獣人惑星の春

かつエッグ

獣人惑星の春

 あたしと、いいなずけのアダは、獲物を求めて草原に来ていた。

 槍を手に、並んで立つ。

 風が草原を走り、あたしとアダの身体をおおう、しなやかな黒い体毛をなぜていく。

 ああ、まぶしい。

 二つの太陽のかがやきに、あたしの瞳は弓のように細くなる。

 それはアダの瞳も同じ。

 空にかかる二つの太陽は、あたしとアダのように水平に並んでいる。

 位置を変えながら空を巡る二つの太陽が、水平に並んで空にかかる季節。

 それは春。

 晴れた空には、シロウタドリたちが六枚の羽をはばたかせて飛び交い、恋の歌を歌う。

 野には花が咲き乱れ。

 春は、この地に生きるすべての生き物が、鳥や獣や、あたしたち獣人が、恋に落ちてつがいをつくり、子をなす、豊穣の季節。

 命あるものは、生の喜びに充ちて。

 あたしたちも、ほんとうなら……。

 あたしとアダの間には、この春に新しい命がめばえるはずなのに。

 でも、あたしたち獣人には春は来ない。

 もしかしたら永遠に。

 あたしたち獣人族は、いま、滅びの縁にいる。


 あの恐ろしい「白涎病」が、あたしたち獣人を滅ぼそうとしている。

 はじまりは、南の森だった。

 ながく禁断の地とされて、だれも立ち入ることがなかった南の森の奥に、探検に行った者たちがいた。

 そんなことをするべきではなかった。

 やがて、よろよろと、息も絶え絶えに帰ってきた彼らの姿に、あたしたちはふるえあがった。

 かれらの目は赤く充血し、鼻は乾ききり、口からは白い涎がだらだらと流れていた。

 身体の毛はすべて逆立ち、見るも無惨なありさまで。

 かれらはみな、はじめて入る森の奥で、病に罹患かかってしまった。

 その病を持ちかえってしまった。

 やがて白涎病と名付けられたその流行病はやりやまいは、猛烈な感染力をもち、どんな手をつかっても、他人に移ることを防げなかった。

 あっという間に、同胞すべてが、老若男女、一人の例外もなく、この病にかかってしまった。

 さいわい、致死率はそんなに高くはなかった。

 三日間の高熱をしのげば、よほど体力の弱ったものでなければ、のりきることができた。

 よかった。災厄は去った。

 皆がそう思っていた。

 でも、白涎病の恐ろしさはそこではなかった。

 白涎病にはおそろしい後遺症があったのだ。

 あたしたち獣人族は、すぐれた感覚をもっている。

 聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚、平衡感覚。

 ところが、白涎病は、そのひとつをあたしたちから奪ってしまった。

 嗅覚だ。

 白涎病にかかり、鼻が乾いてしまったあと、あたしたちはもはや、何のにおいも嗅ぎ取ることができなくなっていた。嗅覚に連動して、味覚もダメージをうけていたが、嗅覚ほどの異常ではなかった。

 あれほど鋭敏で、遠くからでも獲物や、敵のにおいをかぎ分け、そして仲間を識別することができていたあたしたちの鼻が、病の後、一切使えなくなっていた。

 あたしたち獣人族にとって、嗅覚が使えなくなってしまったことは、大打撃だ。

 生きていく上で、その不便さは計り知れない。

 仲間たちはみな、嘆き、悲しんだ。

 ただ、匂いがかげなくても、それだけで死ぬことはない。

 あたしたちは、その状況に、なんとか適応していったのだ。

 そう。

 嗅覚がなくても、それだけでは死なない。

 だから、だれも、あたしたち獣人から嗅覚がうばわれるというが、最終的に何を引き起こすかということに気がつかなかった。


 そして、白涎病が蔓延した次の春。

 真にたいへんなことが判明した。

 春が来ても、獣人族には恋の季節が訪れなかったのだ。

 だれ一人として。

 みなが愕然とした。

 恋の季節が訪れなければ、あたしたち獣人は子をなすことができない。

 種族全体が子をなせなければ、あたしたちは滅びる。

 長老を筆頭に、癒しの技の長や、一族の知恵者があたまをよせあい、事態を解き明かそうとした。

 そして、たどりついた結論が、——匂い。

 嗅覚がなくなってしまったために、あたしたち獣人族は恋の季節を迎えることができなくなった、そうとしか思えない。

 思いあたる節はある。

 恋の季節にあたしたちが感じる、あの甘くて身体の奥を震わせるような、言葉にできないような、あの匂い。

 あれが嗅覚を失ったあたしたちには、もうわからない。

 その匂いを感じることが、あたしたち獣人が恋の季節を迎えるために、おそらく必須なのだと、知恵ある者たちは結論付けた。

 だが、どうしたらいいのか?

