三作品目「若々しいままでいてくれよ」

連坂唯音

若々しいままでいてくれよ

 あんたは夫を夫と思っていない。結婚して三十年も経てば、愛なんて単語は消えてしまうよね。妻であるあんたは、日々増える皺を鏡の前で数えることもやめて、韓国ドラマを見続けて、瞳を輝かせている。その熱い視線を夫に最後に送ったのは、いつのこと?

 夫は風俗も、不倫もやらないってのにネットサーフィンに最近依存していて、あんたはうんざりしているね。夫が書斎に閉じこもってイスからなかなか立ち上がらないのは、キャスターが壊れているせいじゃないのに。

 二人が横浜の海水浴場に行ったときに撮影した写真は埃を被ってしまていて、あんたも夫も昔を思い出すきっかけがない。埃が水着の眩しさを隠しているようで、二十代の若々しさはどこにいったのだろうか。

 隣の家の夫婦が毎朝子供を連れて出勤している光景を見て、あんたは目をそらしたよね。目を背ける理由を、子供が巣立ってしまったからと自分を納得させるのはどうなの? 

 娘は夫婦の冷えた空気に薄々気づいている。帰省するたび、二人の会話に潜むとげとげしい言葉を頻りに耳にするから。

 ある日あんたが夫の書斎を掃除していたとき、パソコンの画面がつけっぱなしになっているのを目にしたよね。検索画面に「結婚記念日 妻 プレゼント」と単語が入力されているのを見て、あんたは少し頬を赤らめたっけ。

 まったく、何年夫婦やっているんだよって感じだけど、夫は不器用ながらも夫婦関係を前に進めようとしているの。

 結婚記念日ここ十年祝ったことなんてなかったのに、あんたは毎年カレンダーをみてため息をついていたっけ。そのため息とともに、女としての魅了を吐き捨てていくような感覚に陥って辛かったんでしょ。

 結婚記念日が近づいてきて、あんたは派手な化粧を纏うようになったけど、ありのままの自分を否定しているようで嫌になるよね。

 夫のことをよく観察してみなよ。最近鏡の前で、三段腹を息を吸って必死にへこませているじゃないか。あんたとやってることと変わりゃしないじゃない。

 夫はあんたに若さを求めていないよ。刻まれた皺も、くすんだ皮膚もすべて愛してくれてるじゃないの。

 なあ、若々しいままでいてくれよ、って一言夫は告げただけ。

あんたは夫を夫だと思っていない。再び夫を男として見るようになっただけ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三作品目「若々しいままでいてくれよ」 連坂唯音 @renzaka2023yuine

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る