第9話 王太子の提案

夜会会場に戻ったアレクシスは、会場内にニナの姿を探した。

次々に挨拶に訪れる人々と適度に会話を交わしながら会場を進むと、奥の壁際でニナが1人ワインを飲んでいるのを見つけた。バトン領で数年前から作られ始めたものだと紹介を受けたワインだろう。飲み口は軽めですっきりと飲みやすく、華やかな香りで楽しませてくれる。国王への土産として持ち帰ろうと考えていた。


ぐいっとワインを飲み干したニナの表情は先程よりも翳っている。幼馴染みからの告白を受けて、その思いに応えられなかったのだから、ニナも辛いのだろう。アレクシスが思いを伝えた時のフェリシアの表情が思い出されて、アレクシスの胸もちくりと痛んだ。

『思いに応えられない側だって、辛いんだよな』


複雑な思いで見つめていると、ニナが顔を上げ、アレクシスに気づいた。

「殿下。――先程は…申し訳ございませんでした。髪飾りの作家を紹介したくてジャンを呼び止めたのですが…。よ、予想外のことで…」

喋りながら、みるみる頬が赤くなっていく。スイッチが入っていない状態だとしても、これはさすがに大丈夫だろうか?

「ニナ嬢、お酒は強いの?」

心配になったアレクシスが問いかけると、ニナはどこか焦点が合っていない瞳でアレクシスを見上げた。

「お酒…は…、嫌いではないです…」

既に質問にちゃんと答えられていないところを見ると、それほど強くはないのかもしれない。もしくは、ジャンに思いを告げられて、戸惑いやら応えられなかったことへの自責の念やらで飲み過ぎたのだろうか。

「ニナ嬢、今日はもう休んだ方がいい。バトン辺境伯…いや、セルジュを呼んであげよう」

ブルーノもセルジュも、先程騎士団の輪の中で談笑しているのを見かけた。アレクシスが手を差し伸べると、ニナはふるふると首を振った。そのせいで余計に酔いが回ったのか、足元がふらつく。

「殿下、大丈夫です。今日は念のためここに部屋を取っていたので、そちらで休みますから…」

ふらふらしながらもなんとかお辞儀をしたニナは、くるりと踵を返し会場を出て行こうとする。しかし、どうにも心配になる足運びで、堪らずアレクシスは後ろからニナの腕を取った。


「部屋まで送ろう。部屋はどこ?」

「いえ…、だいじょうぶですから…」

「いいから。早く」

「もうしわけ…ございません…」

どんどん呂律が怪しくなっていくニナからなんとか部屋を聞き出すと、アレクシスはニナを支えながら歩き出した。アレクシスの護衛が駆け寄ろうとしたのを、そっと目で制す。ニナを目立たないように連れ出してやりたかった。護衛はアレクシスの意図を理解したようで、少し離れてついてくる。


「でんか…もうしわけ…ございません」

またニナが謝った。アレクシスは少し笑う。

「いいよ。ジャンのことで動揺したんだろう?」

ふらふらと歩きながら、ニナはまるで独り言のようにぽつりぽつりと言葉を零した。

「――ジャンのことは…ずっと…お兄様と同じような存在だと思っていて…。だから…ジャンと結婚なんて…考えたこともなくて…ジャンの気持ちに…応えられなくて…。もう、仲良くしてもらえなくなちゃうのかなぁ…。だけど私…今は…もっともっと領地経営の勉強が…したくて…。バトン領のために…もっとできることがあると…」

「うん、ニナ嬢は偉いよ。バトン領はどんどん豊かになっているじゃないか。その躍進が王城にまで届いたから、僕が視察に来たんだよ」

「でも…まだまだ全然…足りないんです…。もっとこの地を発展させるためには…何が必要なのか…。わからなくなってきちゃって…。私の知識じゃ…まだ全然足りてない…力不足なんです…。私みたいな田舎者が考えたことじゃ…もう限界かもしれなくて…。王都で勉強をし直した方が…いいのかもしれないけど…そんなの許してもらえるはずないし…。王都の流行やニーズも知らないと…これからの戦略が練れないし…。だけど…お父様はそろそろ縁談をって…。貴族の娘なら遅すぎるくらいだって…そんなのわかってますけど…私はまだ、そんなこと考えられないんです…。もっともっと…勉強したいのに…」

