2月2週 「すごいね、愛だね」

「来週の火曜日、楽しみにしててね?」



 週中の水曜日。 今日は春波の作った弁当を食べながら、春波のクラスの教室で向かい合う水瀬が嬉しそうにそう口にした。



 この1週間程でもう何回聞いたかわからない言葉を春波は大人しく受け止めている。 すると何度かの席替えをしたものの再び隣の席になった灯理が友人の安芸あき陽葵ひまりと共に呆れたように声をかけた。



「水瀬、楽しみなのは解ってるけどおんなじこと言うの何度目なのよ」


「多分前日までずっと言ってると思う。 お恥ずかしながら付き合ってから初めてのバレンタインで浮かれまくってるから」


「ですってよフカミン? 今のお気持ちは?」


「……嬉しいけども、あまりからかわないでくれよ安芸あきさん」


「もう諦めなさいフカミンよ、周りはこれに慣れきってますことよ」


「うぐぐぐぐ……」



 バレンタインが近づくにつれ、春波の目から見ても水瀬がソワソワとしているとのが分かった。 真優良達と一緒に手作りをするとは聞いているし、今まで親と叔父の家族達、幼馴染みの妹くらいからしかチョコレートをもらったことが無かったので、恋人からのそれは素直に嬉しく思っていた。



「当日は本命以外なら貰ってもいいからね」


「おー、束縛系彼女だ」


「貰う気ないし、そもそも僕に本命渡す人なんてそうそういないだろ」


「はー、私の前でそれ言っちゃうんだ」


「すいませんでした佐山さん」


「あはは、ちょっと意地悪に言いすぎたね。 まあ無いことは無いんじゃないの深海のことだし」


「ね、どこでフラグ? 立ててるかわからないんだから」


「どこでそんな言葉覚えたんだよ……」


「藍崎ちゃんと話してる時に。 あの子ほんと面白いね」



 男1人の状況に少し肩身の狭い思いをしつつ本人が意図していないことで責められ納得出来ない気持ちで残った弁当の中身を食べ切る。 テスト前だからか昼の時間の教室は普段より人が多く、落ち着いた雰囲気が流れていた。



