第21話 純朴令嬢は新たな夢を見つける〈side:ニナ〉

アレクシスが王城で国王と夕食を共にしている頃、すでに邸で食事を終えたニナは自室のソファに座り、今日の出来事を反芻していた。アレクシスに贈られた耳飾りに触れながら、幸せを噛みしめる。

『こんなに好きだったのに、どうしてこの気持ちに今まで気づかないふりなんてできたのかしら…。一度認めてしまったら、もう思いが込み上げて止まらない…』

王太子であるアレクシスに思いを寄せるなど身の程知らずもいいところで、傷つくだけだと思っていた。だから無意識に自分の気持ちから目をそらし、気持ちに蓋をしようとしていた自分に、今日やっと気づいた。


辺境の地に閉じ籠もり、領地経営のことばかりを考えて生きてきた。年頃の令嬢たちのように流行にも明るくなく、自分を美しく飾る方法もわからない。恋愛事にも疎く、幼馴染みが長年自分に寄せてくれていた好意にも気づかなかったような人間…。そんな自分が、国中の女性の憧れを一身に集める王太子を好きになるだなんて、冗談にもならない。けれど、そうやって自分の気持ちから逃げ回りながらも、一方でどうしようもなく惹かれていた。


国のこと、地方のことを真剣に考えて、それが誰の意見であろうと耳を傾ける姿勢を尊敬していた。貴族の令嬢は妙齢になれば嫁ぐのが当たり前の世の中なのに、女性も能力があればそれを伸ばし活かすべき、と言って勉強の機会を与えてくれたことは、感謝してもしきれない。王都に知り合いがいないニナを気に掛け、頻繁に様子を見に来てくれたことも、国王との晩餐の際にできるだけニナの緊張を和らげられるように尽力してくれたことも、すべてが温かく、アレクシスの人柄の素晴らしさを物語っている。


『アレクシス様の近くでその素晴らしさを目の当たりにしながら惹かれずにいるなんてこと、できるはずがなかったんだわ。正直、自分に自信を持てる部分なんてまったくないけれど、どんなに分不相応でも、釣り合わないと思われようとも、私はアレクシス様を信じて、アレクシス様の隣に立っても恥ずかしくない人にならなければ。そうでなきゃ、こんなに臆病で往生際が悪い私を好きだと言ってくださったアレクシス様に申し訳ないわ』

自分の気持ちが届かないのではと、ニナの手を離した時のアレクシスの悲壮な表情が思い出され、胸が痛くなった。あんな顔は二度とさせたくない。させてはいけない。そのためには、自分に自信がないからという理由で逃げ出すわけには絶対にいかない。


一度決意をしたニナは強い。これまでも、バトン領を王国一の豊かな領地にするという夢に向かって邁進してきた。もちろん、その夢だって諦める気はない。

『新しい夢ができたわ。私はバトン領を王国一豊かな領地にするために勉強をしながら、自分を磨く。アレクシス様の隣に立つことを許されるような人間になる。自分に自信がないのなら、自信を持てるまで努力をすればいいんだわ』


互いの思いを伝え合った後、アレクシスはニナとの未来を真剣に考えていると言ってくれた。それはつまり、ニナを王太子妃に迎えたいという意味だ。辺境伯令嬢のニナが王太子の婚約者になることは、身分的にはまったくおかしくはない。あとは、ニナ自身の素養の問題だ。

『王太子妃になるということは、ゆくゆくは王妃になるということ。領地に留まらず広い知識を身につけ、見た目にも洗練された存在を目指さなければ。――そう、フェリシア様のような…』


アレクシスの元婚約者のフェリシアは、さすがは”ルベライトの至宝”と称されただけあって、誰の目から見ても文句のつけようのない淑女だ。類い希なる美貌はもちろん、洗練されたセンスと所作の美しさは誰もを魅了する。さらに、膨大な知識量と見聞の広さは圧倒的で、現王妃にも頼りにされていたと聞く。ニナの話にも興味深く耳を傾け、その考えに至った経緯にまで関心を示してくれた唯一の女性だ。

