第14話 王太子は見惚れる

フェリシアとともに部屋に入ってきたニナを見て、アレクシスは息を呑んだ。

『ニナ嬢…想像以上に綺麗だ』

フェリシアによってドレスアップされたニナは、以前バトン領での夜会で見せた姿以上に美しかった。ニナがもともと持っていた美しさや可憐さを、フェリシアのセンスが存分に引き出したのだろう。アレクシスが贈った髪留めもよく似合っている。

『僕の瞳と同じ色…蒼玉サファイアを贈るなんて、僕は何を考えてるんだろうな』


少し前に国王からニナとの晩餐を提案された時、ニナのためにドレスや小物を用意しようと思い立った。多忙な国王のスケジュールを縫って行われる晩餐は、当日急に時間が取れたから、と知らされる可能性も高い。仕事上がりの服装では、ただでさえ緊張するだろうニナの気がかりの種が増えてしまうと考えたのだ。

せっかく小物も用意するならと急ぎジャンに使いを送り、作品を取り寄せた。並べられた作品を見た時、真っ先に目を惹いたのがあの髪飾りだった。


『どうしてかわからないけど、ニナ嬢にあの蒼玉の髪飾りをつけてもらいたくなったんだよな』

これまでアレクシスが蒼玉を贈ったことがあるのは、婚約者だった頃のフェリシアだけだった。そのフェリシアは今、夫となったヨアンの瞳の色、紅玉ルビーの首飾りをつけてニナの横に立っている。存在感がある大ぶりの紅玉をさらりと嫌味なく纏っているセンスは流石だ。

『フェリシアが叔父上と婚約して以降、紅玉を身に着けているフェリシアを見るのが辛くて仕方なかったけれど、今はそれほど胸が痛まないな。2人の幸せそうな様子が見られて嬉しいとさえ感じる。知らないうちに傷が癒えてきたということなんだろうか』


ここのところ、アレクシスは今まで以上に王太子としての仕事に励んでいる。バトン領を視察して以降は、政策に関しても様々なアイデアが浮かび、これまで義務として取り組んでいた仕事は格段に興味深いものに変わってきていた。国民の生活を預かっているという重圧は変わらないが、それ以上に自分の手で国をさらに豊かにしていきたいという意欲が溢れていた。ひとつひとつが形になり、少しずつでも成果が目に見えるのが嬉しくて仕方ない。仕事に喜びを感じているおかげで、フェリシアのことを考える時間も気づけばほとんどなくなっていた。

『それもこれも、みんなニナ嬢のおかげだ。ニナ嬢に刺激されて仕事が楽しくなったおかげで、長すぎた初恋を失った傷からやっと立ち直れた気がする』


アレクシスはニナの前に立つと、手を差し伸べた。

「ニナ嬢、とても綺麗だよ。ドレスも髪飾りも、よく似合っている。さあ、晩餐の間に案内しよう」

ニナは躊躇いがちにアレクシスの手を取る。

「殿下、このように素晴らしいものをご用意くださり、本当にありがとうございます。それから、フェリシア様とのお時間も」

やはりニナは、アレクシスの意図にちゃんと気づいたようだ。アレクシスは嬉しくなった。

「有意義な交渉ができた?」

柔らかく微笑んだアレクシスの顔を見るなり、眩しそうに伏し目がちになりながらも、ニナが頷いた。

「はい。フェリシア様のセンスは本当に素晴らしいです。私のような田舎娘でもわかるくらいに。バトン領にもお越しいただけるか、この後公爵閣下にもお話しようと思っております。ぜひ、ご夫婦でご滞在いただければと」

「うん、それなら僕も一緒に叔父上に頼んでみよう」

アレクシスの答えに、ニナの表情が輝く。その眩い美しさに、今度はアレクシスがどきりとさせられた。

「本当ですか?殿下、ありがとうございます!」


バトン領に関わる話となって、ニナのスイッチが入ったのだろう。アレクシスをきらきらと輝く瞳で見上げる。アレクシスは、その美しい大きな瞳に吸い寄せられるかのように視線が逸らせなかった。

『生き生きと仕事の話をするニナ嬢は、本当に魅力的だな。王城に出仕するようになって、ニナ嬢の姿を目にした貴族たちから縁談が次々に寄せられているというのも頷ける』


先日アレクシスの元に、ニナの父ブルーノから手紙が届いた。手紙には、ニナの出仕に関するお礼の言葉とともに、縁談が寄せられるようになったことへの感謝も綴られていたのだ。

