第28話 置き土産

 ぐらりと視界が揺れる。

 足腰に力が入らず、りんごは思わず片膝をつく。


「あ……れ?」


 困惑するりんごへ、体の内から声がかけられる。


『ふん。当然だ、先ほどの一撃はまさしくお前のすべてを懸けた一撃。是非もなしと言った所よ』


 したり顔――まぁ顔は見たことはないのだが、でそう言う内なる妖の声に、りんごは苦虫を嚙み潰したような顔をする。

 しかし、奴の言うことももっともだ、そもそもが満身創痍の身ではなった一撃。まさしく全身全霊を懸けた一撃だったのだ。立っていることすらままならないのも当然のこと――


『ふむ。しかし少々面倒なことになったな』

『面倒って――』


 そう問いただそうとした時、内なる妖が何を言いたいのかりんごにも直ぐにわかった。


『近づいて……来る』


 きれいさっぱり窓ガラスどころか、壁ごと吹き飛んだ部屋から見える夜空、その向こうから近づいてくるナニカの群れの姿があった。


「くッ!」


 こんなところで死ねない。

 りんごは歯を食いしばり立ち上がろうとして――


 ガクガクと震える体、精も根も振り絞ったりんごには立ち上がる力すら残っておらず、彼女はそのまま床に倒れ――


「うひひひひ~。ボク、間一髪って所っすかね~」


 やる気のない声とともに、伸ばされた手によって、それは寸前で止められた。


「ッ! アンタッ⁉」

「うひッ⁉ まっ待って! 待ってくださいっす! ボクもう敵じゃないっす!」


 体力はミリほども残っておらず、刀を振り上げる事すらできないりんごだが、けして衰えることない殺気だけを振り絞り、声の主を睨みつける。

 そこには、へらへらと締まりのない顔をしたぼさぼさ頭の丸眼鏡、大積なつめの姿があった。


「うひひひひ。まぁ色々ありまして、不本意ながらボクはりんごさんの味方って言うことになりました。

 まぁ詳しい説明はまた後で。ボクもここから大立ち回り出来るような力のこっちゃいないんで、一目散に退散と行きましょう」


 なつめはそう言って、懐からひび割れた銅鏡を取り出した。


「ん~。まぁ後ギリギリ一回って所っすね~」


 なつめはそう言うと沖津鏡のレプリカへ力を送る。

 パリンと言う音がした。

 床には銅鏡の破片が残るだけだった。





 鏡によって転移した先は、閉鎖されて久しいことが分かる、埃だらけのがらんとした工場だった。

 りんごは放置された廃材の一つに腰かけるとなつめへと問いかける。


「で? なんでアンタなの?」


 いぶかし気に睨みつけるりんごへ、なつめは困ったような顔をしてこう言った。


「いや~まぁ、話せば長くなるような~、そうでもないような~」

「うっとおしい。さっさと話せ」

「ふぅ。はいはい、分かりましたよ分かりました」


 そうしてなつめは渋々ながら口を開いた。





 りんごと松山の姿が消えた事をしっかりと確認した後、ひょっこりと岩場の影から顔を見せたのはりんごに首を落とされたはずのなつめだった。


「ふい~。なんとかやり過ごせたっすかね~?」


 なつめはそう言って、コキコキと頭を動かす。

 最初から罠として地面に伏せていた平家蟹、バフをかけた2体の河童、そして自分と似せた格好をさせ自分の影武者として表に立たせていた1体の河童。

 そう、彼女が操作していたのは4体の妖であったのだ。


「まっ、これでボクも自由の身ってわけっすね~」


 カラカラとそう笑うなつめだったが――


「ほう、それは良かったのう?」


 背後からかけられた声とともに肩に置かれた手の感触に、なつめは思わず悲鳴をあげる。


「ふ? ふえ⁉ なっなんでアナタがここに⁉」


 混乱のあまり上ずった声を上げるなつめ。

 だが、声の主――松山はニヤリと笑ってこう言った。


「かかか。りんごはともかく儂の目を欺けるとは思わんことじゃな」

「ふ? ふぇ⁉」


 なつめは逃亡を考えるが、松山の手はなつめの首に伸びている。今の自分ではどう考えてもそれは不可能と判断した彼女は弱々しく白旗を揚げる。


「かかか。素直でなによりじゃ」

