日常の終わり

 旅立ちを決めてから一週間。旅の準備は順調に進み、いよいよ大詰めとなり基地からの撤収作業に入っていました。


「荷物はどんどんうちの戦車に乗せてってー!」

「コンテナもうひとついけますか?」

「もち!」

「便利だな、ガン○ンク」


 たくさんの荷物を持ってラグナロックまで運ぶのは、悠樹のお仕事。下半身がキャタピラになっている悠樹の専用機は、重心が低く姿勢が安定して積み込めるスペースも多いので、武器を外せばこうした荷物運びにぴったりです。


 そして荷物を詰め込んだコンテナを悠樹に渡すのは、他の子たちのゼクト・オメガによる手作業。今はフランが細かい指示を出して、小夜子がコンテナを載せています。


「畑の収穫と苗のキープ、終わった……」

「また戻ってくるから、コンテナに積んどいてー」

「おけ〜」


 そして智実と月美は畑仕事。最後の収穫の他に、ある程度の大きさの株を苗として、廃墟の街で拾った植木鉢に植え替えてコンテナに詰め込む作業です。


「んじゃ、運んでくるわ」


 コンテナを安全に運べる限界まで積んだところで、悠樹が出発。前にも後ろにもコンテナを積んだ悠樹のゼクト・オメガは、格納庫の奥のエレベーターに入って地下へと向かっていきました。


「みんな、お待たせ!」

「お疲れ様です、光里さん」


 こうして作業が進んでいく中、基地の中から光里が出てきました。


 光里が行っていたのは、基地の司令室。三百年前にここを遺してくれた人たちへの感謝と、戦って亡くなってしまった人たちへの弔いを込めて最後にそこに花を手向けに行っていたのです。


 きっとそれは、六人の代表である自分がしなきゃいけないことだと考えて。


「撤収作業してるとなんか寂しくなるね〜」

「二年間ずっとお世話になった場所だもん、この空港は。みんなで月にいた時の二倍もここで過ごしたんだって思うと、なんだかね」

「またいつでも戻ってこれますよ、光里さん。拠点が船に移るだけで、ここがなくなるわけじゃないんですから」

「それもそうだね、フランちゃん」


 月から地球にやって来た時とは違い今度はいつでも帰ってくることができるとはいえ、二年も過ごしたこの伊丹空港跡基地を離れるのは寂しいもの。前向きに進もうとしても、どうしても湿っぽくなってしまいます。


 そんな中、小夜子は空気を少し変えようとふとしたことを尋ねました。


「そういえば二人とも、まだちゃんだのさんだの他人行儀な呼び方なんだな。婚約カップルだろうに」

「言われてみれば……」


 この間晴れて婚約カップルになった光里とフランですが、呼び方はお互いにまだなんだか他人のよう。もう呼び捨てでもいいと小夜子は思っていましたが、二人にはちゃんとした想いがありました。


「光里さんの事を光里さんと呼ぶのは私だけですから。これは私だけの特別な呼び方です」

「私もおんなじ理由かなぁ」

「ふっ、なるほどな」


 確かに光里のことをさん付けで呼ぶのはフランだけですし、フランのことをフランちゃんと呼ぶのも光里だけ。その呼び方がお互いにとって特別なら何も言うことはないと、小夜子は深く納得しました。


「出航式のプランも考えないとね〜。結婚式と一緒にやるわけだし」

「ご馳走、頑張る……」

「はーい、ピーマン多めがいい!」

「華がないな」

「えぇーっ!?」


 そして旅立ちの時。ラグナロックの出航式と、光里とフランの結婚式を同時にしてしまうことが決まっています。


 一体月美はどんなご馳走を考えているのでしょうか。みんなとても楽しみにしています。


「相変わらず可愛いですね、光里さんは」

「フランちゃん、今ちょっとバカにしたでしょ」

「さてどうでしょう」

「お前ら二人ともバカだよ。バカップルだよ」

「じゃああたしたちは何だろ。セフレ〜?」

「身も蓋もない……」


 大きな別れを目の前にしながらも、相変わらずみんなはいつも通り。


 けれどついに、その時は訪れてしまいます。






「あとはこれかぁ……」

「なんだか……崩したくないですね」

「うん……」


 そう言って見上げるみんなの目の前にあるのは、みんなが生きていくのに大切な水を作る浄水タンク。そしてそれに取り付けられたシャワーに増設された、パイプ製の脱衣場です。


「最初にみんなで力を合わせて作ったのがこの脱衣場だったね。懐かしいなぁ」


 そう言って光里がパイプ製の手作りの柱に触れると、思い出がこみ上げてきて涙が溢れてしまいました。


「前向きに行こうって決めたのに……こんなことで泣いてちゃだめだよね、あはは」

「今見たらなんかショボい出来だけど、思い出が詰まってるからね〜」

「名残惜しさは確かにあるな」

「でも浄水タンクは置いていけないし……」


 脱衣場はみんなで最初に力を合わせて作ったもの。取り壊してしまうのは心苦しいですが、くっついている浄水タンクはとっても大切な生活必需品。置いていくことはできません。