『ニナ嬢なら、どこに嫁いでもきっと喜ばれるだろう』

嬉しそうに仕事の話をするニナを見つめてそう考えた瞬間、アレクシスの胸がぎゅっと絞めつけられた。

『!?』

不意に襲われたその感覚に、アレクシスは戸惑う。

『僕は…ニナ嬢が他の男に嫁ぐ姿を見たくないの…か…?』

ウェディングドレスに身を包み、ヨアンの隣で微笑んでいたフェリシアの姿が思い出される。自分が心から求めていた人が、自分ではない人のものになってしまった、あの絶望と狂いそうなほどの喪失感。記憶の中のフェリシアの姿が、ニナに変わる。


『──嫌だ』

心の底からの叫びだった。

ウェディングドレスを着たニナの隣に立つのは、自分であってほしい。自分でありたい。アレクシスは、これまで何度かニナに対して感じていた胸の閊えの正体に気づいた。

『僕は…ニナ嬢が好きなのか…』

初恋の人を失い、もう恋をすることなどないのだろうと思っていた。国益になるのなら、結婚の相手など誰でもいいと。けれど今は、そうは思えなくなっている。


先程ヨアンと微笑み合うフェリシアを見ても、不思議なほど穏やかな気持ちでいられた理由。止まっていた心の針を動かしてくれたのはニナだ。

黙り込んでしまったアレクシスに、ニナが心配そうに話しかけた。

「殿下?どこかお加減でも…?」

アレクシスははっとしてすぐに笑顔を浮かべた。考えを巡らせているうちに、もう晩餐の間の前まで来ている。

「いや、失礼。なんともないよ。さあどうぞ、この部屋だよ」

『今はニナ嬢と国王陛下の晩餐が先だ。緊張しているニナ嬢が陛下とうまく話せるようにしてあげなくては』


ドアを開けてニナをエスコートするアレクシスの姿を、後ろを歩いていたフェリシアとヨアンが優しく見守っていた。この2人ほど、アレクシスの幸せを切実に願う者はいないのかもしれない。


アレクシスたちがテーブルに着いて間もなく、国王が入室した。一同は立ち上がり、お辞儀をしながら国王を出迎える。

「今宵はほぼ身内ばかりの晩餐だ。楽にしてくれて構わない。ニナ嬢、急な声掛けに応じてくれてありがとう。どうか食事を楽しんでほしい。さあ皆、座ってくれ。」

「お招きくださり、誠にありがとうございます。国王陛下と晩餐をご一緒させていただけること、大変に光栄にございます」

初めて目の当たりにした国王に緊張を露にしながらも、ニナがなんとか返事をした。アレクシスも自分のことのように緊張していたが、国王に笑顔で着席を促されたニナを見て、少しほっとした。

長らく妃教育を受けていたフェリシアにはさすがに及ばないが、辺境伯令嬢として育ったニナも所作は十分に美しい。王族へのマナーも心得ている。晩餐は恙なく進み、国王はニナとの会話を楽しんだようだった。


「とても有意義な時間だった。ニナ嬢、それからヨアンにフェリシア、ありがとう。私は先に失礼するよ。アレクシス、後は頼んだ」

立ち上がって国王を見送ると、ニナの表情がほっと緩んだ。アレクシスがそんなニナを気遣い、声を掛ける。

「ニナ嬢、ありがとう。だいぶ緊張させてしまったけれど、相変わらず領地経営の話は興味深くて、素晴らしかったよ」

今になって緊張がぶり返してきたのか、少し手を震わせながら、ニナが心配気に問い返してきた。

「私…大丈夫でしたでしょうか?失礼はありませんでしたか?」

「僕が見る限り、何も心配するようなところはなかったし、国王陛下もとても満足されていたと思うよ。大丈夫、そんなに怖い方じゃないから」

寧ろ、フィリップ国王は他国の王や皇帝と比べれば、かなり寛容な人物だ。ヨアンとフェリシアも頷く。

「ニナ様のお話、とても興味深く拝聴いたしました。ぜひ一度、バトン領を訪れてみたいですわ」

フェリシアの言葉に、ヨアンも同意する。

「そうだな。温泉にも入ってみたい」

その言葉に、ニナのスイッチが再び入った。

「公爵閣下、実はお願いがございまして…!」

その様子を見たアレクシスは、楽しそうに笑いながら言った。

「ニナ嬢、場所を移して食後のお茶を飲みながら、ゆっくりその話をしようか」

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