第5話

「おやつ食べようぜ!」


拓人がナップサックをゴソゴソし始めた。

どうやら網で上手くザリガニが捕れないので、気分転換することにしたらしい。


「おやつ? 何か持ってきてたの?」

「じゃーん! あんパンとクリームパン。あ、でも手を洗うところがないな」



「手、洗いたいのか? ここに来て手を出してみなよ」


用水路から生活道路に片手をついて、キハチが手招きする。

守流と拓人が近付いて手を出せば、キハチは用水路の水を両手ですくい上げた。


その両手の中で、水は一瞬、仄かな光を放つ。


「きれいな水だぞ。飲んでもいいぞ」


そう言って、二人の手をすすぐようにチョロチョロと上からかけた。

水は夏の日差しに照らされていたとは思えない程冷たくて、気持ちがいい。




守流の中に、一瞬、爽やかな青葉の香りと、湿った土の匂いが通り過ぎて、とても懐かしいような気持ちになった。




「キハチ! すごいな! 浄水したのか?」


興奮気味の拓人の声で、ハッとした。


「浄水って?」

「汚れた水をきれいにしたってことだよ」


守流の説明に、キハチは大きく頷いて胸を張った。


「うん。河童の役目だもん」


守流はネットで見たことを思い出した。

キハチと出会ってから気になって、河童ってどういうものか調べたのだ。

河童は有名な妖怪で、水辺の近くでイタズラするように書かれてあったが、それと同時に、水神、またはその依り代だとも書かれてあった。


キハチは、水の神様の仲間なのかもしれない。



「キハチは水をきれいに出来るのに、なんでゴミ拾いしてるの」

「水をきれいにしても、ゴミだらけじゃすぐ汚れちゃうもん」


守流の疑問に、キハチは当然のように答えたが、その目線は拓人が手にしている袋入りのパンに釘付けだ。


「なあ、なあ。それ、食うの?」


よだれを垂らしそうな顔で聞くキハチを見て、拓人が笑う。


「食べたいんだろ? 分けてやるからこっちに来いよ」


用水路から生活道路を挟んで、ちょうど町田さんの家の隣には空き地がある。

雑草が伸び放題の空き地の端に腰掛けて、拓人が手招きすると、キハチは少し躊躇ちゅうちょしたものの、用水路から上がって来た。

濡れた足が、ペタペタと焼けた道路で音を立てた。


「キハチ、あんパンとクリームパン、どっちがいい?」


拓人がキハチにパッケージを見せた。

昔ながらのパッケージには、どちらも大きな字で『あんパン』『クリームパン』と書かれてある。


「あんパン! あんパン好きだ! あんパンどっちだ?」

「書いてあるだろ。こっちだよ」


パッケージを破き、拓人があんパンを半分に割って差し出す。

キハチは目を輝かせて受け取り、かぶり付いた。

細目が一瞬見開かれて、キラキラと光を弾く。

黒だと思っていた瞳は、濃い緑色に見えた。



ガツガツと食べるキハチの様子に、拓人と守流は、クリームパンを分けながら笑う。


「意外だな。河童はきゅうりが好きなのかと思ってたけど」

「きゅうりは最高! でも、あんパンも好きだ。甘いし!」


河童って、甘いもの好きなのかな。

そう思いながらも、さっき疑問に思ったことを守流は口にする。


「キハチ、字が読めないの?」

「読めない。河童は“学校”行かないもん」


ペロリと半分のあんパンを食べ終わったキハチは、守流の手にある半分のクリームパンを凝視している。

守流は、それを更に半分に割って差し出す。


「でもキハチ、僕の名前は読んだよね?」

「マモルの名前は読める! だって、カンシチに教えてもらったもん」

?」


どこかで聞いたことがあるような名前に、守流が首を傾げた時、キハチが突然力なくへたり込んだ。

驚いた守流と拓人の前で、地べたにへたり込んだキハチは、何だか身体が萎んだみたいに一回り小さくなった。


「キハチ!?」

「うう…、干乾びちゃう……」

「ええ!?」


よく見れば、少し小さくなったキハチの身体は、半ズボンからむき出しの足がカサカサになっている。

驚いて目を見張る二人の前で、キハチの身体は更に縮む。



「何やっとる! 早く水につけてやらんか」


突然の大声に振り返れば、ペットボトルのお茶を持った町田さんが、玄関から出て来たところだった。


「干乾びてしまうぞ、早く!」


言って用水路を指すので、守流と拓人は急いでキハチを持ち上げた。

小さくなったキハチは、子猫を持ち上げるくらいの重さしかない。


急がないと!


二人は、必死でキハチの身体を抱えて走った。

大人の身長ほどある用水路へ投げ入れるのは躊躇ためらわれて、守流はとっさに先に用水路に降りた。

拓人からキハチを受け取ると、そっとその身体を水に浸ける。


既に腕までカサカサになっていたキハチは、水に浸けた途端、まるでスポンジが水を吸うように肌のツヤを取り戻した。



「はぁ〜、シワシワになるかと思ったぁ」


用水路の底に座り込んだまま、キハチが言った。




「河童が水から離れるとは、無茶するのぉ」


気が付くと、道路端に座り込んだ拓人の側まで町田さんが歩いて来ていて、呆れたようにキハチを見下ろしている。

拓人が見上げて尋ねた。


「町田さん、キハチが河童だって信じてるの?」

「信じるも何も、ほれ、こうして目の前にいるからな」


町田さんが指差せば、指されたキハチはツヤツヤの肌を水で濡らして、へへへと笑う。


キハチはどうやら無事な様子だ。

守流は安心して、用水路の底に立ったまま脱力した。



足首の周りをサラサラと流れていく水がくすぐったくて、何だかとてもホッとした。


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