心の内に積もり積もっていた思いが亀裂から漏れ出てしまったように、ニナの言葉は続く。バトン領への熱い思いや、バトン領のために勉強したいという熱意が痛いほど伝わってきて、アレクシスはニナを支えながら、うん、うん、と相槌を打ち続けた。


ニナを部屋に運び込み、待機していた侍女に託すと、アレクシスは夜会会場に引き返した。会場に入った途端、ブルーノがアレクシスに駆け寄ってくる。

「娘が大変失礼いたしました。殿下のお手を煩わせてしまい、誠に申し訳ございません」

アレクシスの周りにいた者にでも聞いたのだろう、低頭平身して詫びる。

「問題ないよ。視察の間ニナ嬢はずっと頑張ってくれていたから、疲れが出たんじゃないかな」

ジャンとのことには触れず、アレクシスはにこやかに答えた。ブルーノが少しほっとした表情になる。

「ニナが人前で酔うなんて初めてのことで…。見た目や歳よりしっかりしていると安心し過ぎておりました。恥ずかしながら、私も武の道以外にはとんと疎くて。領地の経営に関してもニナに頼りっきりで、情けない父親です」

「ニナ嬢の領地経営の才能は素晴らしい。バトン辺境伯が安心してニナ嬢に経営を任せられる理由がわかります。あれだけの才を眠らせてしまうのはもったいないですからね。他領の者にもその知識やアイデアを教授してもらいたいと思うくらい…」

アレクシスはそう言いながら、ふと口をつぐんだ。


『そうだ、ニナ嬢に王城に勉強に来てもらうのはどうだろう?さっきニナ嬢は王都で勉強し直した方がいいのかもしれないと言っていた。王城には他領からも勉強を兼ねて出仕してきている者たちがいるし、双方いい刺激になるかもしれない…』

「王太子殿下?」

考え込んでしまったアレクシスの表情を、ブルーノが心配気にうかがっている。

「バトン辺境伯、ちょっと聞いてもらいたい話があるんだが…」


アレクシスの提案を、ブルーノは目を丸くして聞いていた。

「しかし、ニナは貴族の娘で、そろそろ婚姻についても考えねばならない年頃です」

「もちろん、それはわかっています。ですが、ニナ嬢にはまだその気がないように感じられます。それに、視察の間いろいろ見せてもらいましたが、ニナ嬢の手腕は本当に素晴らしい。今、バトン領の経営はとても安定している。その今だからこそ、さらに新しい一手のための勉強をさせてあげてはいかがでしょう?バトン領を継ぐセルジュも、ニナがさらに知識を蓄えて戻れば、心強いのではないでしょうか?」

「それは…そうでしょうな…。ですが、ニナはいずれどこかに嫁いでいく身ですし、いつまでもニナに領地経営を任せておく訳にも…。それに、王都にはニナの知り合いもおりませんし…私たちは辺境の守りがありますので、社交シーズン中でもそうそうこの地を離れるわけにはいきません」

ブルーノは思案顔で唸る。

「もちろん、王城では僕が彼女の後ろ盾になります。いつまでもニナ嬢に領地経営を任せておく訳にいかないのなら尚更、今のうちにニナ嬢の不在を経験して引き継ぎを行っておくべきなのでは?それに、勉強を終えて帰られる際に本人が望めば、縁談を用意することもできるでしょう。」

縁談も用意できるというアレクシスの言葉に、ブルーノがぴくりと反応する。アレクシスとて、すぐに思い当たる伝手があるわけではないが、少なくとも辺境に籠っているよりも、王都にいる方が縁談が舞い込む確率は上がるだろう。社交シーズンには国中から貴族が集まり、出会いも多い。──ニナがそれを望むかは別だが。


「せっかく殿下からありがたいご提案をいただいたのです。明日、本人の意志を確認してみます。もしもニナが望むなら、そうですね…1年なら勉強に出してもいいでしょう」

ブルーノの言葉に、アレクシスは笑顔で頷いた。

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