第3話

 ヘイエルダールに着く前に、私の話を少ししておこうと思う。


 私の名前はクロエ。実家はマクルージュ侯爵家だ。

 私は社交界デビューも済ませないままストレリツィ侯爵家に嫁いだ。

 実家ーーマクルージュ侯爵だった父が死に至る病に臥したことにより、早急に嫁ぎ先を決める必要があったからだ。


 夫となったストレリツィ侯爵ディエゴは私より20歳上、当時34歳の男だった。書類上の夫婦になってすぐに、父は急逝することになる。

 その後、彼が別邸に25歳の愛人オーエンナを囲っている事実が明かされる。

 既に、子供を何人か産ませている状態だった。

 姑は言った。


「息子の好きにはさせてあげたいけれど、オーエンナに女主人は任せられないのよ。その点、クロエさんの家柄なら問題ないわ。……経験がないから不安? 大丈夫、心配しないで。私がしっかり女主人として躾けてあげる。母親もいない、帰る家もないクロエさんにとっては願ったり叶ったりでしょう?」


 ーー姑は最初から、私をこうするつもりだったようだ。


 帰る家のない私は全てを受け入れるしかなかった。

 結婚式は関係者だけの簡素なもので済ませ、父親代わりの場所に立ってくれたのはマクルージュ侯爵家の頃から仕えてくれていた執事のサイモンだった。


 夫はといえば。

 結婚前夜も結婚初夜も。

 彼は私を侯爵家に一人残して愛人と共に過ごしていた。


 父が逝去したのち、兄セラードは爵位と財産だけを引き継ぎ、土地を私の嫁ぎ先であるストレリツィ侯爵家の管轄とする手続きをとった。

 宮廷魔術師はただでさえ貴族として領地経営することは困難な上、マクルージュ侯爵領には国有財産である魔石鉱山がある。「相続者が魔石鉱山の管理ができないならば」と、土地の譲渡は国にスムーズに受理され、私の嫁ぎ先であるストレリツィ侯爵家のものとなった。


 夫の愛人オーエンナは本邸より数倍立派で豪奢な別邸に住まい、子供を何人ももうけ、そのうち容姿端麗な子供はあちこちの貴族家に養子養女として貰われていった。

 書類上は私と彼の子となるので、愛人の子は私の実家マクルージュ家の価値も付与された子供として養子に行き、ストレリツィ侯爵と各貴族家の関係をつなぐ重要な役目を果たしている。


 ーー白い結婚で、夫に手を握られたことすらない私が書類の上では子沢山になっているのは、何とも皮肉な話だ。


 私は亡き母親の思い出を胸に、ずっと「母親」になることを夢見ていた。

 白い結婚として夫に触れられたこともない私にとって、オーエンナは眩しくて、憎らしくて……とても、羨ましかった。


 結婚3年目、17歳の春に舅が逝去した。

 私は夫の許しを得て、敷地内に学舎を作り、学ぶ機会のない領地の貧しい子どもたちに読み書きと手習を教える慈善活動を始めた。

 亡き両親は貴族の義務として領民への慈善活動を熱心に行っていたので、私も両親に倣って少しでも慈善事業に取り組みたかったのだ。

 姑も夫も私に呆れていたが、私は「これもストレリツィ家の評判につながります」と宥めすかしながら学舎事業を続けた。

 子供たちと接するときだけが、私にとっての何よりの幸福な時間だった。


 結婚4年目、18歳の冬に姑が逝去した。

 夫は実母である姑の逝去後、完全に愛人の別邸にしか寄り付かなくなった。

 夫にとって姑の存在は、目の上のたんこぶでしかなかったらしい。


 ーーそして。

 結婚5年目の今年、ついに愛人はとある子爵家の養女の身分を手に入れた。養子で恩を売った各貴族家の後押しで、齢30過ぎの養女となった彼女は、ついに私を追い出すことにしたらしい。


 夫は私に、朝食を咀嚼するついでに離婚を伝えてきた。

 私が19歳になった翌朝のことだった。 

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