 どうしたら嗅覚はよみがえるのか。

 癒しの技の長によれば、あたしたちの嗅覚機能は完全に死んでいるわけではないらしい。ただひどいダメージをうけて眠り込んでしまっているのだという。その機能を叩き起こすことができればあるいは——。

 だけど、必死の努力にもかかわらず、次の年も、その次の年も、あたしたちの嗅覚はよみがえらず、そして今年も春がめぐってきた。


 空は高く、晴れている。

 獣人以外の生命に、春がめぐってきているのに。

 悲しかった。


「あれ? なんだろ、あのヘンなやつ」


 あたしは、その空の一点に、ポツリと見慣れぬものがあらわれたのに気づいた。


「……わからない。はじめてみるものだ……」


 と、アダもいぶかしげに言った。

 獣人の鋭い目は、はるか遠くのそれを、はっきりと捉えている。

 それは、ハラルの木の実のような形の、棘のある銀色の球体。

 それが、羽もないのに宙に浮いていて、そしてどんどん近づいてくる。


「大きい!」


 恐慌状態になって逃げ去るシロウタドリと比べれば、それが、村の広場よりもはるかに大きな、異様な塊だということがわかる。

 そんなものが空に浮かんでいる。

 でも、そいつの動きはおかしかった。ガタガタとゆれて。

 なんだかまるで敵にやられて、体をうまく動かせない手負いの獣みたいだった。


「逃げろ、イーヴァ! あぶない!」


 アダが危険を察知して、あたしに叫ぶ。

 そしてあたしを守ろうと、勇敢にも槍を振り上げる。

 銀色の球体の皮が煮えたつように溶けて、毒々しい紫の霧のようなものを吹きだしている。

 均衡をうしなったかのように、球体はあたしたちの頭上で回転を始めて——。


******************


 その銀色の球体——星のかなたからやってきた航宙船のコンソールでは、二人の乗組員が、しばらく前から必死で操作を続けていた。

 緊迫した会話が交わされていた。


「おい、まずいぞ! 重力場に拮抗できるだけの出力が足りない」

「だめだ、回復しないぞ」

「これはいったん、降りるしかないな」


 二人は、汎銀河連邦の辺境文明調査員であった。

 第三銀河の外れ、アダマスの腕領域で調査員任務を遂行中に、駆動機関にトラブルが発生していたのだ。

 船は、進路上にたまたま位置した、未調査の惑星に墜落しようとしていた。

 大気圏に突入し、今、眼下には広大な草原が広がっていた。

 船は高度を下げて、草原の上を移動していく。


「あっ、いかん、あそこを見てみろ!」

「二足歩行の猫みたいな――」

「槍をもってる。あれはこの星の知的生命体だ」

「まずい! 他星系の知的生命体を傷つけたら、とんでもない違反に——」

「なにがあっても、あの猫ちゃんたちに害を及ぼすのはだめだ」


 二人は、この惑星の知的生命体に危害が及ばないように、船の進路を変更しようと奮闘する。

 だが、一人がふと気が付いた。


「おい、これ、大丈夫なのか、船の外郭が溶けて、揮発した高分子重合体が凄い勢いで大気中に拡散しているぞ」

「むむむ」

「この惑星には存在しない物質だ、そんなものを万が一、あの猫ちゃんが吸ったらどうなるか」

「……かなりヤバいな。でも、もうかなりの濃度で放出されちまってる、どうにもならん。なにかあったら、誠心誠意謝って、治療するしかない……」

「あああ、もう堕ちる」

「とにかく、今は、あの二人を傷つけないように降りるしか——」


凍結場ステイシスフィールド起動します>


 その瞬間、航宙船の自律コンピュータが宣言し、航宙船は、乗員保護および、この星の生命体への危害を最小限にすべく、運動エネルギーを物質転換して、静止凍結状態になり、垂直に墜落した。

 巨大な船が墜落したものの、即座に緩衝空間が起動し、地上への被害はほとんどない。

 近くにいた、二体の猫に似た知的生命体にも怪我はなかった。

 しかし、運動エネルギーを転換した際の高熱で外郭が一気に溶融し、蒸発して、外郭を保護していた高分子重合体が、船を中心とした数キロ四方に、爆発的に拡散した。

 あっという間に、その高分子重合体の霧に包まれてしまった、この星の知的生命体は


********************


「ぎゃーっ、なにこれえ! なんなのこの臭い!!」


 あたしは、その銀色のモノから噴き出した、紫色の霧につつまれて悲鳴を上げた。

 そしてのたうちまわった。

 なんなのこの臭い!

 一度も嗅いだことのない、強烈な異臭が、あたしの嗅覚を直撃した。

 臭い。とんでもなく臭い。

 脳みそがしびれるほど臭い。

 た、たすけて!

 あたしの横でも、アダが鼻をおさえて、涙を流してじたばたしている。

 死んじゃう、臭くて死んじゃう!

 どうっと風が吹いた。

 風が吹いて、とてつもなく臭いにおいの霧をふきながしていく。

 それで、臭いがうすまって、息がつけるようになった。

 それでも臭いはきえず、くさみはとれず

 臭みはとれず?

 臭みはとれず!

 はっと気がついた。

 臭いだ!

 臭いがわかる!

 嗅覚がもどっている!

 このとんでもない臭いのせいか?

 あたしは、アダの顔をみた。

 アダも、涙を流し、鼻水を流した顔で、ぽかんとあたしを見ていた。


「イーヴァ……」

「アダ!」

「臭いが!」

「わかる!」


 あたしとアダの目から、涙がふきこぼれた。

 これは臭さのせいじゃない。

 喜びの涙だ。

 あたしは、まだ鼻につくとんでもない臭いにおいと同時に、あのすてきな匂いも感じた。あたしたちの恋の季節をもたらす、あの甘い匂いが、アダの身体から出ているのがわかった。

 そしてたぶん、あたしの身体からも。

 たちまち体の芯が熱くなる。


「アダ!」

「イーヴァ!」


 あたしたちはとびあがり、抱き合い、泣きながら、恋の踊りを踊った。

 飛び上がり、くるくる回り、ごろごろころがって。


 さあ、獣人の春が、ふたたびやってきた!


 歌え、わが同胞はらから

 春の恋の歌を!

 声の限りに!

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