良薬と初恋は口に苦し

「ひとつ、覚えておくといいよ。薬も過ぎれば毒になるんだ。君の親切は、私にはもう毒にしかならないんだよ。だから、さようなら」


 世界広しと言えど、初恋の相手にここまでけちょんけちょんにフラれたのは僕くらいじゃないかって、当時は本当にショックだった。まあ、今はさすがに立ち直ってるけど。だってもう数十年前の話だからね。


 強がり言うなって? 君、なかなか鋭いね。そう残念ながら引き摺りまくり。今はだいぶんマシになったけれど、思春期真っ盛りの男子中学生にとってはもう、一生トラウマものの大事件だったから、暫く人と接するのも怖くなってね。結構、友達も多い方だったんだけど、卒業する頃には友人はおろか言葉を交わす相手すら片手で足りる程になってたよ。


 だって俺の相手を思っての優しさは、有難迷惑を通り越して毒だとまで言わしめたんだから。


 そう、恋い焦がれて止まない初恋の相手にね。


 優しいね、こんなおじさんの初恋失敗談を進んで聞いてくれるなんて。


 いや、嫌みとかじゃなくて、君は本当に優しい人だと思うよ。家にまで来てくれるなんて、可愛い子なら大歓迎だよ。


 ありがとう、では毒にも薬にもならない話だけど、お言葉に甘えて、お付き合い願おうかな。

 



 実里さんとは中学一年生で同じクラスになったんだ。うちの中学ってさ、同じ学区に二つ小学校があって、両方の小学校の子供が通うんだ。大体どのクラスにも、同じ小学校だった奴が半分と、残り半分はもう一つの小学校の奴になるよう振り分けられてて。

 最初の頃は皆なんとなく同じ小学校の奴とグループを作るんだけど、実里さんだけはずっとひとりでいた。ご飯を食べる時も、休み時間も、窓辺の席で外の景色を眺めたり、本を読んだりしていたよ。僕は自分の小学校で実里さんを見たことがなかったから、てっきりもう一つの小学校の子なんだなって思っていたんだ。

 だけど、段々と違う小学校だった奴とも話すようになってから、実里さんはもう一つの小学校にもいなかったって聞いたわけ。二つの小学校という小さい世界しか知らなかった僕は、実里さんという特異な存在が、気になって仕方なくなったんだ。それと同時に


「ああ、あの子は同じ小学校の奴がいないから、いつもひとりぼっちで寂しそうなんだ」


って、同情心も湧いてね。ある日の休み時間に声をかけてみたんだ。


「その本難しそうだね、どんな内容なの?」


ってね。なんか自分で何度もいうのもあれだけど、その頃まで僕は、人見知りって言葉の意味を知らないくらいに人懐っこくて、誰とでも物怖じせず話せるような、そんなお調子者だったんだ。クラス内だけじゃなくてクラス外にも友達がいるような、そんな奴、君の中学時代にもいたでしょ?


  だから、なんの躊躇いもなく、まだ必要最低限の会話しかしたことのない実里さんにも、馴れ馴れしく話しかけた。そうしたらね、彼女、にこりともせずに


「説明したところであなたにはわからない本」


なんてピシャリと言い放ったんだ。そして、思わず固まってしまった僕に構うことなく再び本の世界に戻ってしまった。


 当然ショックだったよ、自分のことをあまり好きじゃないって態度を取られたことはあっても、ここまであからさまに拒絶されたのは初めてだったから。でも、ショックとは違う衝撃の方が大きくて。


 元々、自分の中で特殊な存在として扱ってきた人に、思ってもみないことを言われて、


「この人は特別な人だ」


という図式が完成してしまったんだ。


 それからはもう、とにかく時間があれば実里さんに話しかけに行ったよ。機嫌が良くない日は完全無視されたけど、機嫌が良い日は難しい諺とか慣用句で質問に返答してくれるし、自分に構うなというような返事をくれた。多分最初に話しかけた時も機嫌が良い方だったんだね。


