第17話 回想6
残る二つのトイレも取り替え、蒼太は一度腰を下ろしていた。
サボっている訳ではなく、あまりに早すぎるために少しだけ時間を潰すためだった。
……変わらないんだなぁ。
空を雲が泳いでいる。そんな景色を久々にちゃんと見て、郷愁の思いに駆られ胸に穴が空く。
死んでしまったことはもうどうしようもない。今はまだ魔法に頼って気持ちを落ち着けているが、そのうち整理がつくだろう。過去に惹かれるのは今だけしか味わえないことだった。
風にたなびく葉がさわさわと子守唄を奏でていた。遠くで騒ぐ子供の声が心地よいアクセントになって睡魔を誘う。
──眠気覚まし。
サボっていても仕事中だ。本当に寝る訳にはいかないと蒼太は魔法をかける。
しばらくはこのままで。温い風に浸りながら空を見つめていた。
「……ーい」
ん?
風に乗って人の声がしていた。子供のものとは違う、深みのある音に蒼太は身体を起こす。
魔法を使うまでもなく、その姿を捉えることが出来た。依頼人だ。腹の脂肪を重そうに揺らしながら、見た目通り鈍重な足取りで蒼太の方へ向かっていた。
蒼太は立ち上がり、軽くついた葉っぱを払い除ける。頭の中はサボりが見つかったことへの言い訳を考えていた。
……怒られることは無いよね。
仕事は完遂していた。報告の前に休憩をとっていただけ。現場を確認してもらえれば納得してもらえるはずだ。
男性がたどり着くまでまだ距離があった。少しでも心象をよくしたいと、蒼太は自分の方から彼に近づいていた。
「あの、依頼ならもう終わってますけどどうかしました?」
汗を吹き出して肩で息をする男性は、立ち止まると息を整えていた。
その様子を見守っていると、どうにか落ち着いた男性は、困ったように眉を寄せていた。
「……はぁ。えっと、トイレに何したんだ?」
「掃除と修繕ですけど……」
言ってから、蒼太はあれっと首を傾げていた。
今あるトイレは地球産のプラスチック製だ。しかし元のトイレは木の板が貼り付けてあるだけ。これでは修繕ではなく、もはや立て替えだった。
……だって触りたくなかったんだもん。
いくら魔法で綺麗にしたからと言って、汚物が付着していそうな板を触りたくは無い。外れかけていた扉ですら清潔とは程遠い。
利用者の満足のため、致し方ない方法をとったのだ。蒼太は自分は悪くないと自己弁護していた。
「いや、別物だろ。あれじゃ」
「が、頑張りました」
「そういう程度じゃないだろ……」
男性はなかなか頷こうとはしなかった。見た目は変わってしまったが中身はそう大きな変化はない。せいぜい座って用が出せるようになったくらいだった。
男性は小さく喉を鳴らすと、
「とにかくあれじゃ駄目だ。戻してくれ」
「どうしてですか?」
「あんな綺麗なもんがあったら取られちまうだろ」
それは無いだろうと、蒼太は笑う。どこの世界にトイレを取っていく奴がいるのか。
「そんなことありえないです」
「いやある」
「……分かりました。しっかり固定しておきます。それでいいですよね?」
これ以上譲歩するつもりはないと、蒼太は語尾を強めていた。
ただ男性は首を振って、それを否定する。
……何が問題だっていうんだ?
少なくとも現代日本のほうが異世界より文明としては進んでいる。そこから仮設とはいえ買ったものが劣るなどとは信じられない。
確かに勝手に置き換えたことは青天の霹靂かもしれない。しかし利便性や清潔度を考えれば間違いなく今のほうがいい。彼が目を瞑れば皆が気分よく終われる話だと蒼太は考えていた。
しかし、男性は頑として譲らない姿勢を取っていた。眼力を強めて、怒るではなく叱るように腰に手をやると、
「お前さんが何をしたかはこの際いいとしてだ。あのトイレは人間族の大人だけが使うもんじゃねえんだ。子供や小人族、尻尾のある種族からしたら使いにくくてしかたがないだろ」
「小人……尻尾……」
「そうだよ。ここが人間族の街だからって他種族がいないわけじゃないんだ。そんな態度でいたら街を追い出されるぞ?」
……ああ。
思いだす。ここにくるまでにいくつか立ち寄った街には確かに獣人のような人たちがいた。ケモミミがあるならば尻尾があってもおかしいことではない。
そんな彼らが人と同じように排泄が出来るのだろうか。尻尾がどのようについているのか不明だが、座ってすることで邪魔になったり汚れたりしないだろうか。ましてや小さな子供ならなおさらなことであった。
勘違いしていたのは、独りよがりだったのは自分だと気付いて、蒼太は熟れたリンゴのように顔を真っ赤にする。そして、
「すみませんでしたっ!」
一言、大きく声を出すと、腰を九十度に曲げて頭を下げていた。
地球の常識が通用しない。蒼太はそれをトイレから学んでいた。
「別に怒っちゃいないさ。元より綺麗になったのは間違いねえしな。ただもう少しみんなが使いやすければよかっただけだ」
男性はトーンを抑えた声を出す。それが本当に蒼太の非をなじるものではないと伝えていた。
浮かれていたんだと、蒼太は感じていた。物語のように異世界に来て、おおよそ全能の力を手に入れたとうぬぼれていた。そこに住む人の文化や慣習をないがしろにして、自分の持っているものを一方的にいいものだと押し付ける傲慢さに気付いて、己を恥じていた。
相手も考える一人の人間だ。活字や絵で表現されている物ではないのだ。
……はぁ。
後悔先に立たず。所詮は子供の浅知恵だと気付かされた。だから蒼太は、
「すぐに戻します」
「いや、それはそれでもったいないだろ」
「……あ、ちょっと待ってくださいね」
もったいないという言葉に同意した蒼太は彼に背を向けて、
――異世界通販、カタログ。
虚空から所持金と引き換えに分厚い本を取りだしていた。
「他にもこんなのがあるんですけど。どれがいいですかね?」
「な、これ、全部絵か? ずいぶん本物のように見えるし、紙も、なんだこれは?」
男性は驚いて、感情のまま矢継ぎ早に話していた。そのせいで言葉の意味が汲み取りにくくなっていた。
「そちらは差し上げます。とりあえず今あるトイレは和式のものに取り換えますので支障があったら言ってください」
「あ、あぁ。わかった……」
男性はカタログに目を落としたまま、曖昧な返事を返していた。
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