第19話 回想8
ふむ……
蒼太は依頼書を確認しながら街を歩いていた。
手元にある依頼は清掃業務だ。程度にもよるが魔法ですぐに片付くためタイムパフォーマンスに優れている。しかし問題はそこに行くまでの距離にあった。
……反対側かあ。
一万人以上を擁する都市なだけあって街はかなりの大きさになっている。両端まで歩いていくとなるとそれなりに時間が必要だった。
本来ならば街中の依頼は近場しか紹介されない。そのために斡旋所が点在していた。しかし直接指名があった場合はその限りではない。依頼を受けるか受けないかの選択権は蒼太にあるが、一度受託してしまえば何があっても向かわなければならなかった。
斡旋所の人からも取り下げを検討するよう言われていた。いくら指名料がはいるとはいえ報酬は安い。移動の時間でほかの依頼をこなしたほうが数倍の利益になっていた。
しかしそれでも蒼太は依頼を受けていた。報酬が宿代にもならないことも飲み込んでいた。必要としてくれるならできる限り応えたい、その気持ちだけで理由は十分だった。
……夜までには帰ってこれるだろうし。
流石に泊りがけは無理だった。行きは旅行気分で歩いていくにしても、帰りは今日中にたどり着けそうにないなら魔法を使うことも考えていた。
初めて踏み入れるエリアに胸を躍らせながら、蒼太は街を横断していた。
「あんたが掃除屋かい」
「あ、はい」
二時間をかけて辿りついた場所で、蒼太は依頼人へ挨拶をしていた。
……おぅ。
応対する男性を見て蒼太は息をのむ。多種族がいる世界だ、この街は主に人間族が暮らしているが、少なからず他の種族の人間も見る機会はある。鳥類や哺乳類、特に犬や猫を思わせる特徴を持ったものは探さなくても視界に入る。
その中でも目の前の男性は異質だった。二メートルを超える巨漢に白と黒の厚い毛が服の上からも見えている。目元には大きな隈に見える黒い文様がはっきりと浮かんでいた。
パンダだ。パンダにしか見えない。
二足で立ち、顔の表面は毛が少ないだけのパンダがそこにいた。
実物よりも愛くるしさはないが、パンダが話している姿は和む。それ以上に笑いをこらえるのに蒼太は苦労していた。
彼の言っていた掃除屋というのは最近蒼太が呼ばれるようになったあだ名のようなものだった。街の中の依頼に掃除が多く、それを優先して依頼を受けているからというそのままな理由で呼ばれるようになっていた。中には外に出られない侮蔑の意味も込められていたが、蒼太は特に気にすることもなかった。
「依頼は掃除だ。気難しい商品が多いから気をつけろよ」
パンダの男性は善意の忠告をしていた。
商品に対して気難しいとは、どういう意味なのか。疑問に思う蒼太に対してすぐに答えがやってきた。
案内された仕事場は、地下だった。深く掘られたそこは地上よりも温度が一段引く、肌を撫でる空気が心地よい。ただ石を敷き詰めた階段を下ると、すえたような臭いが鼻についた。
生鮮食品の保管だとしたら、環境が悪い。ここのものは食べたくないなと男性の後ろにつきながら蒼太は思っていた。
「ここだ」
男性は鉄格子の前で立ち止まっていた。鍵を開け、蒼太に視線を向けていた。
入れと促されている。蒼太は男性の脇をすり抜けて中に入ると後ろから金属のこすれる重い音が響いていた。
閉じ込められた。あららと予想外の出来事に目を丸くしていた蒼太に男性が言う。
「いいか。商品の入っている檻の中まではやらなくていい。噛みつかれたら面倒だからな。通路と空いている檻の中だけだ。何かあったらすぐに大声を上げろ」
事細かに言い聞かせられ、蒼太はほっと胸をなでおろす。だまして悪いがと閉じ込められたわけではないらしい。
……何がいるんだろ?
噛まれる危険性があるということはきっと猛獣の類だろう。そう高をくくった蒼太が目にしたのは鎖につながれた人間だった。
……奴隷かな。
文化としてそういうものがあることを事前に知っていた蒼太の感情は大きくぶれることはなかった。
戦争をしているのだから捕虜や奴隷など当り前な話だった。誰もいなくなった村に残されるほうが不幸なのだ。労働力として連れてくることはお互いにとってメリットのある話だった。
千年という歴史は奴隷に対しても対応策が作られていた。特殊な技能があればそれを生かした職へ、そうでなければ単純作業の人足へ。しばらくは監視が必要だが、一定期間勤め上げれば市民として扱われるようになる。
そのため街にはいくつかの異種族コミュニティがあった。地球でいうところの中華街のようなものだ。同族が集まることで安心感を与え、犯罪に走る前に互助を促す。また集団で反旗を翻す傾向があればそのコミュニティごと排除すれば管理も簡単だった。
ここにいるのはそういう理由で集められた人たちなのだ。売り手に渡る前の一時保管場所、いわば留置所だった。
これも経済、生活の一つと蒼太は通路を掃除し始める。よその街に行けば今度は人間族が奴隷として働いていることだろう。かわいそうだとかそういう話ではないと飲み込む他できなかった。
そこの住環境は決して良くなかった。空気の通りも悪く湿気も多い。糞尿の処理も甘く傷ついた身体のまま放置されている人間も多くいた。
それも買い手が付くまでのことだ。しばらく我慢していればもう少しまともなところで寝食出来る。万年戦争状態ならば入れ替えも早いだろう。
がんばれとそらんじながら蒼太は自分の仕事に専念していた。といっても魔法で汚れを分解し、綺麗になったものを念力で整理していくだけ。蒼太が通った後ろにはまるで新居のような清涼に満ちていた。
「な、なんだ!?」
「空気が変わったぞ?」
当然、そんな現場を見ていた奴隷たちは未知のことに騒ぎだしていた。
……調節できないもん。
依頼人からは奴隷の入っている檻の中の清掃は不要と告げられていた。道具を使った掃除ならそれでもよかったが蒼太のそれは魔法での一掃だったため、効果範囲に檻の中も入ってしまっていた。
耳の生えた人々が思いを口にしながら鎖を鳴らしていた。あまり騒がれると異変に気付いた依頼主が飛び込んでくるかもしれない。それを嫌った蒼太は、
――春風の誘い。
短い詠唱とともに口から薄い桃色の吐息を吐く。二十秒ほど続けた後、両手を広げて一回転すると霧は周囲にまき散らされていた。
次第に騒音が沈静していく。蒼太の出した霧には精神の安定化と緩い眠りへの導入の効果があった。耐えようと思えば耐えられる程度だが、この場で耐える必要があるかといえば否だ。
倒れるように眠る人を横目に蒼太は奥へと進んでいく。削り取った岩肌にはめ込まれた鉄格子は蒼太が通り過ぎるとかつての輝きを取り戻し、苔の生えた岩壁は磨かれたように滑らかになっていた。
ゆっくりゆっくりと歩いても二分もあれば終点にたどり着く。蒼太は振り返り、見違えた留置所を眺めていた。
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