第十一話 失敗作(Side古屋敷風音)
「みんな、周りに集まってっ」
突如変貌した空気に慌てて声を上げるもえさん。視界を塞ぐ真っ白い霧。
目の前で起こるそんな光景を風の魔法少女、古屋敷風音はただ呆然と眺めていた。
「……かざね、何か来る」
視界に広がるのは松明が置かれた洞窟。
頭に乗る
「わあ。びっくり、本当にわたしがいるなんてっ。
ねえねえどういう原理なの? 教えてよ、わたしのあなた?」
まるで鏡写しにしたかのように、風音と同じ衣装、同じ顔をした少女。
唯一違う部分があるとすればその年齢だろうか。小さな体格やあどけなさを残した顔からして一回りは幼く見える。
「どういうこと? なんでわたしがいる?」
「……ごめん、わからない。
でもきっと魔女の仕業。その証拠にここは彼女の匂いに満ちてる」
「……そう」
首肯して無理やり自分を納得させる。
ここはダンジョンなのだ。自分のドッペルゲンガーが現れても不思議じゃないんだろう、多分。
「悪いけど、どいてもらう。
みんなに元に戻らないとだから」
ステッキを構えて、目の前の少女と対峙する。
自分そっくりな少女はその顔に狂気的な表情を張りつかせて笑った。
「あはは、いっちょ前に普通の人間ごっこ?
もしかして無駄に寝坊助になって忘れちゃったのかな?
わたしはママに
「っ」
少女から放たれるは無数の風の刃。
暴風のようなそれを
「風音はママの宝物なの。
たとえどんなひどい目に会おうとママが絶対守ってあげるからね」
「うん!」
我が子を愛おしそうに抱きしめる母親と、満面の笑みを浮かべる幼い自分。
あの人を思い出す時はいつも、そんな甘い記憶が最初に来る。
常に子供のことを第一に考えている優しい母親。それがはたして本当の優しさなんだろうか、と疑問に思うようになったのはいつからだっただろうか。
「しょうらいなりたいもの?
おうたがすきだからアイドルかな~。あとはうちゅうひこうしとかもかっこいいよねっ」
「風音は好きなものがいっぱいあって偉いわね。
でもね、風音。風音はママの子なんだから、いっぱい勉強していい学校に入って、素敵な王子様を捕まえないといけないのよ」
「すてきなおうじさま……? パパみたいな?」
「っ、そうね。パパみたいに、ちゃんと稼ぎがあって、浮気もしなくて……わたしは間違ってない、間違ってないはずだわ」
虚ろな表情でぼそぼそとそう零す彼女。
どうやら自身の境遇や配偶者に不満がありそうだと気付いてから?
「水泳教室に、ピアノ教室、英会話……あとは何がいいかしら?
やっぱり今の時代はプログラミングは必須よね。風音もピコピコとか好きだもんね?」
「? わたし、しょうがっこうにはいったらなにかはじめるの?」
「ええそうよ。いい、風音? 子供の時の教育ってすっごく大事なの。
もしそこがちゃんとしてないまま大人になると、ママみたいになっちゃうんだから。わたしはね、風音に幸せになってほしいのよ」
自らができなかったことを子供にやらせようとしてると気付いてから?
よく、分からない。ただ周りの友達と接しているうちに、漸くそういう異常性に気付き始めてーーでもその時は既に手遅れになっていた。
「毎日の習い事に、門限まで決めるのは流石にやりすぎじゃないか?
あの年頃だと友達と遊んだりもしたいんだろ」
「何言ってるのっ。だからこそやらせるんじゃない。
それに、風音は毎日楽しく通っているわ。先生からの評判もいいのよ?
風音のことを一番知ってるのは私なの。いつも家にいないあなたは黙っててちょうだい」
「そ、れは私も悪いと思っている。
ただ私は風音の父親として忠告を、だな……」
「……父親を名乗るなら、少しくらい協力したらどうなのよ?
