第36話 ストロベリーキャンディー

 サーバーの設定が完了し『Step』リリースの準備は整った。

 しかし、ここから先がまた大きな問題だった。

 マスコミがヤツラの手に落ちている以上、大規模なコマーシャルは不可能。


『若干15歳の天才少女が開発した新型SNS』


 十分なネームバリューを誇るはずのその文句も、口コミをする井戸端自体がヤツラの手の内なのだ。ネットの片隅で細々とリリースをしてささやかな集客を行っても意味がない。


 と、戦略会議を続ける江崎のスマートフォンがブルブルと震え着信を知らせる。


「ん? 誰だろ?」


 と、スマートフォンを取り出した江崎の顔がピタリと止まる


『おーい! 江崎くーん。先輩様が戻って来たわよー!』


 通話ボタンを押した瞬間にスピーカーから漏れ出て来たのは、はつらつとした女性の声。


「って⁉ 種村たねむらさん⁉ いつ戻ったんですか?」

『さっきさっき、ついさっきよー。んでさぁ。近くにあなたの事務所があるの思い出して、ちょっと顔見てこうって思ったけど、私も年かねぇ、事務所の場所忘れちゃってさぁ』


 カラカラとそう笑う声が聞こえてくる。


(いや、年って言うか、申女の姉さんの結界の所為だけどなぁ)


 と、江崎はポリポリと頬をかきつつ、会話を続ける。

 この事務所の周囲へは松山――隠神刑部の結界が張られており、通行許可証となる術が施された江崎の名刺がなければ近寄ることすら敵わない。


「ごめん! ちょっと出迎えに行ってくる!」


 江崎はそう言ってバタバタと出かけていった。



 ★



「さっ、どうぞ。まぁ相変わらずの小汚い場所ですが」


 江崎が招いた人物は、すらりと背の高いポニーテールの女性だった。身にまとっているのはカーキ色のミリタリージャケット。収納能力の高いその服にアレコレと物が入っているらしくポケットはどれもパンパンに膨らんでいた。


「いーのいーのそれでこそって奴よ。ジャーナリストなんて生き物に豪華な事務所なんて必要ないの。あるのはカメラとマイクだけで十分よ」


 そう言ってその女性はからからと快活な笑みを浮かべる。


「あー。紹介するよふたりとも。彼女は僕の先輩で今はフリーの戦場カメラマンをやってる種村望たねむら のぞみさん。僕にジャーナリストのイロハを教えてくれた恩人だ」


 江崎の紹介に、種村はペカリと人懐っこい笑みを浮かべてこう言った。


「あはははは。そんな大層な人間じゃないけどねー私。

 で? 君たちが江崎君がさっき話をしてた子たちね?」


 と、道中に江崎から上辺の情報を聞かされた種村は、突然の来客に慌ててソファーから立ち上がり会釈をするいちごと、椅子に座ったまま興味なさげなあやふやな笑みを浮かべるなつめの顔へ遠慮ない視線を向けた。


「あっはっはっはー。いやー事前に話を聞いててよかったわー。こーんなかわいこちゃんたちを事務所に押し込めてるなんて物見たら一発ぶん殴った後、即通報だったわね」

「あはははは……いやー、冗談きついっすよ」


 多分本気でやってただろうなと、種村のことをよく知る江崎はこっそりと冷や汗を流す。

 そんな江崎なことなど関係ないとばかりに、種村はバックパックやスーツケースをどさりと置いた後、遠慮なくいちごの正面へと腰を下ろす。


「で? アナタね? 江崎君が言ってた、天才美少女プログラマって」

「ふえ? いっいや! わたしは美少女なんて⁉」

「だーいじょうぶ、大丈夫。お姉さんが太鼓判押しちゃう! それにキャッチコピーは派手な方がいいでしょ♪」


 種村は一方的に会話を続けつつ、スーツケースへゴソゴソと手を伸ばし、書類だらけのテーブルの上にポンと箱を置く。


「あっこれロシェンのお菓子ね。まぁベタだけど結構外れないから」


 そう言って乱雑にスーツケースに入れられていたため皺だらけになった包装を遠慮なくビリビリと破る。豪快に開けた箱の中には色とりどりの菓子がぎゅうぎゅうに詰まっていた。


