6月2週 「今度ちゃんと返すから」

 小雨の音が外から聞こえてくる昼過ぎの時間。



 日曜日のこの日、午前中に家事を一通り済ませ適当に昼食を済ませ片付けを終わらせた春波は、ふと立ち止まり静かな部屋の中を見渡した。



 その静けさに心の中がざわつくのを感じ、思わず普段触ることの無いテレビの電源をつける。 流れてくるバラエティ番組の音が耳に入ってきて少し落ち着きを取り戻すとそのままソファに座った。



 揺れる。



 春波は、先日叔母が来たと同時に予想外に水瀬がここに来てその時は落ち着かない時間だと思って過ごしていたが、今こうして改めて1人である事を実感した今不安を覚えるようになっていた。



 あまつさえ体良く追い出され2人で何かを話していたものだから気が気でない。 自分のいないところで初対面の2人が何を話すことがあったんだ。



 可能性として考えている事はあったが自意識過剰だ、と切り捨てる。 まさか自分の事を話していたのではなんて。



 ふと、スマホが鳴るのが耳に入る。 先日から変化したのは呼び方だけではなくこちらもだ 。



 見ると、やはり水瀬からメッセージが来ていた。 こちらを覗き込んでいる絶妙に可愛くない犬?のゆるきゃらのスタンプの後今日は少し遠出をしてる、なんて他愛の無い内容だ。



 今までは事務的な連絡しかしてこなかったのに比べるとこんななんでもないことで連絡してくるようになるとは考えもしないことだった。



 昨日からこのようにやり取りをするようになっているのだが、迷っているのか遠慮しているのかどこか内容はぎこちない。 春波もどう返していいか分からず文面上は事務的なものになっていた。



「なんて返せばいいんだよ……」



 しかしそんな言葉とは裏腹に春波は自覚なく口角が上がっていた。




 春波の中に満ちているものが揺れ、溢れそうになる。




 少し嬉しそうな様子でスマホを手に返信する文面を考えながら静かな午後の時間が流れていった。



 ◇



 母親が入院している自宅からは距離が離れた大きな病院への見舞いが終わり、父と夕食を外で済ませ帰ってくると、水瀬はベッドへと倒れ込む。



 避けようのない不調によりベッドに横たわった水瀬はスマホを出し、今日移動中に春波に送ったやり取りを見返していた。



 昨日までは自覚したことと状況も相まってはっきり言って舞い上がっていた。 浮ついた気持ちと勢いでメッセージを送ってしまった。 少し冷静になった今日は恥ずかしい気持ちはあるが、しかしその恋心まで落ち着くことはなかった。



 冷たく感じる返事を見ながら迷惑だったかな、と考えるも返事をしてくれたという事実だけで嬉しくなってしまっている自分に呆れる気持ちも湧いてくる。 私はこんなにちょろかったのか。



 春波にしてみれば急に内容が無いに近いメッセージを送られ出して来てきっと困惑してるのだろう。 そうに違いない。 多分。



 そんな風に自分に言い聞かせながら、明日になればまた会えるという事実に少し体が軽くなるのを感じる。 今日母にまで指摘されてしまったが沈んでいた時も取り繕っていたはずなのに明らかに最近楽しそうに見えるらしい。



 だってしょうがない。水瀬にとってそれは人から向けられることはあっても自身が強い感情を誰かに向けるのは初めてで自覚していても、隠そうとしてもどうしてもコントロールしきれるようなものでは無い事を知った。



 春波へ踏み込むことにはもう迷うことは無いが、考え出すと今度は不安がどんどんと湧き上がる。



 彼は実際私の事をどう思ってくれているんだろう。 悪く思われてる事は無い、筈だ。 しかし彼の口から聞いたことあるのはそういったものに対する否定だけ。 いやでも春波は相手を気負わせないように言葉を出しているように思えて仕方がない。 果たしてどこまでが本心なんだろう。



「…シャワー浴びなきゃ」



 悪い想像をして泣きそうになりながら、湿気による不快感を感じながらもいつまでも何もせず悶々としているわけにはいかないと立ち上がると着替えの準備をし、風呂場へと向かう。 そしてタオルを取り出した時、同時に何かが床に落ちるのが見えた。



「……?」



 あまり見覚えはない、しかしそれが何かははっきりと解る紺色のハンカチ。 彼の前で理由の解らない涙が流れたあの時差し出された物だった。



 拾い上げたそれは洗って返そうと思っていたのは覚えているがこんな所に紛れたまま存在を忘れてしまっていたのか。 春波から返せと言われた記憶も無い。



 ちゃんと返さないと、と最初は思っていた 。 しかし今の水瀬の思考は当初と違う方向へと走り出す。



「……ちょっとだけ、今度ちゃんと返すから、良いよね……?」



 誰が聞いてるわけでも無い言い訳を口にし、父親と自分以外はいない家で足音が立たないように足早に自室へと入る。



 そして自分の机にハンカチを置き、その風景にどこか満足そうな息を漏らすと再び風呂場へと戻っていった。


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