 春波も弁当を片付けると勉強道具を取り出しテストに備えようとすると、クラスメイトの男子が近づいて春波へと声をかけた。



「なー深海、今回のテストはこの前みたいな勉強会みたいなのやらねーの?」


「勉強会って……いやあれは何故かああなっちゃっただけで元々そんなつもりは全く無かったからそもそもそんなのを開く予定はないんだけど」


「えっ、やらないの?」



 2人の会話が耳に入っていたのか少し離れた位置にいた女子からもそんな声が上がった。



「この前のすごい助かったからまたやってくれると助るんだけど……」


「いや、そもそも僕だけで教えてたわけでもないし」


「やるなら私もこの前みたいに協力するよ?」


「水瀬……」



 春波は少し考える素振りを見せる。 そんな様子を見ている水瀬は、なんだかんだと言うものの結局引き受けるんだろうなと頭の中で考えていた。



「じゃあ、明日明後日の放課後で。 せっかくだから別棟の教室で借りてちゃんとやろうか」


「よっしゃサンキュー! 興味ありそうなのにも声かけとくわ」


「わたしもー」


「あんまり規模がデカくなりそうならちゃんと事前に言ってくれよ。 全くどうしてこうなったんだか……とりあえず川南にも連絡入れとくか」



 口でめんどくさそうにしつつもどこか嬉しそうな素振りで準備をする春波を慈しむような、もしくは満たされたような目で見ている水瀬。



「幸せそうな顔してるじゃん」


「……そんなに?」



 不意に灯理から声をかけられる。 幸せそうだとまで言われるような顔をしていたのかときゅっ、と気を引き締める。



「あの取り付く島もない氷の女とまで言われてた水瀬がまさかこんなふにゃふにゃになっちゃうなんてね」


「その誰が言い出したかわからないやつ廃れてくれないかなぁ……周りが勝手に言ってるだけなんだし」


「それは私もちゃんと話すようになって散々知ったよ」



 灯理は入学してからの水瀬のイメージと今の水瀬のギャップについ笑みが漏れる。



「なんていうのかな、春波がこうやってクラスで普通に出来てるのが改めて良かったなぁって思って」



 以前の周りとまともに交流をしなかった頃を考えると、自然と周りと話す事が出来ている今に水瀬は喜びを感じていた。



「すごいね、愛だね水瀬ちゃん」



 2人の話を聞いていた日葵が柔らかな声でその言葉を口にした。



「愛、かぁ。 こういうのが愛なのかな?」


「さーね。 水瀬が好きに決めていいんじゃない?」



 灯理の投げやりに思える、しかし確かにその通りだと思える言葉。



 自覚してから際限なく膨れ上がり自分の中を満たしていくこの想いに、そう名付けてしまっても良いのだと背中を押されるようだった。



 ◇



 週が明け、バレンタインを明日に控えた日の放課後。 水瀬は1人先に春波のマンションへと向かっていた。



 今日はわざわざ泊まる許可も貰っているので、一度家に帰ってから作ったチョコと着替えを持ち出す。



 結局今日も放課後人が集まって勉強会の様な物が開かれ、春波は別棟空き教室の鍵を返す都合上最後まで残る事になるのでとこうしておそらく先に向かっている。



 自分も一緒に残ると言ったが半ば強引にこうして先に帰らされ不満はあるものの、ここ数日の春波の様子から素直に聞くことにした。



 水瀬から見た春波の様子……この感じは何か隠し事をしている時だ、と直感が告げていた。



 春波のキッチンや部屋のクローゼットには特に変わった様子は無い。 チョコのチの字も見当たらないし、昨日真優良達とチョコを作ってる時に八雲や川南と一緒にいたわけでも無い様なのでそこに用意してるわけでもなさそう。



 バイトもテスト前でシフトから抜いて貰っているのでそこのキッチンを借りたわけでもない。 実際は何も用意してなくて勘違い? うーん。



「水瀬ねーちゃんこんにちは」

「水瀬さん、こんにちは」



 頭の中でぐるぐると可能性を考えているうちにマンション前に近づいていたらしく、姿を見かけたからか理音りお歌音かのんに声をかけられ意識が現実へと帰って来た。



「ねえ、春波がそっちの家でチョコ作ってたりした?」


「? なんでにーちゃんがわざわざうちでチョコ作んの?」


「なんか隠してる、気がするんだよね。 気付かれないようにチョコ用意してるのかなって」


「少なくともうちでお兄ちゃんがキッチンに立つのはみんなでご飯食べる時の当番くらいですよ。 この土日も来てないですし私達とお母さんでチョコ作ってたぐらいです」


「そっかー……うん? 私達とお母さんって事は、理音くんもチョコ作ったの?」


「そうなんですよ、何故か一緒にやるって言い出して。 誰にあげるかは教えてくれないし」


「歌音の知らない人だから言ってもしょうがないだけだし」


「別に教えてくれたっていいじゃないの」


「理音くん、お姉さんも気になるなーそれは」


「なっ、それこそ水瀬ねーちゃんは関係……」



 そこで理音の言葉が詰まる。 その様子に水瀬は鬼の首を取ったような勢いで理音へと詰め寄った。



「もしかして私の知ってる人? 誰!? いつの間に!?」


「いや、水瀬ねーちゃんが知ってるかどうかはわかんないけど、その、えっと」


「ちょっと理音、私の知らない所でいつの間にそんな事になってるのよ!!」


「いや別にまだそういう訳じゃ無いって!!」


「もしかして夏休み開けてから急に部活変えたのって」


「ああもう勘弁してくれ!!」


「待ちなさい、この際だから詳しく聞かせなさいよ!!」



 堪らず家の中へと逃げ込む理音を追いかける形で歌音も家へと駆け込んでいく。 1人取り残された水瀬は予期せず楽しい時間を過ごせたものの、結局自分の勘違いだったらしいと少し肩を落としながらマンションの合鍵を取り出し中へと入っていった。



