第27話 交渉
レイナちゃんが話していたようにフレディア領には畳という文化が浸透しているようだ。
一見洋風のお城だが、邸内に一歩足を踏み入れると、通路は一面畳張りだった。
玄関で靴を脱ぐと、俺たちはグラサキ子爵に連れられて座敷へと案内されて、そこで昼食をご馳走になった。
なんでもフレディアでは川魚を食べる文化が根付いているようで、鮎のような魚の賜与焼きがとても美味でした。
久々に和食を食べたような気分になり、一人満足しているとお茶が出てくる。
「グリーンティーです。フレディア領では多くの領民がこの飲み方を好みます」
そう言われてティーカップに入った緑茶を眺める。
なんかティーカップに入っている緑茶は少し違和感があるなぁ……。
が、飲んでみると普通に美味しい緑茶だった。
うむ、これはお土産として買って帰ろう。
そんなことを内心決意しながらお茶を啜っていると、正面で正座をするグラサキ子爵が首を傾げる。
「ところで、本日、フレディア領にいらしたのには何か理由があるのではないですか?」
まあ、普通に考えて意味もなく領主が直々に他領を訪問することはないからな。
向こうも何かしら重要な話があるのかと身構えていたようだ。
ならば、話が早い。
俺はカップを置くとグラサキ子爵へと視線を向ける。
「フレディア領の余剰生産物をアルデア領で引き受けたい」
「はて? 余剰生産物……ですか?」
「えぇ、フレディア領の余剰生産物をアルデア領が固定価格で買い取り、我々アルデア領の独自のルートを利用して輸出しようと考えております」
もちろん独自ルートというのは西グレド貿易会社のことだ。
前にも説明したとおり、この西グレド貿易会社は現在カクタ商会のカクタによって運営されている。
そして、そのカクタから数日前に資料が送られてきた。
その資料は主に、グレド大陸で生産することが困難で、かつグレド連邦の魔族たちに需要のある商品が列挙されている。
どうやらカクタはアルデア領から農作物から工芸品にいたるまで、あらゆるものをグレド大陸に持ち込んだようで、直売店を通じて魔族の方々の需要を調べていたらしい。
直売店での売り上げを参考に、需要の高い順に商品名が書かれている。
カクタっち、ホント有能っすわ……。
だてに総合商社を営んでいなかったようだ。
資料には必要量や売り上げ見込みなども書かれており、どの商品をグレド大陸に運べば良いか一目瞭然だ。
俺はフレディア領に出発する前に、あらかじめ資料とフレディア領の生産物を照らし合わせておいた。
俺がレイナちゃんに説明を求めるまでもなく蒸留酒の存在を知っていたのもこの資料のおかげだ。
「フレディア領では『クラマ』の生産を制限されているそうですね?」
「さすがはローグさま、よくご存じで」
やっぱりフリードの報告は正しかったようだ。
フリードの報告ではフレディア領では市場価格の下落を防ぐために『クラマ』の製造を領法で厳しく規制しているのだという。
その結果『クラマ』の製造は一種の既得権益化しているようだ。
ここがボトルネックになって、せっかく働き手が長い年月をかけて製造技術を手に入れても蒸留所を増やすことができない状態が続いているらしい。
ちなみにグレド連邦の方々は大酒飲みが多いらしく、神水で作った『クラマ』は高額で転売されるレベルの人気らしい。
資料にもかなり上の方に『クラマ』が記載されていた。
「私はまだ10歳ですので楽しむことはできませんが『クラマ』は神水を使った、とても上質な酒だと聞いております。きっと他国でも多くの方々の舌を満足させるかと」
「なるほど……」
と、グラサキ子爵はあごひげに触れながらうんうんと頷く。
どうやら手応えは悪くないようだ。
が、子爵は不意に眉をしかめた。
「ですが『クラマ』の蒸留所の新設となると、蒸留所の新設のための費用や住民の立ち退き費用に莫大なお金を要します。せっかくの提案ではありますがすぐに首を縦には振れません」
でしょうね。
そりゃ設備投資をするとなると、それ相応のまとまったお金がかかる。
アルデア領が固定価格で買い取るとは言っても、設備投資をする以上リスクがないわけではない。
だけど、そんなことは織り込み済みだ。
「蒸留所の新設についてはアルデア領にお任せください」
「お任せ……ですか?」
「はい、蒸留所の建設費用はアルデア領から無利子無担保でお貸ししましょう」
そんな俺の言葉にグラサキは目を剥いた。
そんな彼を無視して、俺はレイナちゃんに視線を送る。
すると、彼女はあらかじめ用意しておいた四角いアタッシュケースのような鞄を俺に手渡した。
鞄を受け取った俺はパチンと留め具を外すと、鞄を開ける。
ケースにはアルデアの預かり証の束が無数に収められていた。
「はて……これは?」
が、預かり証を見たことがないグラサキ子爵は不思議そうに首を傾げる。
