第九話 再出発
「……」
凪にさざ波が立つように緩やかに、意識が覚醒していく。
視界に映るのは見慣れた、とまではいかない拠点の宿泊室の天井。
時刻は4:00。いつものあれだ。
でも今日は何かが違う。常に背中を焼いていた、浮足立ちような焦燥感がさっぱりとなくなっていた。
『……え、おっも。
蓮花さん、裏ではそんな風に考えたんですか? まじひくわー』
それは間違いなく、あの時俺の思考を笑い飛ばしてくれた二人のおかげだ。
何か状況に変化があったわけじゃない。俺の目標は今でも魔女を追って莉々の心を救うことだ、それは変わらない。
変わったのは俺の心持ち。少しくらいは楽しんでもいいじゃないか、そう思えるようになれた。
だからあんな風に二人の前で泣きじゃくったとしてもおかしくは、おかしくは……いや改めて考えてみるとやばいな、俺っ。
だってあれだろ、クラスの女子の前で突然泣き出したみたいな感じだろ? 二人もとも完全に子供あやしモードに突入していた気がするし……うーん、これは〇ねる。
と、部屋の外から誰かの気配。
何となく彼女がそこにいるような気がして、部屋を出る。
「あ、蓮花。来たんだ」
「まあな」
予想通り、共用スペースには風音がいた。
風音がゆっくりと体を起こし、ソファーの端へと詰める。俺が座れるように開けられた、一人分には程遠い空間。
よ、よく考えたら俺の距離感おかしくなかったか?
一応こういう時は羞恥を感じてたけど、問題はそれ以外よ。なんで俺、風音をおんぶしたりできたんだ? ってかそもそも今この瞬間が同学年女子とのワクワクお泊りイベントの真っ最中じゃねえか。
「どきっ!女の子だらけのパジャマパーティ!ぽろりもあるよ」とか「入浴中に友達の女の子が突撃してくる」とかは?(シャワーだから特に何の騒動もなし)
え、めっちゃ重要シーンスキップしてない? スチル開放はどこだよ、右下にギャラリーボタンがついてたりする?
「?? どうしたの、蓮花?」
「……いや、何でもない」
そんな浮ついた心を押さえて、いつも通り風音の隣に座る。
全てが元通りになるわけでも、今まで積み上げてきた何もかもが無くなるわけじゃない。変わらない部分、変わる部分、ゆっくり見極めていけばいいか。
表情を緩めて、ほんのりと笑う風音。
「元気になったみたいでよかった」
「ん、今日はありがとな。
色々考え込んでたからさ、二人のおかげでかなり楽になったわ」
「……そんなに大事? 莉々って人」
「まあな。
俺を一人ぼっちから救い出してくれた人だから」
もしあの時莉々がダンジョン前広場で声をかけてくれなかったら、こんな風に風音たちと関係を築けなかっただろう。
そういう意味でもやっぱり莉々の存在が大きいのは間違いない。
風音はじっと考え込んだ後、小さく握り拳を作った。
「やっぱりわたし、ダンジョン配信やってみる」
「??」
突如意見を翻した風音に、頭の中に浮かぶのは無数の疑問。
さりとてそれはありがたい話でもあった。二人がそう言ってくれるなら、俺も遠慮しないで済む。
「でも急にどうしたんだ?
あの時は怖いって言ってたよな?」
「……蓮花は、こんなわたしでも許してくれたから。
変な場所で寝ててもいつも起こしてくれるし、それにネカフェも紹介してくれた」
視線を落として苦しそうに言葉を零す風音。
許してくれる、か。
確かに風音の性格だと色んな人に怒られたりしそうだなあ。特に規律に厳しい学校とかだと。
「だからそのお礼。
わたしなんかじゃ、頼りにならないかもだけど」
「……そっか」
そう自分を卑下する風音に、どうして風音の近くにいると落ち着くのか分かった。
たぶん、風音は俺と同じように自己評価が低いのだ。
だから頑張ろうと無理に肩ひじを張らなくて済む。例え情けない姿を見せたしても風音なら笑って許してくれる気がして。
でも今の風音の寂しそうな、苦しそうな表情は見ていられなかった。
「その「わたしなんか」っていうのをやめようぜ。
それは自分と相手の両方を苦しめる言葉だと思うからさ」
己の自尊心を傷つけ、大切に思ってくれている人の好意を無下にする。
思えば、俺があそこまで追いつめられていたのも「俺なんかと友達になってくれた」と必要以上に莉々たちを神格化していたのが原因だった。
あの時教室から逃げ出した俺を見て、莉々たちもこんな風に思っていたんだろうか。そう考えると物凄く申し訳ないことをしたなあ。早く謝らないと。
「……でも実際迷惑かけてばっかり」
「そんなもんだろ、人間関係なんて。
俺なんか二人の前でボロボロ泣いたんだぜ? それに比べりゃ風音の迷惑なんて些細なものよ」
「……確かに。あれは面白かった」
「ぐ、まあともかくだ。俺たちそう卑下するもんじゃねえってことさ。
俺の見立てじゃ風音は配信で人気が出るタイプだと思うぜ? 俺もこうして風音と話す時間は好きだからな」
「あ……」
いつも眠たげに細められた風音の瞳が、まん丸に見開く。
やっべ。なんか変なニュアンスになってない? こ、これはあれだから、純粋な好意としてのあれだからっ。異性としてのあれじゃない、はず。多分きっとそうなんじゃないかな、うん(←恋愛経験が無さ過ぎてよく分からない人)。
そんな激情吹きすさぶ中、風音はふいと視線を外した。
「そっか。……やっぱり蓮花は恥ずかしいね」
「うぐっ。あの、これはどうか蛍には内密に」
「それはこれからの態度次第。頑張って、蓮花」
口元に手を当て、珍しく蠱惑的な笑みを浮かべる風音。
頑張れって言われても何を頑張ればいいんですかねえ(困惑)。
まあでも、こうやって少しずつでも二人で前に進んでいたらいいなあ、とそんなことを思った。
此処とは違う世界。現実にあって現実には存在しない世界。
そんな真っ黒に満ちたその場所で、彼女は立っていた。
「やっぱり、そうだよね。なんでいるんだろ……?」
彼女が首を首をかしげる度、その体から黒い影が蒸気のように零れていく。
彼女の傍らに立つのは猿、キジ、犬の三つのぬいぐるみ。
それらがまるで会話するかのように色とりどりの光を発した。
「くすくす。そうだよね。
とりだしちゃえば、ぜんぶおんなじだもんね。
それじゃあ……まっててね、みんな。わたしがちゃんとすくってあげるから」
どこまでも続く闇の中、ダンジョン騒動の元凶たる魔女はゆっくりと動き始めた。
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