 ◇



 しばらくして春波も帰宅し、水瀬が作った夕食を二人で食べて落ち着いた時間を過ごす。



 わざわざ平日でこうして泊まりに来ているのは、水瀬のワガママだ。 日付が変わったタイミングすぐにチョコを渡したい、と言い出した時春波はある程度慣れたと思っていたがまだまだ意表をつかれることがあるのだと思い知った。



 結局はすんなりとそれを受け入れているのだからもはや言えることは無い。



 ある程度勉強もし、入浴もそれぞれ済ませソファで2人思い思いの時間を過ごしている。 春波は体重を預ける形で深く座りスマホでゲームをしている。



 水瀬はそんな春波の太ももに頭をのせ横になりリラックスしていた。 時たまスマホでメッセージのやり取りをしていたり、頭をぐりぐりとこすりつけたりと照れもなく当たり前の様に、自然体でそうなっていた。



 春波もそんな水瀬を当然の様に受け入れている様で、頭や頬を軽く撫でたりとこちらもそれが当たり前になっている様だった。



 お互いに伝わる暖かさから揃って意識が少し落ちていたがなんとか日付が変わる前に目を覚ます。 そわそわしながら水瀬は時間が過ぎるのを待つ。



 そうして0時になった瞬間。 水瀬がチョコを取り出そうとした時、



「水瀬、はいこれ」



 春波がどこから取り出したのか、ラッピングのされた袋を先に差し出した。



「わざわざ言う必要は無いかもしれないけど、手作りだから」


「……ホントにあったぁ……」



 本当にチョコが用意されていた事に強い胸の高鳴りと共に思わず言葉が溢れた。 それと同時に水瀬は自分が感じていた物が間違いでは無かったのだと、少しの間でもそれを信じきれなかった事に少しの悔しさも覚えていた。



 目の前の彼は、ちゃんと自分が感じている以上の歓びと幸せをくれるのだと言うことを信じても良いのだと。



「サプライズのつもりだったけど、その様子だと上手くいったかな?」


「………………言っとくけど、隠し事してるっていうのはわかってたんだからね!! でもどこにも準備してる様には見えなかったから本当に手作りチョコが出てくるとは思って無かった……」


「実は水瀬達が集まってる間に進藤くん達と一緒に頑張った。 今日勉強会で作ったの持ってきてもらってて、こうして渡す事が出来て良かった」



 進藤くん。 真尋の彼氏の進藤くん!? そっちは完全に頭から抜けてた。 そうか、丁度その時真尋達も集まってチョコ作りするって言ってたから知らなかったんだ……!!



「うー、ううううぅぅぅぅ、悔しいぃ、サプライズ苦手とか言ってたのにぃ」


「まあプレゼントとかでサプライズするのはね。 わざわざ用意した物をいらないとか言われたら立ち直れないけど、こういうタイミングで、この形なら驚いてくれるかなって」


「馬鹿、ばかぁ、嬉しい、ありがと…………」



 水瀬の目から思わず溢れた涙に、春波は驚きながら優しく抱き寄せる。



「ごめん、まさか泣くとは」


「嬉しくて泣いてるから、これはいいの」


「……そっか」



 心地よい涙を流しきり改めて水瀬は自分の作ったチョコを手にとった。 ただ、このバレンタインと言う日に一番最初に渡したいだけたったのに最早それだけでは釣り合わないと感じている。



 だから、貰った分、いやそれ以上の想いを一緒に渡そう。



 まだ幼いかもしれない。 それでも、自分の感じている物を誤魔化さずに表現するならこの言葉しかない。 灯理の言葉が今の自分を進ませる。



「私の気持ち、受け取ってください」



 両手で春波へとチョコを差し出すと、春波はゆっくりとそれを受け取る。



 手に取ったその時、水瀬は流れるようにキスをした。



 時間が止まったように2人は動かなくなる。 しかししばらくはどちらからとも離れる事は無かった。



 やがてゆっくりと距離が開き、水瀬の目が真っ直ぐ春波を捉える。



 そして、水瀬の膨れきった気持ちが目の前の想い人へと伝えられた。




「春波」




「愛してるよ」

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