第15話
「
夕飯後、そう言って部屋に入ってきたのは母さんだ。
この前のスイカのことがあったので、わざと二人だけで話すために上がってきてくれたのだろうと予想がついた。
「うん、食べる。
「そう、この間完敗したからって、お父さんがリベンジに燃えてるの」
ふふ、と笑って、母さんは水羊羹が乗った小皿を差し出す。
薄墨色のツルンと艷やかな表面は、涼やかで夏にぴったりだ。
「掃除、お疲れ様。最後まで良く頑張ったわね」
「うん。……いつも洗濯物増やして、ごめんね」
「あら! かわいいこと言うわねぇ」
母さんが笑うので、守流は軽く顔をしかめた。
約十日間、帰って来たら泥だらけの服を出すだけで、後は母さんが全部きれいにしてくれたことを感謝していたが、口にしたことはなかった。
『かわいい』なんて言われたら、もう素直に『ありがとう』とは続けられないではないか。
守流がそう思った時だった。
「それで、きゅうりあげてたの、
「ぶっっ! ごほっ、ごほっ」
「やだ、守流! 大丈夫!?」
突然投げ掛けられた問いに驚いて、守流は盛大にむせた。
水羊羹を口に入れた瞬間じゃなくて良かった。
渡されたお手拭きで口を
「えっと、……
「河童の喜八くん。一緒に掃除してたの、お祖父ちゃんの友達の喜八くんでしょ? 今日、ちょっと姿が見えた気がしたんだけど。違うの?」
あまりに当然のように言われて、守流の方がぽかんと口を開けるが、母さんはそんな反応を見て「やっぱり〜」と嬉しそうにしている。
「な、何で? 何で喜八のこと知ってるの?」
「言ったでしょ、子供の頃川で遊んだって。喜八くん、一緒にザリガニ釣ってたもの」
母さんは、うんうんと小さく頷いたが、呆然としている守流を見て、少し笑う。
「最近、守流が急にお祖父ちゃんの話をするようになったの何でかなぁと思ってたの。喜八くんに会ったからだったのね」
とても驚いたけれど、当たり前に話す母さんを前にしていたら、守流はようやく落ち着いてきた。
「母さん、子供の頃、喜八が河童だって信じてたの?」
「ん〜、どうかな。多分、どっちでも良かったんだわ」
「どっちでも良かった?」
「そう。本当に河童でも、そうじゃなくても、どっちでも良かったのよ」
母さんは水羊羹を一口食べる。
「水羊羹、お祖父ちゃんの大好物だったの。ねえ、守流、知ってる? 水羊羹って、寒天で作るの」
「え? あ、うん、知ってる。白くて固いやつ、溶かすんでしょ?」
四角い棒状になって売られているのを見たことがある。
「そう。それね、テングサっていう海藻から出来てるのよ」
「海藻? わかめみたいな?」
母さんは笑いながら頷く。
そんな物が材料だなんて、守流は全く知らなかった。
「そうやってね、知らないこといっぱいあるのに、困らずに生活って出来るじゃない? だから、喜八くんのこと不思議だなって思っても、そんなものかなって思ってた。だって、喜八くんはお祖父ちゃんの大切な友達で、あの頃のお母さんにとっても、大好きな友達になってたから」
河童でも、河童じゃなくても友達。
確かに、今の守流にとっての喜八も、いつの間にかそういう存在になっている。
守流は噛みしめるようにゆっくり頷く。
「……うん、分かる気がする」
「ふふ。喜八くんが元気そうで良かったわ」
母さんが最後の水羊羹を口に入れた時、階段を上がってくる軽い足音が聞こえた。
上がってきた望果は、母さんが守流の部屋にいるのを見て少し嫌そうな顔をした。
「お母さん、またお兄ちゃんといる」
「あら、もうゲーム終わったの?」
「だってお父さん、弱いんだもん」
そう言った望果は、守流に向かって頬を膨らませる。
「二人だけでないしょ話して、ずる〜い」
「……別に内緒話じゃないし」
否定したが、望果は拗ねたような顔のままだった。
翌日、用水路に行った守流は、母さんから渡されたきゅうりを喜八に渡した。
「チ、チヤコから!!」
きれいになった用水路に立った喜八は、細目を見開いて真っ赤になった。
その後、くふふと変な笑い方でくねくねしながらきゅうりを噛った。
「チヤコ、オレのこと覚えてたんだぁ」
「うん。元気で良かったって言ってたよ」
守流の言葉を聞いて、喜八は笑みを深めた。
「そっかぁ。オレが消えなかったのは、チヤコが覚えてくれてたからなんだ」
「え?」
「カンシチが死んで、オレはもう消えるんだと思ったんだ。でも、消えなかった。オレのこと、誰が思い出してくれてるんだろうと思ってたけど……そっか、チヤコだったんだ」
くふふ、と、喜八は再び笑う。
「僕もずっと覚えてるから!」
思わず、守流は声を上げていた。
喜八が細目を瞬いて守流を見上げる。
「……これからもちゃんと覚えてるから、消えないでよ、喜八」
何だか照れくさい気持ちになったけれど、ちゃんと言えた。
きれいになった用水路を目の前にしていたからか、素直に言葉を口に出せた。
喜八は、大好物のきゅうりを噛った時以上に、嬉しそうな顔をしていた。
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