「あっ……ありがとう、ございます」


 いちごはそれを見てゴクリとつばを飲み込んだ。

 強烈なPTSDが刻み込まれたいちごは『肉』を連想されるものを受け付けない体になっていた。

 いま彼女の主な栄養源は、総合栄養食として作られたパンやブロックが基本である。

 そうして、固まっているいちごへと、種村は優しい声でこう言った。


「大丈夫。何も怖くない」


 心の内へとしみ込むような陽だまりのようなその声に、いちごはおそるおそる手を伸ばす。

 いちごが手に取ったのはポップなデザインで彩られた小さなお菓子。

 いちごは震える手で、ゆっくりとその包みを開き――


「!」


 ピタリとその手が止まる。

 銀色の包装の中から現れたのは、鮮やかな色をした真っ赤なキャンディーだったのだ。


「ちょ! いちごちゃ」


 慌てて駆け寄ろうとする江崎へ、種村はいちごから目を離さないままそれを制止し、やわかな声でこう言った。


「大丈夫。お菓子は何時だって女の子の味方なんだから」


 自分の手の中にある、鮮やかな、そう、とても鮮やかな赤いキャンディー。

 恐らくそれは、自分の名前と同じイチゴの味をしたキャンディーだろう。

 だが、その色は、あの時の風景を思い出さずにはいられなかった。


「!」


 いちごは目をつぶり、思い切ってそれを口に放り込む。


「そう、大丈夫。アナタはもう大丈夫」


 カタカタと震えるいちごの手にそっと添えられる大人の女性の手。

 その手は普通の女性の手とは違い、ごつごつして傷だらけの物だった。

 それは彼女が歩んできた人生を現している。

 安寧な生活を捨て、砲火が交差する戦場を駆け巡ってきた戦士ジャーナリストの手。

 銃器の代わりにカメラを手に取り、この世の闇を、声なき声を、冷酷な現実を、そしてその中にあるほんの小さな笑顔を、傍観者である世界へと叩きつけて来た者の手だった。


「あ……あぁ……」


 ぽろぽろ、ぽろぽろといちごの目から涙が零れ落ちる。


「甘い……です……」


 人工甘味料や香料、砂糖がたっぷりと使われた、小さな幸せ。

 いちごの脳裏に浮かぶのは、コペラで過ごしていた時代に清水からこっそりと分けてもらったお菓子の味だった。


「あ……あああああああ!」


 それが呼び水となり次々とよみがえっていく過去の記憶。

 だがそれはあの冷たい血まみれの路地裏ではなく、ささやかだが暖かいものだった。


 手で顔を覆い滂沱の涙をながすいちごを、種村は優しく抱き留めこう言った。


「ね、言ったでしょ? お菓子は何時だって女の子の味方なんだから」


 その様子をハラハラしつつ眺めていた江崎は安堵のため息を漏らし、ひっそりとこうつぶやいた。


「まったく、いつも乱暴なんだから」



 ★



「あっはっはっはー。いやー、上手く行って良かったわー」

「やっぱり、何も考えてなかったんですね」


 ジト目で種村を睨みつける江崎へ、種村はいけしゃあしゃあとこう言った。


「まぁまぁ、何事も終わり良ければ総て良しよ。目の前でこんな可愛い子が悲愴に溢れた顔をしてたらほっとけないじゃない」


 いちごの隣へ陣取った種村は、いちごの肩へと手をまわしつつそう笑う。


「ほんと、相変わらずなんだから」


 江崎はそう言ってため息を吐く。

 傍若無人、勝手気儘、ドが付く程の欲張りで、これと決めたら一直線。

 そんな彼女にとってこの国は狭かった。

 小さな島国の中での椅子取りゲームに興味を持てなかった彼女は、より大きく、より直接的な世界の闇へと目を向けた。

 その結果が戦場を渡り歩くカメラマンとしての道だったのだ。


「で? 何を企んでたの?」


 種村は、机の上の資料を一枚手に取り、満面の笑みでそう言ったのだった。

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