第64話 2人だけの世界
言い訳の余地もなく楓さんにお仕置きされていた遥がようやく開放された。
「ひどい目にあった……」
散々つねられた遥のお腹周りは真っ赤になってしまっていた。
「微妙にニヤけてたのが良くなかったと思うけど?あれじゃ楓さんに喜んでるって思われても仕方ないでしょ」
黙って成り行きを見守っていた遥の姿を思い出しながら指摘する。でも返ってきた言葉は意外なもので。
「あれはだな……涼も成長したなって思ってただけなんだよ……」
「え?俺?成長してる?」
「自覚ないのかよ……いいか?いつも誰かに話しかけられると逃げ出してたお前がだな、初対面の相手にちゃんと対応してたんだぞ?しかもあんなに自然に黒羽さんのこと大事だって言えてさ。それを成長って言わなくて何て言うんだよ」
……確かにそうだ。しつこくされてイラッとしてたのもあるけど、深く考えもせずに言葉が出ていた。逃げることも考えていたけど、それは迷惑してたからであって、前みたいに萎縮して逃げ出すのとは違う。変わりたいとは思っていたけど、実際に栞のお陰でここまで変われたんだって思うと胸がいっぱいになり、少し目頭が熱くなる。
それにわかってはいたことだけど、俺はどこまでも栞のことが大事だって再認識した。俺が取られるなんて心配してほしくないし悲しませたくない、寂しい思いもさせたくない、いつも傍で安心して笑っていてほしい。そう思うから『彼女が大事』なんて言葉が自然に出てきたのだ。
栞の方を見れば遥の言葉に同意を示すように、うんうんと頷いてくれていた。
遥の言葉で俺は心を動かされてしまったけど、勘違いでお仕置きまでしてしまった楓さんはそうはいかない。驚いた顔をした後、痛々しく赤くなった遥のお腹を申し訳なさそうに見つめている。
「えー……そうだったの?てっきり綺麗なお姉さんに声かけられて喜んでたと思ってたのに。それなら早く言ってよね……思いっきりつねっちゃったじゃん……」
「お前が話聞かないからだろ!まだヒリヒリするんだぞ?」
「うー……ごめんね?お詫びに何か飲み物奢ってあげるから許して!」
「しょうがねぇなぁ。それでチャラにしてやるよ」
話が上手くまとまりそうでなにより。やっぱりこの2人も仲良くしてる方が俺としても嬉しい。
「誤解が解けたみたいで良かったね。あ、涼にはさっき助けてくれたお礼に私が奢るからね?」
「別に気にしなくていいのに」
「私が気にするの!それにね、ちゃんと守ってくれて冷静に対処してくれて、あの時の涼ね、すっごく格好良くて私嬉しかったんだよ?」
「そりゃ他人に見られたら俺が嫌だし……」
「でも涼にはしっかり見られたけどね?」
「う……」
あまり思い出させないでほしい。何がとは言わないけど男子的には色々と問題なのだ。ただでさえ水着姿が魅力的すぎて大変だというのに。
「……涼、えっちな顔してるよ?」
「栞があんなこと言うからだろ?!」
「そっかぁ、私のせいなのね。ねぇ、今が2人きりじゃなくて残念ね?」
「……」
「へへ、冗談だよー!ほら、私も喉乾いちゃったから早く行こっ!」
あの日から栞はこういうからかい方を覚えて、時々俺を困らせる。蠱惑的な顔で煽るように……俺の忍耐力が鍛えられそうだ。2人きりなら止まらなくてもいいかって思うのだろうけど、なかなかそういう機会なんてないのが現状だったりする。
そんなわけで、俺はちょっと悶々とした気持ちを抱えながら、全員でドリンクを販売しているところへ移動する。パラソルのついたテーブルと椅子がたくさん並んでいた。俺と遥が席を確保して、栞と楓さんがドリンクを買いに。離れると今度は栞達がナンパされるのではと心配したが、目の届く範囲だし何かあればすぐ対処できるので任せることにした。
「お待たせー!こんなのあって面白そうだから選んじゃいました!」
戻ってきた栞達がそれぞれ手にしていたのは、明らかに1人用ではないサイズのグラス。そしてストローが2本ずつ刺さっている。さらにはそのストローは2本で絡み合いハートの形を描いている。どう見てもカップル用だ。実際俺達は二組のカップルなので問題はないんだけど、栞と見つめ合いながら飲む光景を想像して顔が熱くなる。
「なんでこんな恥ずかしいの選んだんだよ!」
遥は抗議の声をあげる。俺も概ね同意だ。
「いいでしょ?せっかくダブルデートなんだから、雰囲気楽しみたいじゃん!」
「涼もこういうのは嫌……?」
女性陣の押しが強い。結局お互いの恋人を止めることなどできない俺と遥は恥ずかしいのを我慢することになった。
ストローに口をつけて飲もうとすると、栞も顔を近付ける。2人きりの時なら気にならない距離感……というかいつもはもっと近い気がするけど、こういう場所では恥ずかしくなって目線を逸らしてしまう。
「ねぇ、涼。目、逸らさないで?余所見しないのはさっきのでわかったけど、もっと私のこと見てほしいよ。もっともっと私だけを見て?」
俺のお姫様は大変我儘でいらっしゃる。それに甘えん坊で、きっと俺と同じくらい独占欲が強くて。その言葉に逆らうことができずに栞の目をしっかりと覗き込んだ。しっかりと見つめたら見つめたで、今度は綺麗で吸い込まれそうな栞の瞳から目が離せなくなってしまった。
「ん、ありがと。涼の目、優しくて本当に大好き」
その言葉と柔らかく細められた目で、俺の頭は栞一色に染まっていく。周りの喧騒は遠ざかっていき、どちらからともなく手を繋ぎ、指を絡ませる。お互い無言で見つめ合いながら、ただドリンクを飲んでいるだけなのに幸せな気持ちで満たされていく。それはまるで世界に2人だけしか居ないかのように錯覚させるものだった。
最終的には、遥の『おーい、お前ら。戻ってこーい』という声を聞くまで、2人だけの世界に沈んでいた。
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