7月3週 「気にかけてくれてありがとうね」
1学期が終わる終業式の日。 天気予報では少し前に梅雨明けの宣言が出されて本格的な夏と言える気候になっていた。
半日の式を終え、ホームルームも終わり明日からの夏休みについて生徒達が騒々しく話している中春波は1人何かを待っていた。 今から起こることを知っている八雲は部活に行かず少し離れた位置から見守っていた。
そんな春波の様子を不思議に思ったのか隣の灯理が声をかけてきた。
「いつも割とすぐに帰るのに、今日は帰らないんだ」
「……そうなんだよ。 ちょっと騒がしくなっちゃうと思うから佐山さんはさっさと部活行った方がいいと思う」
「は、あんた何する気……」
「失礼します」
騒々しかった教室内に芯の通った声が響いた。 その一際目を惹く少の登場に雑多な教室が俄に静かになる中、声の主は何事もないかのように歩を進めやがて春波の側へと立った。
「春波、帰りましょ」
「ああ、帰ろうか水瀬」
水瀬と春波は、注目の集まった教室でわざとらしくお互いの名前を呼び合いながら言葉を交わすのだった。
◇
時間は少し戻り、テストが終わり夏休み前の徐々にそわそわした空気が流れ出した頃。
「で、みなの噂の一部にすらなれなかった深海くんはどうするの?」
「うーん、僕の知名度の無さは自業自得だからしょうがないけど謎の男扱いとは」
「春波に直接的に何か言われてないのはいいんだけど……」
「その分滝ちゃんがそれで声かけられてるんじゃ深海くんもいい気分はしないでしょ」
昼の空き教室にいつも通りの春波と水瀬に加え、八雲と空が集まっていた。 話の内容としては水瀬の噂に関することだ。
噂を流し始めた当人とは和解したものの流れた噂を消し切るのは難しく、さらにテスト前に春波のマンションから水瀬の家まで2人仲睦まじく帰ったのを見かけた人間がいたのかそれに関しての話も広まっていた。
しかし、水瀬の隣にいた春波が誰かわからなかったのか、その誰かを確認するためまた話しかけられていると言う状況が生み出されていた。 それに対しても水瀬は春波に迷惑をかけまいとはぐらかしているため現状維持という形になっていた。
「まあ、結局は噂は噂だから簡単には消せないのよね」
「実態がないからなぁ……一応否定して回ってくれてるんだけどね」
「ああ、噂を流した子達? なんだかんだと悪い子じゃなさそうだねぇ」
「……ならそもそも、って思うけどな」
水瀬と和解した噂を流した本人である2人は、話題に出るたびに自分たちのせいだということも含めて流れた噂を否定して回ってくれているらしい。 春波も直接話したが確かにそこまで性格が悪かったり、意図的にそういうことはしなさそうだという印象を受けた。
「まーもう手段は一つしかないわね」
「何、いい案あるの空」
「噂以上の強烈な事実を流せばいいわけじゃない?」
「大人しく僕らの関係を明かせばいいわけだ」
「それだけじゃダメだってわかってるでしょ? もっとみんなの前である程度印象に残るようにしなきゃ」
「……流石に真尋みたいなのは私やだよ」
「誰もあの瞬間頭お花畑みたいに人のいる教室でキスしろとまでは言わないわよ。 もっと普通の事でいいのよ普通の事で」
そこから、実行するタイミングも含めてどのようにするかの話を詰めていく。 水瀬は、目の前の頼れる空が私の友達になってくれてよかったと、あの日の席替えに感謝するのだった。
◇
「今日お母さん通院だからお昼ないんだよね。 何か食べさせてくれる?」
「ああ、それならおじさんが渡したいものあるって言ってたからなんかあるかも。 ご飯に出来なさそうなのだったら……」
「その場合は一緒に買い物に行きましょ。 何作ってもらおっかなー」
「まあ、リクエストしてくれたら助かるな。 結局何作るのか考えるのが一番大変だからさ」
春波はメンダコのキーホルダーが付けられたカバンをとり立ち上がりながら、自分達の関係性を知らしめるように周りに聞かせるための会話を行う。
内容としてはわざわざこのために作ったものではなくすべて事実で、空が聞いたらそこまで言えとは言っていないと言われそうな物になってしまっているが。
周りの生徒達殆どが呆気に取られている中、かろうじて隣の灯理が声を出した。
「……成程、滝さんが深海の彼女だったって事ね。 じゃあ最近の滝さんと手を繋いで歩いてたってのも深海だったわけだ」
「その通りだよ佐山さん。 思ってたより騒がしくというよりかは静かになっちゃったけど」
「まあ、今は何が起こってるのか解らなくて聞き入ってるのが大半だと思うわ。 本格的に騒ぎになる前にさっさと退散しな」
「そうさせてもらうよ。 じゃあまた登校日に」
そう灯理と会話を交わした教室から去ろうと歩き出す。 その時不意に水瀬が灯理に向かって口を開いた。
「春波を気にかけてくれてありがとうね、佐山さん」
そう言い残して春波へと追いつくように、カバンに付いたマンボウのキーホルダーを揺らしてその場を去った。 灯理はかけられた言葉の意図を考え、服の下でブワッと冷や汗をかいた。
「いや牽制こっわ……」
「大丈夫、佐山ちゃん」
喧騒が再び大きくなってきている教室で、2人が去ったのを確認して八雲が灯理へと声をかける。 その大丈夫には今言葉をかけられた以外の意味合いも込められていそうであった。
「三城、あんたあれ知ってたね」
「あはは、まあね。 夏休み入る時に行動起こせば夏休み中に広まって、明けた頃には落ち着くんじゃないかってね」
「まったく、肝が冷えたよ……」
「それなんだけど、佐山ちゃん本当に大丈夫?」
「何が」
「俺から見た時、佐山ちゃんは深海くんの事を、えっと気にかけてたかなって思ったからさ」
「……はぁ」
その迂遠な言い方に、灯理は何を言われているのか、自分がどう見えていたかを思い知る。
「まぁ、ちょっとクラっと来たのは事実。 でもそれだけで相手を好きになるわけないでしょ。 いらないお世話」
「ごめんね、ならいいんだけど」
「それに、私は相手のいる奴に対してアプローチかけるなんて馬鹿なことは、絶対にしない。 してたまるか」
「……佐山ちゃん?」
思い詰めたようにそう言い放つ灯理の様子に、八雲は違和感を覚える。 しかしすぐその空気は弛緩し軽口のように言葉を続けた。
「彼女様から牽制もされちゃったしね。 流石にあれにちょっかいかける気にはなれないわ」
「去り際に滝ちゃんに何か言われてたけど、そう言う感じかぁ……。 しょうがないけど余裕ないなぁ」
「あれだけ顔よけりゃよりどりみどりだろうに、そんだけ深海の事好きだってことかねぇ」
「聞いてる限りどっちもどっちだよ。 まあ夏休み中に多少おちつ……いたらいいなぁ」
八雲は、空が散々惚気られていると言う内容を又聞きしてるだけでもその2人の仲の良さを思い知っていた。 春波はそういった事をなかなか話さないが、たまに話すときの弛緩した空気からその好意は十分に伝わってきていた。
実際には八雲の期待には全く沿わない事になるのだが、今の彼にはそんな事は知るよしも無かった。
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