第12話 ※元夫視点

 ステッファンが王都から戻ると、愛しい愛人ーーもとい晴れて本妻のオーエンナではなく、顔を真っ赤にして仁王立ちになった姉キャシーと対面することになった。

 離婚した旨の手紙はクロエが出していたように記憶している。クロエの手紙を見てここにきたのだろうか。


「やあ姉さん。一体ど」

「どうもこうもないわよ。早く執務室に来なさい」


 ドスドスと部屋に入っていく姉の姿にあっけに取られてしまう。


「やれやれ、今はこの家の主人は俺だって言うのに、いつまで偉そうにするんだよ、あの女は……」


 ため息をつきながら、ステッファンは重い足取りで執務室へと向かう。


「疲れてるって言うのに、こっちは……」


 実のところ。

 クロエを追い出してから、ステッファンは意外と忙しかった。


 家政はこれまでは母、母が亡くなってからは本妻だったクロエに任せっきりだった。


 女主人のやる家政など大した仕事ではないと思っていたのだがーー想像以上に、こまごまとやることが多かったのだ。


 領民への施しから要望に対する対応、貴族の突然の訪問対応、巡礼者の宿泊対応といったものから、屋敷の定期点検、書類整理、手紙、贈答品発注、使用人の人事、トラブル対応、自警団の管理、その他ーー上げていけばキリがないほど、クロエが携わっていた仕事が多かった。


 留守を守る使用人さえいれば、学も教養もないオーエンナ一人でも十分家政を取り仕切ることができると考えていたのだが、見通しが甘かったのだ。


 そんなわけで、困ったステッファンはクロエの仕事の大半を、彼女が置いていった使用人ーーサイモンに任せることで解決したばかりだった。


 彼は元々マクルージュ侯爵家の家令も務めていた男であり、普段からクロエの仕事を傍で見ていたということで、クロエの仕事を二つ返事で引き継いでくれた。


 マクルージュ侯爵家からクロエについてやってきた彼が、クロエと離縁してもストレリツィ家に残ってくれたのはステッファンにとって嬉しい誤算だった。


 なぜ彼が残ったのか?

 おそらく、身ひとつで離縁された女に付き従っても旨味などないからだ。

 サイモンがストレリツィ家に残った理由を、ステッファンはそれくらいにしか考えていなかった。


 まさか、それが地獄を呼んでいたとは知らずに。


◇◇◇


 ーー小一時間後。

 執務室には顔を真っ赤にしたキャシーと、血の気が引いたステッファンがいた。


「うちは絶対援助しないからね! あんたが何とかしなさいよ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴るキャシーは、弟ステッファンに書類を投げつける。


 ステッファンは姉の横暴に言い返そうとしたが、ただぐっと押し黙った顔をして口を閉ざした。執務机に置かれた両手は色が変わるほど固く握り締められ、手汗がしっとりと天板を濡らしている。


 姉弟のそばではカーペットに頭をつけたまま顔をあげられない家令と、若き従者の姿があった。

 ステッファンは苛立ちを書面へと向ける。


「サイモンにまさか……ここまでしてやられるとは……」

「してやられるとは、じゃないわよ。あんたがちゃんと契約に目を通していないから……サインだけ適当にやってるからこうなるのよ!」


 あの表情に乏しいモノクルの老執事を思い出し、ステッファンはぎりぎりと歯噛みする。


 クロエは土地も財産も持たず、身ひとつで離婚に承諾し家を後にした。

 それが罠だったのだ。


 先代マクルージュ侯爵逝去により、クロエの兄である現侯爵セラードが管理不能となったマクルージュの土地は、ストレリツィ家の領地となっていた。


 マクルージュの血を引くクロエの嫁ぎ先であり、領地が隣接したストレリツィ家が受け継ぐことは自然なことのように思えた。


 マクルージュ家の土地には魔石鉱山があった。

 魔石鉱山は原則的に、国防にまつわる辺境伯の特例を除き国有財産だ。


 管理する領主は国から鉱山管理を預かり、管理費として許可された量以上の魔石は全て、国に納める義務がある。


 つまり魔石鉱山というものは管理が手間だが、それ自体が領地に直接的な利益をもたらすものでもない。だからステッファンは軽視していたのだ。


 しかし。

 財産管理の書類の中で、ステッファンは小さく書かれた一文を見落としていた。国有魔石鉱山管理法に基づく書類の中に記載されたものだ。


『魔石鉱山管理は(a)国家承認魔力保有者もしくは(b)王家所有魔石鉱山採掘家一覧の爵位保有者もしくはその男子配偶者に委任される。(a)(b)そのどちらにも該当しない者が魔石鉱山管理者となる場合、品質補償金として表12の計算を元に支払を行うものとする』


 記載された表12の補償金の額を見てステッファンは脂汗が止まらなくなった。ストレリツィ侯爵家の年間収益でも足りない金額だった。その上、期限内の支払いしか認めないという。


「嘘だろ、こんなふざけた法律あってたまるか」


 数百年前ならいざ知らず、現代社会では魔力は滅多にない特殊な能力だ。大抵の魔力保有者の一族でも能力者はほとんど出ない。そんな現代において、魔石は重要な資源だ。


 普段魔力保有者の重要性を忘れて生きてきたステッファンにとって寝耳に水だ。


 ストレリツィ侯爵家に近しい親類には国家承認魔力保有者など存在しない。


 強いて最も近いのはーーいや、近かったのはクロエの兄だ。


「クロエが魔力保持者なんて聞いたことがないぞ……それなのに、あの血が管理者となっているだけで、品質保証金が必要なかったなんて……」

「どうすんのよ。財産分与の書類にも離婚手続きの書類にもサインしたのはあんたよ。このままじゃストレリツィ侯爵家は破産するしかないわ」

「お、おい助けてくれよ」

「冗談じゃないわ、私はもう嫁いだ身よ。あんたがなんとかしなさいよ」


 慌てるステッファンは肝心なことを思い出した。


「待て。サイモンはどこだ!?」


 青ざめた従者は顔を見合わせ、そして首をかしげる。


「そういえば……今朝まではいらっしゃった気がするのですが……」

「探せ!!! あのクソジジイを探せ!!!!」


 ステッファンは叫んだ。


「あのジジイを探して解決方法を吐かせる。そしてクロエを取り戻す。とにかくお飾りでいいから、この家に戻って来させるんだ」


 大慌てするステッファンとその姉キャシー。そして使用人。

 彼らはすっかり見落としていた。本妻に収まったオーエンナが、朝から姿を見せていないことを。

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