第8話 刃の行方

「いっいやあああああ!

 ばっ化け物! こっ来ないで!

 痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――‼」

「駄目! 限界です! 鎮静をかけます!」


 ベッドに縛り付けられた河口の腕から伸びたチューブにシリンジの液体が注入される。

 目を見開き口の端から血と泡を漏らしていた彼女は、その液体が巡るにつれ、次第に瞼を落とし眠りの世界へと旅立って行った。

 勿論、その世界が安寧なものかは本人以外には分からないが。





「……なにか。猛烈な、およそ人間には耐えきれない恐怖体験をしたことによるPTSDだと思われます。

 長期間の加療を必要としますし、それが功を結ぶかは現時点では……」


 尻すぼみとなる医師の言葉の最後に礼をかぶせた雪代は、静かに通話ボタンをオフにした。

 河口小百合、彼女はコペラ旗揚げの頃から一緒だった最初期のメンバーである。


「ふぅ」とため息一つはき、キリと表情を引き締める。


 判明してる敵は2人。

 その内1人のデータは判明している。


「被験番号0000311、青山りんご」


 その名をポツリと呟く、その全資料はすでに頭に入っている。


「あのお方の戯れのひとつ」


 脳裏に浮かぶのは、自分が知る限り最も有能で、最も強力で、そして最も恐ろしい女性の姿。


「その不良品にしてあのイレギュラーの妹」


 次に浮かぶのは得体のしれない少女の姿。

 おとぎ話の登場人物のように純粋無垢な形をした理解不能の存在。

 あのお方の部屋で花の様な笑みを浮かべ紅茶を飲んでいたのを、偶々一度だけ見たことがある。


「そして今回判明した謎の女」


 調査結果からすれば、あのお方から派遣される人員と同じ種族、すなわち妖怪と呼ばれる超常の存在である事は分かっている。

 ただ、どの映像を確認しても、その姿には靄がかかっていて和装をしているという事ぐらいしか分からなかった。


 そして今回の結果からすればその戦闘能力は破格の一言。並大抵の兵力では太刀打ちできないことが実証された。

 

 ブルリと背筋が震える。

 カウンターとして打ち出した勢力が一撃で粉砕されたことにではない。


 その事実をもってしてなお、味方の勢力が恐ろしい。


「今優先すべきは逃げ出したあの少女」


 優先順位を間違えてはいけない。

 ただの人間である自分に、あの2人を何とか出来る術はない。


 だが、逃げた少女は恐らく敵に――あの2人の側に確保されたに違いない。

 なんの後ろ盾もない15歳の少女が、我々の監視網からそう易々と抜けられるはずがないからだ。


 しかし、やるべきことに変わりはない。

 自分は自分のやれること、それはすなわち情報工作。


 あの少女が重要データを持ち出せたとは考えにくい。

 だが、念には念を。


 官民一体、はてはマスメディアやインターネットまでも総動員して運用されているこのスキームをそう易々と崩されるとは思わない。

 人権や弱者保護と言った聞き覚えの良い言葉を盾にすれば、それに歯向かうものは差別者のレッテルを張られることとなる。

 その無敵の盾の裏で、合法的に公金を自分たちの懐へと流し込む――


「……流し込んで」


 流し込んで、それが何になるというのだろう。

 ごくたまにそう言った考えが脳裏に浮かぶ。

 普段なら激務の中に埋もれてしまっている幼稚な考えだ。


「余計なことはいらない」


 己の中に燃え続けるのは幼き頃の地獄の日々。

 誰も助けてくれなかった、自分の声はどこにも届かなかった。

 だが、今は違う。

 若年女性保護活動の第一人者となった自分の言葉は、この国の隅々まで瞬く間に届く程になった。


「復讐してやる」


 消えることない憎しみの炎。

 幼き自分を救ってくれなかったこの国のシステム、その全てを燃やし尽くす。


 炎に巻かれながら歩み続けるひとりの女。

 だが、火災に巻き込まれたものが視界を奪われ容易く方向感覚を失うように、憎しみの炎に焼かれ続ける彼女もまた、その炎によって進むべき道を見誤っている事に気付かずにいた。





「復讐してやる」


 ある日の深夜、土砂降りの森にて見つけたゴミ――もとい人間は満身創痍の身でありながら、その殺意に一片の曇りなく呪詛の言葉をそう吐いた。


「かか、かかか。そのなりでか?」


 面白いものを見つけた。

 和装の美女は手にした蛇の目傘をその人間にかけてやる――という事はなく、傘の下で悠々とキセルを吹かせつつそう笑った。


「関係ない。あの女は私が殺す」


 瞳に映るは地獄の炎。

 どれだけ闇が覆うとも、決して得物を逃さない決意を込めたものだった。 


「かかか。面白い」


 美女はそう言うと、へし折れた木にもたれ座り込んでいる少女に向けて、キセルの煙を吹きつける、 指一本たりとて動かすことのできないその少女は、それをまともに浴びる事となる。


「な――」


 少女の抗議の言葉は、煙の中に消えていった。





 深夜の公園、ベンチに腰掛ける2人の女性の姿があった。


「かかか。それで今日は空振りか?」

「そーね。ハエが一匹飛んできたけど、あったこととすればそれぐらいよ」


 りんごはいつものしかめっ面を、いつもよりさらにむくれさせてそう言った。


「かかか。まぁ、それもそうじゃろうな。そこな首魁である女は今日は講演で他所に飛んでおる」

「……は?」


 ニヤリといやらしい笑みを浮かべる松山は、これ見よがしにスマートフォンをりんごの前に差し出した。


「……って、何よこれ! こんなの知ってるなら先に言いなさいよ!」

「かかか。じょーじゃくのお主が悪い」


 松山はそう言いつつスマートフォンを袖にしまう。


「くそっ、かび臭い妖怪の癖にスマホなんて持ってんじゃないわよ」

「かかか。お主は以前あの小僧から都合してもろうて無かったかの?」

「はっ? あんなの速攻で壊れたわよ」

「何じゃ全く、相変わらず不器用な娘じゃのう」

「壊したんじゃない。勝手に壊れたのよ勝手に。そもそもが華奢な作りをしてるアレが悪いのよ」


 2人はペラペラととりとめのない話を続けていたが、ふいに松山はりんごにこう問いかけた。


「のうりんごや。お主、仇討ちを止めようとは思わんのか?」


 それは砂糖菓子のように優しく甘い言葉だった。

 あねの居場所は分からない、だがこの国の中枢付近にいることは確定している。

 勝てるかも分からない戦い。

 それは視界の閉ざされた暗闇を歩き続けるに等しいことだ。

 その問いかけに対し――


「は? 当り前じゃない」


 りんごはそう即答した。

 目標がどんなに遠くとも、道がどれだけ険しくとも。

 誤ず違えず、ただひたすらに真っすぐに突き進む。

 これまでもそうやって来た、これからもそうやっていく。

 ただそれだけの話。

 その何気ない一言には、その足跡が刻みこまれていた。


「かかか。まぁお主ならばそう言うわな」

「何よ、気持ち悪いわね」


 破顔する松山に、りんごは気持ち悪そうに顔をゆがめたのだった。

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