がない話だ。あのひとは私の愛してくれ、という私の我侭をきく道理はないのだ。なんせ、あのひとには私の花が咲いていないのだから。私の愛してくれの我侭は、ほんとうに我侭でしかない。

 いい天気の日で、あのひとは数人の花人たちと『裾野』の野原で日光浴をしていた。おしゃべりに花を咲かせて、時折髪を梳いて、匂いを嗅いで。緑のなかで穏やかに花がほころぶ。私はそれを邪魔しないように、声が微かに聞こえる距離の木陰で、ひとり膝を抱えていた。

 混ぜてもらえばいいじゃない? と言われたこともある。もちろん、あのひとの花の鑑賞会に参加したこともある。

 私はお話がしたくて、みてほしくて、出しゃばっていたわけではないけれど、ほかの子たちと対等な立場であるかのように会話に参加してしまっていた。相槌をうち、自分の考えや気持ちを話し、笑い声をあげ、話題を振る。そういった当たり前の会話をしてしまった。

 ほかの子たちは表面上、苛立ちや不機嫌を隠していた。あとで嫌がらせをされたりすることはないけれど、もう二度とこいつを呼ぶまいと思われたのは間違いない。やさしくも残酷なあのひとは、私が出過ぎて話す度に、困った顔をしてお話してくれたのだ。冷たくあしらったりせずに。だから、すぐには理解できなかった。

 あとから気が付いたこと。会に集っていたのは、あのひとに花を咲かせた子たち。両想いの恋人と呼んでも差しの支えない、お気に入りの子たちだった。あのひと自身も私なんかより、お気に入りの子たちと触れ合いたかったのだ。私は気を遣われながら、邪魔をしていただけだった。ほんとうに悲しいことに。

 匂いが届かない風下の、視界に入らない程度に離れた木陰。

 これが私とあのひとの適正な距離感。

 あのひとがひとりになった空白に、笑顔で挨拶を交わして通り過ぎる。これが私の正しい関わり方。だれだって思い人に嫌われたくはない。

 ぼんやりもの悲しさに耽りながら、昼前から夕暮れまでそうしていた。あのひとたちが飽きるまで辛抱強く、地面に根を張って、物言わぬ草木となって待っていた。

 今回集まった子たちのなかには樹沙――彼女はあのひとの特にお気に入り――もいたけど、私に気が付かないぐらいに夢中だった。

 西日に影が長くなり、ようやく遊び飽きて街に戻ろうとする一行。夜の予定を話ながら、私の待つ方へやってくる。

 自分たちだけの小さな宴を開くことで話がまとまったらしく、場所取りをすべくふたりの花人がひと足早く街へと駆けて行った。人数が減り、機会が巡ってきた。進路を妨害しないように、樹と並んで立ち、めいいっぱいまで引きつける。胸の前で握り締めた拳が震えている。立ち止まって話してくれなくていい。私の目をみて笑い掛けてくれるだけでいい。

 たくさんは要らないから、すこしだけでもちょうだい。

 あなたの愛の欠片を、ひとつちょうだい。

 私は憧れのひとにむかって精一杯声をだそうとした。

 でも、いつもなんだ。巡り合わせだか、噛み合わせだか。呼吸が合わない。

 なんだか、うまくいかないなぁと思う。

「やっぱりすごくいい。あなたの香り」

 すれ違いざまに、あのひとが隣に寄り添った子の花の香を吸い込んでいった。

 わざとなんかではないのはわかる。

 あのひとは純粋に、心からの賛辞を送っただけ。

 その言葉で思い出した、私の良い所。どうしてあのひとに恋し続けているのか。執着し続けていられるのか。

 いい香りだね、と褒めてもらえたから。私は私の花を誇りに思えたから。花人なんてと辟易していたけれど、あなたに惚れて、あなたが褒めてくれたから、私はきれいな花人になってもいいと思えたのに。

 その称賛は私の言葉だよ。

 私がもらうべき言葉だったんだよ。

 呼びかけようとした言葉は、喉に張り付いて出てこなかった。そのまま木陰に引きずり込まれ、彼女たちが通り過ぎるのを黙って見送った。

 甘く姦しい風が私をすり抜けていった。

 ぽつねんと、ひとり取り残されて、あまりにも切ないと、笑っていた。

 わかっていた。そんな言葉は誰にでも与えているということぐらい。良い香りなんて称賛は、花人にとってあまりにありふれている。私だけが特別じゃない。私の香りだけが優れていたわけじゃない。でも、私にはこれしかないと思っていたから。その言葉だけを胸にしまっていたから。

「それは私のだったんだ。私のものだったんだよ……樹里亜」

 零れ落ちた。言わずにはいられなかった。

 誰にも聞かれない呟きを。

 樹里亜は私の存在に気付いてもいなかった。

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