第20話 三度目の正直
「今日は案内したかった店をすべて回れなかったから、また近いうちに一緒に出掛けよう。その耳飾りは、そのまま着けていてくれたら嬉しい」
ニナをタウンハウスに送り届けると、アレクシスはニナの耳に口づけた。ニナは真っ赤になって耳を押さえたが、俯かずにアレクシスを見つめたままこくりと頷く。仕事のスイッチが入った時とはまた違う、甘さを帯びた瞳。これまでのニナになかった表情をさせているのが自分だと思うと、たまらなく嬉しい。
「じゃあまた明日、王城で。今日はゆっくり休んで」
後ろ髪を引かれる思いでニナに手を振る。同じく名残惜しそうに何度も振り返りながら邸に入っていくニナを見送ると、アレクシスは馬車に乗った。
走り出した馬車の中、アレクシスはウィッグを外して大きく息を吐いた。窓に映る自分の顔が緩んでいる。
『ニナと、気持ちが通じ合った…』
高揚する心が抑えきれない。幸せすぎて、すべてが夢の中の出来事なのではないかと心配になる。
『大丈夫。ちゃんとここにある』
左耳に光る橄欖石が、今日の出来事は夢ではないと教えてくれている。アレクシスは愛おしそうに耳飾りを指でなぞった。
あの後、もうひとつ店を回ったが、自分はちゃんと対応できていただろうか。ニナの役に立てただろうか。自分の気持ちを受け入れてもらえたことが、そして同じ気持ちを返してもらえたことが嬉しすぎて、浮き足立ってしまったことは否めない。昼食に入った店で何を食べたのかすら、ぼんやりとしている有様だ。
『だらしない顔を見せてしまってないかな。今になって不安になってきた…』
こんな緩みきった顔で王城に戻るわけにはいかない。アレクシスはぱちぱちと頬を叩き、表情をきゅっと引き締めた。
「殿下、お帰りなさいませ」
従者たちに出迎えられながら自室に戻ると、アレクシスは騎士風の衣装からいつもの服装に着替えた。ニナと揃いの耳飾りを外す気はなかった。
留守を任せていた側近の視線がアレクシスの耳飾りに注がれる。滅多なことでは表情を変えない彼の口元が、僅かに綻んだ。
「有意義な休日を過ごされたようで何よりです。国王陛下より、本日は夕食をともに、と言付かっております」
「わかった。ありがとう」
国王はきっと、今日の話が聞きたいのだろう。これまで密かにアレクシスを案じていたはずだ。アレクシスも、きちんと報告がしたかった。
アレクシスの待つ晩餐の間に入ってきた国王は、橄欖石の耳飾りを見るなり、安堵の微笑みを浮かべた。
「アレクシス、よかったな」
耳飾りとアレクシスの表情から、すべてを悟ったようだ。アレクシスも感謝を込めてお辞儀をした。
「はい。ありがとうございます」
「バトン領から帰ってきたお前の話を聞いた時から、こうなる気がしていた。あの時お前に視察を任せた私の判断は、なかなかのものだったようだ」
息子を慈しむ父親の瞳。アレクシスも、父を慕う息子の表情で頷いた。
「本当に感謝しています。あの視察がなかったら…ニナとの出会いがなかったら、僕は一生心を失ったままだったかもしれません。自分のことも、誰かのことも大切にできない人間が、国民のためによい国を作れるはずもないというのに。――でも今は、大切なものがたくさんあります。王太子として力を尽くしたい」
国王はアレクシスの話に耳を傾けながら、目を細めた。
「これまで二度の婚約で、お前には辛い思いをさせてしまった。申し訳ないことをしたと思っている。特に二度目は、レイモンの息がかかった大臣たちの声を抑えきれなかったがために、お前に2年も心を殺し続けるような真似をさせて…。私の力が及ばなかったせいだ。すまなかった。――だが、あの時と状況は変わった。今なら臣下たちがお前に伴侶を急かすことはない。ヨアンの結婚により王族の権威は増し、世継ぎを焦る必要もなくなっている。今度こそ、お前には自分の目で伴侶を選ばせてやりたいと思っていた」
「叔父上にも、感謝しなければなりませんね」
初恋の人を奪ったのもヨアンなら、ニナとの恋を成就させるべく背中を押したのもヨアンだ。
『まったく、あの人にはいつまでもかなわないな』
アレクシスは小さく苦笑いをした。
「バトン辺境伯には、いつ知らせるつもりだ?」
「陛下からのご承諾を先に、と考えておりました。お許しをいただいた後に、正式にバトン辺境伯にニナとの婚約を申し入れたいと」
国王は以前ニナを招いて晩餐の席を設けた際、話に聞いていた以上のニナの聡明さや領地経営の手腕、発想力に痛く感心した。アレクシスがニナに惹かれていることにも気づき、アレクシスが自ら行動を起こした際には認めてやろうと決めていたのだ。
さらに言えば、バトン辺境伯家は代々武の道を極めて王族に仕えてきた家柄だ。私利私欲にまみれた貴族たちの権力闘争とも一線を画し、独自の道を歩んでいる。その点でも、国王がアレクシスとニナの仲を認めない理由などなかった。
「もちろん承諾しよう。早いところ正式な婚約者になっておかないと、他の誰かに取られてしまうぞ。ここのところニナ嬢への縁談が引きも切らないと、辺境伯がわざわざ私のところにまで手紙で礼を言って寄こした。――まあ、そうした連中もお前の耳飾りを見れば、皆諦めるだろうがな」
「ニナにも揃いの耳飾りを贈ってあります。蒼玉の」
にっこりと不敵な微笑みを浮かべたアレクシスを見て、国王が豪快に笑った。
「はは、抜かりないな。誰にも手出しをさせないように、もう手を打ってあるとは」
「僕も必死なんです。今度こそ、いや、ニナだけは絶対に奪われたくないので。なり振り構っていられませんよ。三度目の正直、とでもいうのでしょうかね」
「そうだな。必ずニナ嬢と幸せを掴みなさい。――しかし、ニナ嬢はバトン領のために王城に出仕しているのだったな?今後のことは2人でよく話し合うのだぞ。王太子の婚約者となれば、今までとまったく同じようにはいかない。妃教育を受けてもらう必要もあるしな」
「はい。ニナの夢も、僕の夢も叶えられるように、力を尽くします」
国王はアレクシスの真っ直ぐな瞳を見つめ、その力強い言葉に安心したように大きく頷いた。
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