第6話 ただのスケベ

 二人の会話を聞いていたカーサは、その表情を固くしていた。

 喜ぶアポロも、現状に従う紫鬼も理解が出来ない。子を成すことは出来ないのに何故熱を保てるのか。

 疑問に答えが出ぬままでいると、アポロが好奇心を前に出していた。


「主上ってどんな人なんですか?」


「そうね……英雄であることは間違いないのだけれど、ちょっと子供っぽいわね」


「子供っぽい?」


 予想外の言葉が飛び出してカーサとアポロは同時に疑問を口にしていた。

 完璧超人。巷ではその印象しかない。しかし紫鬼は目を弓なりに細めると、


「甘えたがりなのよ。やることはしっかりするのだけれどその後は抱きしめられるのが好きみたい。あとは……」


「あとは?」


「女性の胸が好きね。大きい方がいいみたい」


 紫鬼は自分の胸を指さして言う。

 その一言に、アポロは自分のものとを比較して目を地面に落としていた。


「うー。じゃあ私は駄目かも」


「心配しないで。夜伽番にも胸が小さい方も大勢いるから」


「良かった」


 アポロが緊張を解く。

 会談に花を咲かせる二人をカーサは少し後ろに下がって見つめていた。

 嫌悪感、とは違う。腑に落ちないのだ。市井で語られる主上と後宮内の主上の姿が。いっそ別人と言ってくれた方が納得出来る。

 その感情のまま、感じたままをカーサは口にする。


「ただのスケベじゃない」


 酷い言い草なのはわかっていた。

 紫鬼は笑みを浮かべていた。咎めるのではなく、本当に可笑しいと目が笑っていた。


「ただのスケベくらいわかりやすい方が安心するわよ。大英雄だって言われて身も竦む思いをするよりはね」


「むぅ」


 紫鬼は煙草を吹かしながら言う。その大人の余裕のようなものに手を振って降参を示す他なかった。

 これ以上の言い合い勝てる気がせず、カーサは床に座る。むくれた頬はしばらく戻ることは無かった。


 いつまでも世間話に花を咲かせている訳にもいかない。一応とはいえお勤めがある以上優先すべきはそれであった。

 カーサは黙々と作業を行う。部屋を換気し、飲み終えた徳利を片付ける。洗い物は所定の所へ持っていき、後のことはアポロが済ませていた。

 全て終えるまでにかかった時間は数時間。まだ日が登りきっていない時間だった。

 早めの昼食、とカーサは部屋に用意された食事に手を付ける。外に出ない紫鬼は部屋食になり、どうせならと皆で食べるという話の流れをカーサ達は否定しなかった。

 勤めを終え、木の実を混ぜたパンを食べながらカーサは疑問に思う。

 変なのだ。後宮には不必要な人間が多すぎる。

 突き詰めてしまえば夜伽番以外の女は要らない。世話役が何人かいてもいいかもしれないが、夜伽番一人につき複数人は多すぎる。

 やることがないから仕事の真似事をさせられているようにしか思えず、その裏にある思惑が透けて見えそうになる。

 はっきりとは見えないが、面倒くさいなと、カーサは口の中のものを飲み込んでいた。

 その横で何を食べても美味しい美味しいと笑顔のアポロはふと、顔を上げて、


「紫鬼様は主上のことが好きなんですか?」


「紫鬼様?」


 問いを向けられた紫鬼がきょとんとした顔をしていた。

 寝台の上で二人の食べる姿を肴に酒を嗜む彼女は、平盃を置く。驚いて声が出ないようだった。

 

「はい! やっぱり夜伽番の方は憧れますから」


「ま、まあ呼び方は好きにしてくれて構わないけれど。好きかどうかでいえば、そうね、感謝しているわ」


 紫鬼ははっきりと答えずに、そう言った。

 はぐらかしているようには見えず、しかしその瞳には不安定に揺れていた。


「感謝?」


 アポロが食べる手を止めて聞いていた。

 えぇ、と紫鬼は前置きして、


「やっぱりあの戦乱を収めたことは大きいから。それにね」


「それに?」


「エメリア様以上に主上を愛している人は居ないから。申し訳なく思ってしまうのよ」


「あぁ……」


 アポロが声を細くする。

 自分を、未来を殺してまで献身的にそばに控える。それは傍から見ればひどく愚かしく、滅多に真似できないほど美しい愛のカタチだった。

 違うやり方もあったはず。それを言えるのは十年前を共に生きた者だけ。カーサは取り返しのつかない状況に甘んじている主上の首を脳内で切り裂いて見せる。

 紫鬼はうつむいていた。床を見つめ、力なくその場に倒れる。

 

「あの傷、見たでしょ? 毎回しているのよ、彼女。いちばん長くいていちばん愛しているからこそあそこまで出来る、お前たちにその覚悟はあるのかーって」


 口元は笑っていた。目だけは熱い感情をにじませて。


「あれを見た時は可哀想とすら思ったけれど、主上と一緒にいる時の彼女を見てるとね、ああ敵わないなって思っちゃうの。他の人が夜伽している時も言動に問題がないかずっと見張っているから。本当なら腸が煮えくり返る気持ちなのに主上のためにって」


 その場の状況を想像して、やりにくいなとカーサは思う。

 四方八方から伸びる糸がこんがらがっている現状は良くはない。しかし誰も解く術を持っていなかった。

 ……いっそのこと全部切り飛ばせばいいのよ。

 そのほうが精神的に安定する。


「やっぱり最低じゃない」


「女からするとそう見えてしまうのは仕方ないわよね。でも仕方ないのよ、主上にも事情があるから」


「事情?」


「ええ、エメリアは犬闘種と人間種の雑種。元奴隷という立場からどうしても軽んじられる。それに大戦中も色々なところから正妻の話があったから、誰かを選ぶ訳にもいかなかったのよ」


 いかに主上が強くても一人では守るものも限られてくる。最終的に主上以外全員が死んでしまっては何の意味がないのだ。


「全ての種族が手を取り合う世界にするために誰かを贔屓にする訳にはいかなかった。だから後宮を作らざるを得なかったし、いちばん長くいた彼女は絶対に手を出さない証拠が必要だった。武力や権力、金力では全てをまとめる事が出来なかったの」


「エメリア様が可哀想」


「ええ、そうね。でもその選択をしたのは主上とエメリア様本人なの。だから皆何も言えないのよ」


 紫鬼はそこで話を終えたと酒をあおる。

 やるせないのは誰だって同じだった。

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