第2話

 銀縁眼鏡の奥、老紳士の翡翠色の瞳が細くなる。

 私は首を傾げた。


「提案?」

「亡き旦那様ーーマクルージュ伯爵の古きご友人が、以前お嬢様のお力になれなかったお詫びに、お嬢様に何かあれば是非身を寄せてほしいとのことです。ヘイエルダール辺境伯の名に聞き覚えはありませんか?」

「ヘイエルダール辺境伯……」


 突然の話に、私は目を瞬かせて思考する。

 そういえば、父の葬儀の参列者名簿の中でその名を見た覚えがある。当時は私は既にストレリツィ伯爵家に嫁いだ身。だから挨拶などはさせてもらえていなかったけれど。


 サイモンは話を続けた。


「お嬢様が心から身を落ち着けたい場所が決まるまでの間、一時的にでも羽を休める場所になれるのならば是非、との事です」

「しかし……いきなり押しかけるのも」

「それはご安心ください」


 躊躇う私に老紳士は微笑んだ。


「ヘイエルダール辺境伯の屋敷には多くの子供たちがいます。七年前の国境侵攻で親を亡くした部下の子どもたちを全員養子に迎えておいでなのですが……年頃になった彼らの女家庭教師も探していらっしゃるのですよ」

「女家庭教師としてお世話になる、ということね」


 それならば気遣いも必要ない。サイモンはそこまで考えて話を纏めてきてくれたのだろう。私は彼に感謝した。


「ありがとう。セラード兄様の元に身を寄せるにしても迷惑になるし、かといって夫に家を用意してもらうのは気が咎めていたの。……これですっきり、私は新しい人生に向かえるのね」

「はい。お嬢様の新しい門出を私は祝福いたします」


 サイモンは力強く言い切り、私の決意を後押ししてくれた。


◇◇◇


 私はそれから一週間で身辺整理し、親しくした方々とささやかなお別れの食事会をした。

 ヘイエルダールへ発つ日、駅で私はサイモンと暫しの別れを惜しんだ。


「こちらの手続きはすべてお任せください。全て終わりましたら、私もヘイエルダールへと報告に参ります」


 風に銀髪を靡かせ、私に丁寧に辞儀をするサイモンに、私も淑女の礼を返す。

 美しく年を重ねたサイモンの翠瞳が優しく細くなった。


「お元気で、お嬢様」

「最後まで苦労をかけたわ。……本当にありがとう」


 涙がこぼれそうになるのを押しとどめ、私は笑顔で汽車に乗る。

 黒いロングコートを纏ったサイモンの姿が見えなくなるまで、私はサイモンに手を振り続けた。


 王都より北方へ鉄道を乗り継いで丸二日。

 馬車で一週間を要する、ヘイエルダール辺境伯領。


「ヘイエルダール辺境伯ーー一体、どんな方なのかしら」


 全く知らない土地に行くにも関わらず、私の心は弾んでいた。

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