毎日の送り迎えも、家事洗濯も全部わたし。この前もーー」
小学校高学年に上がった頃だろうか。
二階の自室で寝ていると、下のリビングから両親がそんな風に言いあう声が聞こえるようになった。
妻をたしなめる父親と、自らの教育は間違えてないと固執する母親。
本人たちは小声で話しているつもりなんだろうけど、その声は静まった夜の家にはよく響いた。普通に眠るのが難しいくらいには。
さりとてそこに割って入るわけにもいかない。一度それをしてその後の喧嘩がさらに酷くなってしまったから。
風音に出来たのはただそれが終わるのを待つことだけ。
まるで嵐から身を守るように震えながら布団にくるまって、そうして数か月経ったころには普通に寝られるようになってーー今度は別の部分がおかしくなった。
静かな場所で眠れなくなったのだ。
頻繁にぶつかっていた彼らとて、毎日やれるほどエネルギーが有り余っているわけでもない。一週間に数日は穏やかな時があった。
そういう日は決まって眠気がやって来なくて、日中に眠くなるようになってしまった。学校、あるいは習い事先で先生に注意されることも増えた。
今まで優等生だった風音のあらぬ変化に母親は当然尽くしてくれた。
色んな病院を回ったり、近所の人やネットから「睡眠にいい料理や行動」とかの情報を集めたり(最もラジオを付けたまま眠るとかは体に悪いと許してくれなかったけれど)。
そうして新しい方法を試す時、彼女は決まってこういうのだ。
「大丈夫よ、風音。いまはちょっと疲れておかしくなっちゃってるだけなの。
ママがちゃーんと治してあげるからね?」
その言葉を聞くたびに「ああ自分はどこか壊れているのだ」と胸が苦しくなってーー結局、何も変わらなかった。
次第に厳しくなる彼女の束縛。しまいには家にいるときは常に母親と一緒にいるような感じになっていた。
そうした日常が壊れたのは、合格発表があったあの日だ。
母親の言う通りに某名門市立中学校を受験した風音は、その入学試験に落ちてしまったのだ。
「わたしの人生、あなたのせいで台無しよっ。
わたし、あんなに頑張ったのにっ……。どう責任取ってくれるのよ、風音っ。
こんなんだったら、あなたなんか産まなければよかったわっ」
そう瞳孔を見開かせて叫ぶ母親の顔は今でも鮮明に覚えている。
聞いた話によると、近所の人や親族には「既に推薦で受かっている」と嘘の報告をしていたらしい。
ともかくその発言を聞いてこれはやばいと思った父親が慌てて風音と引き離し、両家同意の元に離婚調停が行われた。
それからは父親との二人で暮らし。
接触禁止命令とかは出ていないはずなのに、風音が高校生になった今でも母親は連絡を取ることすらしてこない。
はてには、地元の友人と再婚して楽しくやってるみたいな噂も流れてきてーー
「かざねっ」
「っ、
弾幕を抜けてきた風の刃を間一髪で防ぐ。
衝突で飛散した欠片の一つが風音の頬をかすめ、つうと赤い筋を作った。
「……痛い?」
「あはは、やっぱりだめだめだね、わたし。
なーんにも変わってない。そんなんだから、ママの期待に応えられなかったんだよ?」
少女が笑う。苦しそうに、自嘲するように。
目の前の彼女が何者か、本当のところは分からない。
でも風音には彼女が昔の自分のそのもののように感じられた。母親に捨てられたと思いつめて、己には何の価値がないのだと絶望していた自分。
変わってない、か。
多分そうなんだろう。今も寝ぼけ癖は健在だし、時折母親を思い出して深い無力感に苛まれる。
それでもーー
『やる前から諦めてどうするんですか。
それにもしあれと同程度の敵が出てきたらどうするんです? 私達がダンジョン化を防ぐ最後の砦なんですよ?』
『その「わたしなんか」っていうのをやめようぜ。
それは自分と相手の両方を苦しめる言葉だと思うからさ』
『ぐ、まあともかくだ。俺たちそう卑下するもんじゃねえってことさ。
俺の見立てじゃ風音は配信で人気が出るタイプだと思うぜ? 俺もこうして風音と話す時間は好きだからな』
ーーこんな自分でも、何かを期待してくれた人がいるから、肯定して好きだと言ってくれた人がいるから。
「いつまで、ママに囚われてるの?
あの人は自分の人生を歩き始めた。ならわたしもそうすべき」
そんな言葉を自分に向けて言い放つ。
少女が顔をくしゃくしゃに歪めて叫んだ。
「っ、ママに悪いと思わないの?
あんなに時間を使って、私に尽くしてくれたのにっ」
「……それは、思う。でも家族だろうと所詮他人。
全部が全部思い通りになるなんてきっと無理」
「うるさいっ、そんな言葉聞きたくないっ。
ママには私しか、いなかったんだよ? それをあんな形でぶち壊しちゃって……」
少女が両手で顔を塞いで嗚咽を漏らす。
……ああ、そうだ。
当時習い事に忙しかったせいで、風音には友達と呼べる人がいなかった。母親も勘当同然で家を追い出されてからはたった一人で上場企業の正社員まで上り詰め、親族や知り合いの中に何でも話せるような間柄の人はいなかった。
きっと二人ともお互いしかいなかったのだ。
だからあそこまで暴走してしまった。お互いのやることを受け入れてしまった。
でも今は違う。
「もう、私にもママにも別の居場所があるから。
だから……大丈夫。あなたもきっと幸せになれる」
「……あはは、そういう意味じゃあわたしにもあるよ。
魔女のお人形っていう役割がっ」
突如放たれる風の刃。
完全に意表を突かれた風音はそれに反応できなくてーー突如現れた炎の弾に防がれた。
「あっぶねえ、間に合ったっ」
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