第67話 帰宅

 栞の足の痛みが引いた時には、俺はもうぐったりしていた。周りに栞の声が聞こえやしないかひやひやだったし、俺自身を鎮めるのにも必死だったから。


「うぅ……やっと痛くなくなったよ。ありがとね、涼」

「う、うん……それはよかった……」

「……?なんでそんなに疲れてるの?」


 あなたのせいですよ、栞さん……


「なんでもないよ……」


 なんでもなくないんだけど、こう言うしかないわけで。でもちょっとだけ意地悪をしようと思う。栞もわざとやってるわけではないとはいえ、少しくらい俺の苦労をわかって貰わないとフェアじゃないしね。


「栞、今日は帰る前にうちに寄っていくこと。いい?」

「え?なんでいきなり……?」


 俺の思惑通り、動揺して顔を赤らめる栞。少し強引な口調で言ったのも効果があったみたいだ。


「いいね?」

「は、はい……」


 耳まで真っ赤になってしまった。どんな想像をしてるのか手に取るようにわかってしまって笑いそうになるけど、ここはぐっと我慢だ。でもここまで言っておいて、やることがわかったらその時は栞に怒られてしまうかもしれないな。まぁそうなったら状況次第ということで……


 え?何するつもりかって?そんなのわざわざ言わなくても諸兄姉にはわかるだろ?プールの帰りに彼女をうちに連れ込んですることなんてしかないんだから。


 それにしても、これからどうしようか。ウォータースライダーでは脱げて、水遊びをしたら溺れかけて足をつって……栞に対しては過保護な自覚のある俺は途方に暮れてしまう。栞自身はわりとケロッとしてるのが救いではあるけど。


「それでこの後はどうしよう?」

「少し休もうよ」

「え?遊ばないの?」


 今しがた危ない目にあったというのに元気なものだ。


「足つったばっかりでしょ?」

「だって楽しいんだもん。涼のせいだよ?私1人だったらこんなところ来れなかったんだから。それどころかそもそも彩香達と仲良くなることもなかっただろうし。涼がいるから私楽しめるし、こんなにはしゃげるんだよ?」


 少しだけ拗ねているようにも見えるけど、栞の眼差しは俺に全幅の信頼を寄せるようなもので。嗜めていたはずが、いつの間にかドキドキさせられている。本当に俺の彼女は可愛い、なんてどうしようもないことを思ってしまう。そしてまた栞しか見えなくなっていくのだ。

 こういう時、素直な言葉がすっと出てこない自分が恨めしいが、代わりに栞の手を握ると嬉しそうな顔をしてくれる。そしてキスをせがむように顎を持ち上げた栞に吸い込まれそうになって……


「そこまでにしとけ、よっと!」


 すぱんっと頭を叩かれる。その衝撃で俺と栞の頭は衝突してしまう。予想外のことに頭を抑えて目を白黒させながら振り返れば呆れた顔をした遙達の姿が。集合時間にはまだあるはずだが……と思い確認するとやはりまだ30分程は時間がある。


「遠くから姿が見えたから様子見してたけど……本当に……」

「まぁしおりん可愛いもんね?高原君が抑えられなくなってもしかたないよね?」

「彩香……そんなこと……」

「うん、まぁ栞は可愛いよね」

「もうっ、涼!」


 栞が抗議の声をあげるけど、これだけは事実なので曲げる気はない。他人の目から見たらどうか知らないけど、少なくとも俺にとっては内面も含めて可愛い大事な彼女なのだ。


「涼も平然と言うようになったよなぁ。昔のお前に見せてやりたいくらいだわ」

「恋は人を変えるって言うしね!いいなぁ、しおりん、こんなに溺愛してくれる人がいて」

「おい、彩……お前には俺がいるだろ……」


 こんなことを言い合っていても、遙達もお互いに大事に思っているのを俺は知っている。視線とか声のトーンでわかってしまうのだ。だてに人目を気にしてボッチしてたわけではない、なんてなんの自慢にもならないことを思ってしまったりして。


 時間より早いがせっかくまた集まったので、そのまま合流することになった。

 それからは浅いプールで楓さんと水を掛け合ってはしゃぐ栞の笑顔に見惚れていたら、ふいをつかれて大量に水をかけられたり、最後に1回だけと言ったのにウォータースライダーをせがまれて何回も滑ることになったり(今度は脱げなかったからな?)、ヘトヘトになるまで遊んだ。

 夏休みに入ったばかりの頃栞とプールなんて俺達には縁遠い場所なんて話していたはずなのに、気付けばきっちり楽しんでいた。これも栞との関係が進んで世界の見え方が変わったからなんだろうと思う。そう思えばまた栞が愛おしくなり……思い出が増えるたび、こうやって想いを積み重ねて更に大事な存在になっていくのだろう。これからもずっと。本当に際限なんてないんだ。


 夕方まで楽しんだ俺達はさすがに帰宅することに。うちの最寄り駅まで乗り換えも含めて1時間程度。疲れもあって眠気が襲うけど、栞が俺の肩に顔を寄せて眠ってしまったので、乗り過ごすのを恐れて起きておく羽目になった。


「それにしてもしおりんも変わったよねぇ。前は警戒心の強い野良猫みたいだったのにさ。黙ってるのに毛を逆立てて威嚇してるみたいな感じでさ。今じゃ甘えん坊な家猫みたいだけど」

「それだけ涼の傍が安心できるってことだろ。あんだけお互い溺愛してたらそりゃな?」


 遥がニヤリと俺を見て笑う。今更だけど真面目に言われると恥ずかしい。でも、栞にはずっとこうやって幸せそうな顔をしていてほしい。だから俺ももっと頑張らないと、と決意を新たにする。新学期ももうすぐ始まることだしね。夏休みはもうすぐ終わる。たくさんのことがあって長かったようなあっという間だったような。でも今日はまだもう少しだけ続く。

 栞を起こさないように気を使ってくれた遙達と静かに別れ、しばらくしてようやく最寄り駅に到着した。まだ眠そうな栞を起こして、宣言通りに我が家へ連れて行く。

 のだが、家には明かりがついておらず、いると思っていた母さんは不在だった。帰る時間は連絡しておいたはずなのに……




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