わかりきっていたこと
(ト)マ
灰皿と時間
湿った空気を含んだ風が、肌に触れた。まだ少し冷たさがある。けれど少しずつ、ゆっくりと、ひそかに世の中は夏へ向かおうとしている。
店を出て、出入り口のすぐ隣に置かれている灰皿をぼんやりと眺める。ありがたいことに二つ、椅子が並べられていた。片方に座り、デニムのポケットから煙草とライターを取り出して火をつける。勢いよく燃え上がる音にほんの一瞬だけ緊張してしまう。何年経ってもだ。
「サオリ吸った?」
店のドアが開く音と同時に、友人の声がした。彼女が動くたびに長い黒髪が優しく揺れていて、わたしはいつまでもその様子を眺めてしまう。
「まだ。というか、今吸い始めたばっか」
「なんだ、サオリ戻ってきたら二軒目行こうって話してるよ」
そう言うと友人は迷うことなくもう片方の椅子に腰を掛ける。「さむ」とだけ小さく声を漏らし、わたしの手元にある煙草を見つめた。
「禁煙はどこへ?」
「した、したよちょっとだけ」
答えると、彼女は少し困ったように眉をハの字にしながら笑う。
「何年目かなこのやり取り」
わたしはしばらく考える素振りをした。もう九年目だと思う。体に良くないと至極真っ当なことを言われ続けて九年だ。そのたびにうまいこと受け流し続けて九年。
煙草はじりじりと確実に燃えていき、かろうじてくっついている灰が限界を迎えようとしている。
「五年は絶対に経ってる」
「九年でしょ」
すかさず友人が返してきたので、わたしはちらりと彼女に目をやった。同時に灰が力尽きて地面に落ちる。指先がほんの少しだけ軽くなった気がした。
「はやいねぇ。サオリがタバコを吸い始めて九年。出会ったのは小学校。まさか君が喫煙者になっているとは」
「来年は十周年」
笑いながらそう言う。煙草を口にし、勢いよく吐く。煙はあっという間に夜の空気へ溶け込んでいってしまった。わたしはおもむろに灰皿へ煙草をねじ込む。「もういいの?」とたずねてきたので、
「みんな待ってるし」
とだけ口にして立ち上がる。
小学校時代に出会って二十年と少し。わたしが煙草を吸い始めて九年。役目を終えたさっきの煙草の命は三分くらい。ああ時の流れは一瞬で、わたしたちはいったいどれくらいその瞬間を大事にできているのだろう。
出ない答えを探すこともなく、わたしは店の中へと戻って行った。
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