 そういう反応を返される度に、もういよいよ実里さんの虜になって。


 彼女が口にする言葉はいつも難しくて、僕はいつも辞書を引いて調べたよ。どれも大抵は辛辣な意味のものだったけど。きっと、心の奥にはそんな彼女を少しでも振り向かせたいって悔しさもあったと思う。だから、必死だった。寝ても覚めても、実里さんのことばかりになって、どんどん苦しくなっていった。


 ある日、とうとう我慢できなくなった僕は、なんの勝算もなく彼女に告白したんだ。


 当然、彼女の答えはノー。本当に心底不思議そうな顔で、


「意味がわからない」


と言われたけれど、もうそれくらいで僕の心は折れないからね。何とか食い下がって


「せめてお友達から!」


って訴えた。そうしたら、実里さんは少し考えて、言ったんだ。


「どうして君は、そんなに私に執着するの?」


 純粋な疑問としてぶつけられた言葉に僕は思わず口ごもってしまった。正直、自分でもこんな気持ちは初めてだったんだよ。紛うことなく、初恋だったんだと思う。


 彼女はさらに続けて


「私は君に、嫌われても仕方ないけど、間違っても好かれるようなことは言ったことがないと思う。見てたら君は、結構な人気者のようだし、私なんかに構う必要もないじゃない。先生に言われて無理矢理やっているわけでもなさそうだし」


 どうして? と聞かれて、取り繕うようにたくさんの理由を答えようとして、止めた。ただ一言、本当の気持ちだけを伝えることにしたんだ。


「実里さんが好きなんだ」


って。ますます怪訝な顔をする彼女に、


「自分でもよくわからない、確かに実里さんに言われて傷付いた言葉はたくさんあるけど、でも、もっと実里さんを知りたいって気持ちの方が強いんだ。

 だから、せめて友達、いや友達も嫌なら今まで通りでいいから僕と話してほしい」


 お願いしますとお辞儀をしながら手を差し出せば、暫く彼女は何も言わなかった。


 けれど、そっと僕の手に温かいものが触れて、顔を上げたら、実里さんが僕の手を遠慮がちに握っていて、 


「馬鹿につける薬はないね」


って。そう言って控えめに顔を歪めて笑った実里さんを、改めて好きだなんて思う程、馬鹿な僕は舞い上がってしまったんだよ。そして、無事友人という立場を許してもらったんだ。


 その日から、僕は友達という大義名分の元、今まで以上に実里さんと一緒に行動し始めた。付きまとっていたって言われても、言い返せないくらいにね。

 何をするにも一緒で、実里さんも少しずつそれを許すようになってた。僕は奴隷のように彼女が困ることや嫌がることは取り除いて、喜ぶことや嬉しがることを率先して彼女に提供し続けた。そうしたら、実里さんも段々と心を開いてくれるようになって、色々なことを話してくれるようになった。


 嫌だと思った人のことや、面白いと思った本のこと。そして、好きだと思った人のこと。

 残念ながら、それは僕じゃなかったんだ。


 わかってたって? 酷いなあ。


 飲み物なくなってるけど大丈夫? 何か持って来ようか。あ、お手洗いはこの部屋を出て奥のところだよ。どうぞ、いってらっしゃい。

 


 

 おかえり、迷うほど部屋もないけどすぐわかった?


 いや、なんか結構時間かかってたみたいだったから。


 レディに対して失礼だって? はは、ごめんごめん。

 なんだったっけ。ああ、そうだ、実里さんの好きな人だ。


 その好きな人は、引っ越す前のお隣の家のお兄さんらしくて、実里さんが通ってた塾の講師をしてたんだって。


 そう、大学生だったんだよ。塾は前の家の時から通ってたところに行ってたそうで、毎週塾のある火曜日と木曜日は会えるんだって、それはもう嬉しそうに言うものだから。


「告白しないの?」


って聞いたら、呆れたように


「するわけない、大学生が中学生なんか相手にするわけないでしょ、『猿猴月を取る』よ」


と、また難しい諺を使っていたよ。確か分不相応なことして失敗するって意味だったかな。


 よく覚えてるでしょ。それくらい、彼女の言葉は僕にとって絶対だったんだ。

 ただ僕はそんな彼女の言い分が不服でね。実里さんはこんなに素敵な人なんだから分不相応なんかじゃないよって、彼女の素敵だと思うところや魅力的な部分を毎日毎日実里さんに伝え続けた。