 先に進むには、これをバラバラにしないといけないのですを


「やろう、みんな」

「またここに戻ってきた時に組み直せるように、資材は置いておくか」

「いいと、思う……」


 けれどせめて、ただ壊すだけじゃなく。またここにきた時にもう一度組み立てられるように、部品を壊さないように丁寧に分解して。


 脱衣場を取り外した浄水タンクのコンテナと、みんなで二年間暮らしてきたコンテナハウスを悠樹のゼクト・オメガに積み込みました。


「よし、ロック完了!」

「他に忘れ物はないか」

「うん。大丈夫そうだねっ」


 立つ鳥跡を濁さず。もうここに、六人が残したものはありません。空港跡の基地は、まるで時間が巻き戻ってしまったように。何もかもを忘れて地球に降り立った最初の日の姿に戻っていました。


「三百年前の人類が未来の私たちに託してくれたバトンは、この二年でしっかりと受け取りました。走り続けましょう。生きている限り、どこまでも」


 たくさんの命と想いの重さに一度は押しつぶされそうになったフランが力強く決意を告げると、他の五人も頷きます。


「まっさかこんな壮大な人生になるとは思ってなかったわ」

「悠樹は、嫌だった……?」

「全っ然。みんなも、つくみんもいてくれるからさ」


 まだ二年。そしてこれから何百年も続いていく壮大な未来を思い描きながら、悠樹と月美はぎゅっと手を握り合って。


 他のみんなも絆を確かめ合うように誰かの手を握る中、とうとう日が暮れてきました。


「日が沈むな。そろそろ船に戻るか?」

「今日は満月だし、せっかくだから見ていこうよ。私たちの本当の故郷を、第二の故郷でさ」

「賛成です」


 街灯もなく、真っ暗になってしまうので普段ならあまり外には出ない時間ですが、今日ばかりは特別。


 第二の故郷であるこの基地から旅立つ前に、ここで満天の星空と一緒に自分たちが生まれた故郷……月を見上げることにしました。


「どうせなら一杯やる?」

「お酒なんてないですよ。それにまだ未成年です」

「身体は一生未成年なんだし一緒じゃんか〜」

「酒造、やってみるか」

「うん、みんなでお酒飲んでみたい!」

「お酒ができたら、料理の幅も広がる……」

「さすがつくみん。やっぱ酒蒸しとか?」

「赤ワインができたら、美味しいミートソースやビーフシチューも作れる……」

「飯テロだ〜!」

「成人前でも酒を作る価値はあるな。挑戦してみるか」

「お米から日本酒やみりん、ぶどうからワインですか。日本で材料は揃いますね」

「できたね、新しい目標!」

「アララトなら清々しいまでの違法行為だな」

「ふふっ、そうですね」


 ひょんなことから生活を豊かにすることを考えるようになったのは、二年間でこの生活に慣れた証拠。ですが今はいつかのお酒造りよりも目の前の月です。


「見て、月が昇ってきたよ!」

「うちら、あそこに住んでたんだよね。地球だって思い込んでさ」


 空に浮かぶ綺麗な満月。


 この地球の大地から見ると嘘のようですが、あんな小さな丸の中で自分たちが生まれて、今も二億人近くの人が暮らしていると思うと。みんなの心が、なんだか不思議な気持ちに満たされていきます。


「そいえばうちらって、あっちでは今どうなってんの?」

「死亡扱いです。表向きは」

「そっか」


 アララトの世界からいなくなった光里たちは、表向きにはもう死んでしまったことになっています。きっともうずっと前にお葬式も行われて、月にはきっとお墓もあるのでしょう。


「私たちは、あの場所にちゃんと何かを残せたんだろうか。生きた証だとか、そういう物を」

「うん、残せた」


 あの世界で自分たちはもう死んでしまったのだとして、何かを残せたのかと。心残りを感じずにはいられない小夜子に、光里は断言します。


「ゼクト・オメガと永遠の命を持って、私たちはこの地球にやってきた。私たちが生きてる限り、月の人たちは希望を持ってられる。きっと私たちがあの星に残してきたのは、希望なんだよ」


 例え月の世界ではもう死んでしまっていたとしても、今も自分たちはこの星で生きている。例え見える形で残せたものは少なくても、未来への希望はちゃんと月に残せたんだと、光里は強く信じていました。


「……遠い、ね」

「うん、遠い」


 でもその月はやっぱりずっと遠くて、手を伸ばしても届く気がしなくて。違う世界に来てしまったという気持ちは、やっぱりなくなりません。


「あやちゃん先生、月のみんな……」


 それでも、伝わらないとわかっていても。旅立ちの前に、光里は一つの言葉を残します。


 それは旅立ちの前の、当たり前のあの言葉。


「行ってきます」

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