他国との社交を担う役割を任されることもある王妃には、多くのことが求められる。これまでのニナに足りなかった要素が必要になるのだ。

『私はフェリシア様のような美貌もセンスも才能も持っていない。真似をしようとしたって、できるはずないわ。だけど…』

幼い頃から妃教育を受けてきたフェリシアから学べることは多いはずだ。


結論には至っているのに、フェリシアがアレクシスの元婚約者だったことを思うと、胸が苦しくなった。二度と恋なんてできないと思っていた、と口にしたアレクシスを思い出す。

『アレクシス様はフェリシア様のことがとても好きだったんだろうな。だけど、フェリシア様と婚約を破棄しなければならなくなって、そのうえフェリシア様は他の方とご結婚されてしまった…。バトン領に視察にいらしたばかりのアレクシス様がどこかお寂しそうだったのは、きっとそのせい…』

切なさに支配されそうになり、ニナはぷるぷると首を振った。

『だめよ、ニナ。今はアレクシス様に相応しい自分になるために、何をするのが最善かを考えるべきだわ。私を好きだと言ってくださったアレクシス様を信じて、進まなければ』


初めての恋。幸せな気持ちも、戸惑いも不安も切なさも、すべてがニナにとっては初めての経験だ。手探りで自分が信じた道を進むしかない。

『明日、アレクシス様にお願いしてみよう。フェリシア様に教えを請うことが、きっと一番の近道になる。今は目の前のことにひとつずつ向き合っていこう』

もう一度耳飾りに触れ、決意を新たにした。抱きしめてくれたアレクシスの温もりが思い出され、それだけで前を向ける。

『さあ、今日の市場調査で得た情報を整理してしまおう。せっかくアレクシス様がお店で流行についていろいろ聞いてくださったのだから、ひとつも無駄にはできないわ。情報をまとめたら、早く眠って明日の仕事に備えなくちゃ。明日からはもっと忙しくなっていくんだから。体調を崩してアレクシス様にご心配をおかけするわけにはいかないわ』

ニナは僅かな胸の閊えを心の奥底に無理矢理しまい込み、颯爽と立ち上がると、デスクに移動しペンを走らせ始めた。


翌朝。

ニナが登城すると、すれ違う人が皆ニナの耳飾りを見ては驚きの表情に変わった。

『やっぱり、蒼玉は目立つわよね…』

王城に住まう人物で、蒼玉の瞳を持つのはアレクシスと国王のみだ。うち、現国王の愛妻家ぶりは誰もが知るところで、これまでの国王とは違い側妃を持たないことも公言している。つまり、王城で王妃以外に蒼玉を身に着けている人物がいるとすれば、それはアレクシスと深い関わりを持つ人物だということを意味しているのだ。皆が注目するのも当然だろう。

『なんでこんな冴えない田舎娘が…って思われているのかも…』

ただでさえ小さな身体をさらに縮めたくなるが、ここで負けているようでは、この先はとてもやっていけない。

『駄目よニナ。ちゃんと胸を張って、顔を上げていなくては』

ニナは自分を鼓舞しながら背筋を伸ばして前を向き、足早に政務室へ向かった。


廊下を曲がると、政務室の前に誰かが立っているのに気づいた。すらりとした体躯に光を放っているかのような眩いブロンド。遠目からでもすぐに誰だかわかる。

「ニナ、おはよう。昨日はよく眠れた?」

「アレクシス様、おはようございます。はい、ちゃんと眠りました。昨日は本当にありがとうございました」

アレクシスはニナの返答に優しく目を細めて頷きながら、愛おしそうに耳飾りに触れた。アレクシスの耳にも橄欖石が輝いているのを目にしたニナの胸がきゅうっと鳴る。これも初めて体験する、甘い痛み。愛おしすぎで胸が苦しくなるなんて、知らなかった。

「それならよかった。始業前に、ちょっとだけいいかな?国王陛下が君に会いたいそうなんだ。もちろん、政務官長には許可を取ってあるから」

国王からの呼び出しと聞いて、ニナの背筋がさらに伸びた。アレクシスが昨夜のうちに2人のことを国王に報告したことがわかる。それだけ真剣にニナとの将来を考えてくれているということだ。

「はい。ご一緒いたします」

ニナは表情を引き締めて頷くと、差し出されたアレクシスの手を取った。

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