 初めは「はいはい、ありがとう」って流されてたんだけど、次第に「そんなことないよ」とか「やめて」って止められるようになっていって。それでも僕は懲りずに毎日、言い続けたんだ、彼女の良いところ、というより僕が彼女の好きなところを。そうしたら、ある日、実里さんが


「いい加減にして!」


って怒り出したんだ。僕は慌てて謝って、何がいけなかったのか尋ねたんだ。


「あなたが、毎日しつこく言う所為で、自分が魅力的だと勘違いしてしまいそうになるの! こんな私、どうしたって相手にされるわけないのに、期待するのが嫌なの!」


 今思うと可愛い言い分だよね。他人に褒められて自分が魅力的だと勘違いしそうになるって。実里さん、自尊心は高いのに自己評価は低いみたいだったからなあ。振られるのはプライドが許さなかったんだろうね。


 でも僕だって嘘を吐いているわけではないし、全て本心を伝えてたから。

 そう主張したら、彼女、凄く苦しそうに言ったんだ。


「ひとつ、覚えておくといいよ。薬も過ぎれば毒になるんだ。君の親切は、私にはもう毒にしかならないんだよ。だから、さようなら」


ってね。去っていく彼女の背中を見詰めながら、僕は動けなかった。なんでって、当然ショックだったのと、図星をつかれたと思ったからかな。


 僕は心の奥底で、実里さんが告白してもきっと振られるって思いながら応援してたんだ。早く玉砕して、傷付いて、それを癒して、気持ちよくしてくれる僕の方に落ちてくるように。甘い毒を少しずつ、少しずつ飲ませて、彼女が早くその気になるように。


 でも彼女はそれを見透かして、僕を、毒を拒絶した。僕はそんな卑怯な自分を知られて、実里さんが離れていってしまったことがショックだった。暫く学校も行けなくなってしまってね。どうにかこうにか卒業はしたけれど、高校も実里さんとは違うところになってしまった。


 けれど、どうしても彼女を、実里さんを忘れることができなかった。会いにもいけず、忘れることもできず、八方塞がりだった僕は、ある時、彼女から言われた最後の言葉の意味を知ったんだ。高校の家庭科の授業だったかな、先生が


「良いですか、諺にもあるように『薬も過ぎれば毒となる』のです。良いものでも過剰に摂取することは避けて、適量を心がけてください」


って。ショック過ぎて、いつもみたいに知らない彼女の言葉を辞書で調べることすらしてなかったんだよ。そこで気が付いたんだ。彼女にとって、僕と過ごす時間は紛れもなく「良いもの」だったんだって。そう思ってくれてたんだって。

 けれど、過剰に摂取して自分自身を変えられるのが怖くなった、狙った通り、僕の言葉が毒のように彼女の身体に巡っていたんだ。

 変わるというのは途方もなく恐ろしいことだもんね、だから僕は考えた。彼女が僕といても変わらなくなる方法を。


 そして一つの結論に至ったんだ。彼女の時間を止めてあげればいいんだって。


 そこからは毎日、いかにして彼女を苦しめず、また傷つけずに時間を止めるかを考える日々だった。

 必要なものを揃えたり、専門的な知識をつけたりする必要があったから、薬学部のある大学へ進んだ。彼女と暮らしてゆく蓄えも重要だし、手に職つければ食いっぱぐれもないしね。

 そうして漸く、全ての用意が整った僕は幾年ぶりに、実里さんに会いに行ったんだ。久しぶりに会った実里さんは、当たり前だけど大人になっていた。でもその本質は変わってなかったよ。相変わらず素敵で、特別な人だと思った。