「これはアルデア領で流通している貨幣だと考えていただいて結構です。この貨幣があればアルデア領の大工は間違いなく工事を請け負います」
「なんとも変わった貨幣ですな……」
子爵は「失礼っ」と断りを入れて札束を持ち上げると、奇妙そうに札束を眺めた。
まあ、コインベースの貨幣しか見たことのない子爵にとっては、これで物が買えるのが不思議で仕方がないだろう。
が、少なくともアルデア領民はこの紙切れで動いてくれる。
そして、これこそがわざわざ預かり証だてで貸し付けを行う理由だ。
というのも、ここのところアルデアでの大規模修繕事業は落ち着き始めている。
預かり証で貸し付けをすれば、子爵は否応なしにアルデアに工事の発注をせざるを得ない。
その結果、アルデアの余剰労働力を蒸留所建築につぎ込める。
あとは預かり証だてにしておけば、子爵は返済の際に貨幣を預かり証に両替する必要があるため、外貨がたんまりアルデア銀行に入ってくるというおまけ付きだ。
ついでに言えばこれを機にフレディア領でも預かり証が流通してくれれば、間接的にフレディア領の経済を支配できるのだけど、まあそれは高望みだ。
「これで人が動くとは……信じられませんなぁ……」
そりゃそうだ。だって、ただの紙切れだしな。
「もしもアルデア領民がこの紙で動かなければ、その時はどうぞ、そのままその貨幣をお返しください。別の貨幣での貸し付けを考えましょう」
「うむ…………」
と、またひげに触れながら子爵は考える。
「しかし、なんとも我々フレディアにとって都合のいい話ですなぁ……」
「そうでしょうか? 我々も貿易の際に手数料を上乗せして販売しますのでお互いにとってWINWINかと……」
「う~む……」
どうやら子爵は裏があると思っているようだ。
そして、そんな子爵の疑念は間違っていない。
俺はそんな子爵に苦笑いを浮かべる。
「実は本当の理由は領土防衛なんです」
「領土防衛? それはいかに?」
「グラウス海軍大将、契約証を」
レイナちゃんは「ははっ」と契約書を俺に手渡した。
「契約書のこの欄をご確認ください」
そう言って契約書を指さす。
そこにはフレディア軍が領境を越えてアルデア領に侵略をした場合と、その他の軍がアルデア侵略のために領境の通過するのを許可した場合、借金を即座に回収、さらには新設された蒸留所の所有権がアルデア領に移ると書いてある。
「な、なんとも物騒な文言ですな……」
「それはお互い様です」
俺はさらにその下の文言を指さす。
そこにはアルデア軍が領境を越えて侵略した場合と、その他の軍がフレディア領の侵略のために領境を通過した場合、借金の返済の必要がなくなり、逆に貸し付けた金額と同額の賠償金をフレディアの通貨建てで支払うと書かれている。
子爵は文言を読んでしばらく考え込んでから俺を見やった。
「なるほど……相互不可侵が目的というわけですな」
「えぇ、我々の領土はその多くを接しております。お互いの不可侵を確認し合うことは重要かと。国王陛下の年齢も年齢ですし、仮に継承争いなどに発展した場合、この条約は大きな意味を持ちます」
「お言葉ですがローグさま、このような条約を締結したとしても、我々がそれを無視してアルデア領に侵攻し、アルデア領からの貸し付けも踏み倒すことだってできるのでは?」
そう言って子爵は皮肉っぽく笑う。
こんな紙切れにどういう意味があるのかと言いたいようだ。
が、それを子爵が口にしても説得力はない。
「アルデア領とフレディア領はこれまで長きにわたって良好な関係を維持して参りました。ですから今の言葉が子爵の冗談だということは重々理解しております。ですから、私がこれから話すことも冗談だと思い聞き流してください」
そう言って俺は笑みを浮かべる。
「フレディア領にとって神水は生活に欠かせない、いやそれ以上に大切な神聖な存在だと私は理解しております」
「ですな」
「湖の管理権はフレディア領にございますが、その周りはアルデア領に囲まれております。守備兵を制圧し、湖を汚染させることはそこまで難しいことではありません」
もちろん冗談だ。
そんな俺の冗談に子爵は引きつった笑みを浮かべる。
が、目は笑っていない。
まあ、仮に侵略されたとしても、そこまで残虐なことをするつもりはないけどな。
だけど、地政学的な優位を貿易に生かさない手はないからな。
それに最初に仮定の話をしたのは子爵の方なんだからね……。
「あははっ。冗談と言ったではないですか。とにもかくにもお互いにとって不可侵を約束することは大きな意味を持ちます。子爵からの良き返答を期待しております」
そう言って俺は場を和ませるように笑みを浮かべた。
「そ、そうですな……前向きに検討いたしましょう」
子爵は引きつった笑みのまま、俺にそう答えた。
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