「え。えへへへへ。あの~それでボクに何かようですか~? ご覧の通り無力で無気力なモブキャラですよ~」


 なつめはへらへらと媚びを売る。


「かかか。そう謙遜するでない。主の生き汚さは儂好みじゃ。じゃからちょっとつばを付けておこうかとな」

「ふぎゃッ⁉」


 松山の言葉とともに、首筋に走るチクリとした痛み、そして何かが注がれたことがはっきりと自覚できた。


「あ……あの、いっ、今、何……を?」


 なつめはカタカタと震えながらそう尋ねる。


「かかか。なーにちょっとしたお願があっての、今のはそれの約束手形のようなもんじゃ」

「やっ……約束手形って」


 無理やり押し付けられたソレを約束手形というべきだろうか?

 むしろはっきりと呪いとでも言ってくれればいいのに。

 なつめは心臓に絡みつくナニカに吐き気を抑えつつおずおずとこう訪ねた。


「おっ、お願い……ですか?」

「おうそうじゃ。りんごのバカは一本気なのは良いがちと視野が狭すぎる。そこを主に埋めてもらえれば助かるな、とな」


 松山はそう言って無責任に笑う。


「そっ、そんなのアナタがいれば十分じゃないっすか⁉」


 なつめはそう抗議の声を上げる。

 彼女の正体はすでにわかっている。瀬戸内近縁の大物妖怪、それも狸属性となれば刑部狸をおいてほかはない。自分など虫けらにしか思えないビッグネームだ。


「かかか。まぁそれはそうでもあるが、りんごも同年代のツレがおった方が便利じゃろうかと思ってな」


 松山はあっけらかんとそう笑う。


「いっ、いや~。ボクはそんな器じゃないっすよ~。すぐ裏切るしごまかすし。やる気なんてこれっぽっちもないっすよ~」


 なつめは全力で逃避を試みるが。その願いはあっさりと断ち切られる。


「かかか。儂は主のそういったところが気に入っておるのじゃ」

「なっ、なんっすか? 意味わかんないっすよ⁉」

「ふふ。意味などわからずとも良い。これは保険あそびじゃよ」

「そっ、そんな~……」


 なつめはへなへなと腰を下ろす。

 せっかく作戦行動中行方不明MIA扱いになれるチャンスだったのに、ここで刑部狸の手に落ちるなら同じことだ。

 恐ろしいボスの手から逃れられたと思ったら、今度は敵方の手に。裏切者の札がつく分、さらに自由度は低下する。

 そうへたり込んだなつめに松山は意地悪な笑みを浮かべる。


「かかか。儂からの願いは単純じゃよ――」





「ってなわけで、おっかないお姉さんにアナタに協力するようにお願いめいれいされたのですが~」


 と、そこまで喋ったなつめはきょろきょと周囲を見渡した。


「あれ? 修羅場が来そうだったので一目散に逃げだしましたけど、そういやあの人は?」


 そう、小首をかしげるなつめへ、りんごは感情を押し殺しこう言った。


「松山は死んだわ」

「……あ~」


 その言葉に納得したのか、なつめはこくこくと小さく頷き――


「どこに行こうとしてるのかしら?」


 ジリと後ずさろうとしていたなつめの足が止まる。


「え? いや~うひひひひ。依頼者がお亡くなりになったのなら契約もチャラかな~なんて?」


 そう言ってへらへらとした笑みを浮かべるなつめへ、りんごは冷たくこう言い切った。


「バカね、あの狸婆の呪いが死んだぐらいで解ける分けないじゃない。

 むしろ逆、解除する手段がなくなったと見るべきよ」

「うっひひひひ……。

 はぁ……まぁ、そうなりますよね……」


 なつめはそう言ってがくりと肩を落とす。

 それを見たりんごは嗜虐的な笑みを浮かべてこう言った。


「当り前よ、あの狸婆がそんなお優しいわけないじゃない。

 まぁそんなことはどうでもいいわ。要するにアンタは私の下僕になったってわけね?」

「うひ? うひひひ……いや~まぁ、何と言いますか~」

「下僕でも奴隷でも何でもいい。あの女に協力した分際で私に殺されないだけましと思いなさい。

 いいわ、それじゃ最初の命令ね」


 そして、りんごは曖昧な笑みを浮かべるなつめへ指令を下すのであった。

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