第12話 相対
全身を濡らす生暖かい液体、それは命そのものだった。
「……えっ?」
「あん?」
2人の声が同時に上がる。
そして、その間に挟まれた人物は――
「だい……じょう、ぶ……わた……」
そこまでだった、心臓を貫かれた清水はそれを最後の言葉として絶命した。
「そん……」
突如割り込んできた清水によって突き飛ばされたいちごは、彼女の血を全身に浴びながら言葉を失う。
そして――
「ッんだよお前! あけびちゃんの邪魔してんじゃねぇよッ!」
自らの行動を阻害された少女は、苛立ちのまま清水を貫いた手を横に振った。
轟音が鳴り響き、清水だったものが壁面に叩きつけられる。
「やっ……やめっ……て」
りんごが発したか細い声は、激高したあけびには届かない。
「やっ……やめて!」
自分の代わりに凶刃に貫かれてしまった女性はあけびの八つ当たりによって、何だか分からない物体になっていく。
「止めてッ‼」
恐怖を忘れ、りんごは目の前の脅威にすがりつく。
だが、そんな行為に何の意味もない。
既に事は終わってしまっているのだ。
「あーん?」
一通り暴れ尽くして固形物がなくなったことを確認したあけびは、そこで初めて自分にしがみつく存在に気が付き、ゆっくりと振り返る。
「あっ! なーんだ! 待っててくれたのね! いちごちゃんいい子!」
そう言い満面の笑みを浮かべるあけび。
その時すでに、彼女の脳内からはさっきまで自分が執着していたモノの事は消え去っていた。
「あ……う……」
狂人の狙いが自分に移ったことを理解したいちごは、もはやどうしていいのか分からなくなる。
「うっふふー! さーて何すりゃいいんだっけ? 殺せばいいんだっけ? 連れて帰ればいいんだっけ?
まっ! どうでもいいや! とりあえず足一本いっとくか!」
あけびはそう言って大きく腕を振り上げて――
「随分とはしゃいでるじゃないかお前」
その声に、苛立たしげに顔をゆがめ、ゆっくりと背後を振り返った。
カツカツと、硬質な足音を響かせ歩み来る何か。
逆行を背にしたそれは、ナイフのように鋭くとがった目を光らせ、紅いスカジャンを風に揺らし、片手には一振りの日本刀を携えていた。
「!」
それを目にしたあけびは大きく目を見開き、満面の笑みでこう言った。
「きゃはははは! アンタりんごでしょ! りんご! 聞いてる! あけびちゃんアンタのことはよく聞いてる!」
けたけたとそう笑うあけび。
りんごはそれに反応することなく、無言で歩みを続ける。
「きゃはははは! マジウケる! 下らないお使いに来たらアンタみたいなのに出会えるなんて!」
真新しいスマートフォンを無造作にポケットに突っ込み、あけびを見据えたままズカズカと距離を詰める。
「……よく回る口ね」
「そー言うりんごちゃんはちょっとコミュ障はいってなーい?」
そして2人は一足一刀の間合いで対峙する。
「うふふふふ。それじゃー改めて自己紹介。
わたしちゃんは来栖あけび、被験体0001578、アンタの後輩よ♪ よろしくねせ・ん・ぱ・い♪」
あけびはそう言って芝居がかった挨拶をする。
「被験体?」
その単語に、りんごの眉がピクリと持ち上がる。
「うふふふふ。そうよー。アンタみたいな時代遅れのロートルとは違ってわたしちゃんは最新型の個体なのよ♪」
満面の笑みでそう言って胸を張るあけび、それに対してりんごは心底くだらなそうにため息を吐き――
キン!
と、硬質なもの同士がぶつかった音が木霊する。
「きゃはははは! 先輩って随分せっかちなのね!」
狭い路地裏に、甲高い衝撃音が途切れることなく鳴り響く。
りんごが手にするのは逢魔が時を凝縮したような紫色の日本刀。
それを相手取るのは、あけびの指先に長く鋭くとがる極彩色のネイルだった。
打ち合ったのは10秒にも満たない時間。
だが、たったそれだけの間に、2人の刃が交差した回数は100を超えるだろう。
ぬるりと、りんごは極限の間合いよりさらに半歩詰める。
りんごの持つ刀の刀身はおよそ60㎝強、それに対してあけびの爪はおよそその半分。
息が触れ合うほどの接近戦となれば、小回りの利くあけびの方が有利に働くのは火を見るよりも明らかだ。
りんごの不可解な動きに一瞬ピクリと眉を持ち上げたあけびだが、あれこれモノを考えるより先に、彼女の闘争本能は目の前の標的へと双爪を走らせ――
「……あれ?」
だが、あけびの攻撃は空を切る。
そして、目の前の少女は、そのまま無言であけびの横を素通りした。
「な……に?」
何が起こったのか。あけびは訳が分からないまま、自分の横を悠々と素通りする少女を目で追おうとして――
「きゃっ⁉」
バランスを崩して横転する。
「あっ? あれ?」
いったい自分に何をされたのか、混乱する思考をまとめることもできないままに起き上がろうとしたあけびは――
「あ……ああああああああああああ!」
自らの両腕が断ち切られていることにようやく気が付いた。
★
「立ちなさい、いちご。ここに居たって時間の無駄よ」
りんごは背後の悲鳴を無視して、目の前の少女へ冷たく語り掛ける。
「あ……あ、あ……」
だが、地面にへたり込んだ少女は焦点の定まらぬ瞳で、言葉にならない呟きを漏らすのみ。
(無理、か。まぁそれもそうね)
りんごはちらりと横目で、大きくひび割れた壁を、いや、正確にはその下を見る。
そこにあったのは、まさしく血の池と言うより他はない物体だった。
元がなんであったのか判別不能。一面に広がる紅とそれを飾る細かな白。
人間をミキサーにかければ出来上がるだろう、酸鼻を極めたトマトスープ。
「チッ!」
りんごはしたうちをひとつして、動けないいちごへと手を伸ばす――
「フッ!」
キンとひと際甲高い衝撃音が鳴り響く。
背後を振り返ることなく振りぬいたりんごの刃はその迫りくる何かを打ち払った。
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