 僕は戸惑う実里さんを飲みに誘った。酷いことを言ったという負い目もあったんだろうね、彼女は承諾して、何度も僕に謝っていたよ。そんな必要ないのにね。そして、僕は、彼女にたくさんお酒を飲ませて我が家に連れ帰った。そう、ここにね。そして、飲み過ぎた彼女に


「水を飲んだ方がいいよ」


って、睡眠薬を混ぜた水を渡したんだ。そうしたら、彼女ぐっすり眠ってしまってね、僕がキスしても起きないくらいに。当たり前だよね、睡眠薬を飲んだんだから。


 ただ、その睡眠薬の副作用が即効性と引き換えに凄く苦くて。その所為で、せっかくの実里さんとの初めてのキスだったのに、とても苦かったんだ。けれど、そのキスで酒を飲んだの以上にくらくらして、酔いしれてしまって。僕にはその苦みがどんな美酒よりも美味しいもののように感じたんだ。特別な実里さんの体液を味わえる日が来るなんて! それこそ、甘い毒みたいだった。


 ああ、ごめん、あまり聞いていて楽しい話ではなかったね。凄く険しい顔になってるよ。

 あまりお姉さんのそういう話は聞きたくないよね、興奮していたのか配慮が足りなかったよ。


 え? どうして君が実里さんの妹だって知ってるかだって? 好きな人のことは、なんでも知りたいというのも男心の一つだよ。君たち姉妹は仲が良かったもんね、だから実里さんも君には弱みを見せるのを嫌がらなかった。きっと僕のことも君にだけは相談しているだろうと思ってたんだ。まさかこんなに早く、君が僕に接触してくるとは思っていなかったけど。


 実里さんと同じ血が流れていても、まったくタイプが違うよね。彼女は賢く神経質なほど慎重だったけれど、君はどちらかというと猪突猛進というか。けれど、すぐに僕にたどり着くあたり、さすが実里さんと同じ血が流れているね、聡明だ。今日は僕の家に実里さんがいるかもしれないと思って乗り込んできたんでしょう? 僕のことは気絶でもさせておいてその間に、この家の中を調べたかったんだよね?


 ふふふ、驚いて声も出ない? それとも、もう薬が回ってしまったのかな? もう後の祭だけれど、出会ってすぐの女の子を家に招き入れるような男は、何かしらの企みがあるものだから。


 ああ、申し訳ないけれど、僕は実里さんに操を立てているから君に一切の下心は抱いていないよ。ただ初めから、君を実里さんの妹だとわかっていたからね。

 君がお手洗いに行っている間に鞄の中を確認させてもらったんだ。君もなかなか物騒だね、スタンガンなんか持ってくるなんて。君が、お手洗い以外の奥の部屋の扉を開けているのにも勿論気が付いていたよ。それで、君が何かしら確信を、僕と実里さんが一緒にいる確信を持って来てるんだと思って。


 残念だけど、もう、いなくなってもらうしかないなあって。

 僕としては本意ではないけれど、君がいると、僕と実里さんの生活が脅かされそうだったから、仕方ないよね。

 せっかく危険も省みずここまで来たんだから、最期に実里さんに会わせてあげるよ。身体は動かないだろうけど、まだ意識はあるだろう?


 大丈夫、実里さんと同じように眠ってる間に全部終わるから、そんなに怯えなくてもいいよ。僕の優しさは、ただの毒じゃなくて猛毒だからね、一瞬で終わるし、痛くも苦しくないよ。


 それじゃあ、実里さんを連れて来るから、少し待っててね。さっきも言ったけれど、痛みも苦しみもなかったから、見た目も美しいままだ。苦悶の表情すら浮かべていない、眠っている時に近いものだから安心してくれていいよ。


 え? なんだい? 呂律がもう回ってないから聞き取り辛くて。く、る? ああ、狂ってるか。そうかもしれないね、けれど仕方ないんだよ。

 恋は盲目、恋の病に薬なしってね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る