第56話 ご飯とお風呂と

 どうにかこうにか栞を説得することに成功して、俺の分の箸を用意してもらうことができた。危うく栞のご両親の前で、ひたすら餌付けされるというよくわからない状況になるところだった。

 栞がうちに泊まった時と違ってご両親が在宅なのだから、もう少し自重してほしい。とはいえ、お世話されるのが恥ずかしいだけで、嬉しいと思ってしまう俺は大概なのだろう。


 栞と文乃さんが張り切りすぎてしまったのか、食卓には4人分とは思えない量の料理が。栞は俺の好物を知っているので、それらは栞だけで作ったようだ。


「ほら、涼。あーん」

「……あーん、むぐっ」


 箸を用意してもらったわけだけど、結局のところこうなっていたりする。全部されるよりはましなんだけど、それでも聡さんの視線が……痛くない?視線を向ければ、あちらも俺達と同じようなことをしている。


「文乃?さすがに子供達の前でこれは──んむっ……」

「いいじゃない、たまには。そんなことより美味しい?今日のは自信あるんだけど」


 文乃さんが作ったという唐揚げを口に放り込まれていた。


「美味しいです……」

「ふふっ、よかった」


 栞の俺への構い方はきっと文乃さんの影響なんだとなんとなく理解してしまった。

 ふと聡さんと視線が合う。君も将来こうなるんだぞって言われている気がしたけど、すでにもう同じ道を進んでいるわけで。なんだか聡さんと通じ合えた気がした。


「ねぇ、私にも食べさせてほしいなー?」


 小さく口を開けておねだりまでしてくる栞。こんな状況でなければ甘える栞を堪能できるのだろうけど、俺と聡さんがお互いに見られていることに照れているせいで微妙な空気が漂っている。


「ほら、はやくっ」

「あ、あぁ、うん。ほら」


 おそらく栞が作ったであろう豆腐ハンバーグを一口サイズに切り分けて、口元に運んであげる。


「あーむっ……へへ、美味しい。ってこれ作ったの私なんだけどね?」


 自画自賛なのか、俺に食べさせてもらうのが嬉しいのか。とにかくニコニコ顔の栞。そんな顔を見ていると俺もつられて笑顔になってしまう。


 なんかこれ、ちょっと楽しいかも?


 だんだんと聡さん達のことも気にならなくなってきて、あっちもなんだか楽しそうにしてるから、俺達も別にいいかと思うことにした。


 なんだかんだで最終的にはすっかり楽しんでいた。どうやら俺は栞を甘やかすのが好きらしい。栞の幸せそうに笑う顔を見ると、それだけで嬉しい気持ちでいっぱいになれるのだ。


 人に見られるのは恥ずかしいけど、幸いここには二組のバカップル(一組は夫婦だが)がいるのみ。止める人間もいないのでどんどん加熱されていたりもする。



 夕飯を終えてしばらくのんびりした後、文乃さんから風呂に入るように言われる。一番風呂をいただくのは申し訳なくて最後でと遠慮したのだが、お客さんなんだからと押し切られてしまった。この時、少しだけニヤリとした文乃さんに気付くべきだった。


 他所の家の風呂の落ち着かなさを感じながら、とりあえず全身洗ってしまおうと思い、まずは洗髪から。わしゃわしゃと髪を洗っていると、シャワーの音で直前まで気付かなかったが、背後でガラッと風呂場の扉が開く音が。


「涼の背中流しに来たよっ」


 楽しそうな栞の声がした。洗髪中ということで目を開けられないし、なにより無防備な自分の姿を思い出して焦ってしまう。栞はそんな俺の動揺なんて全く意に介す様子もなく突入してきた。


「栞!?」

「あっ!振り返ったらダメだよ?何も着てないんだから」


 振り返ったところで、シャンプーの泡が顔に垂れている状態なので目は開けられないのだけど。それでも、先日の夜のことをどうしても思い出してしまって……


「っ!!」

「……なんてね。ちゃんとタオル巻いてるからね?」


 なら一安心……ちょっとだけ残念な気もするけど……


「あれ、残念そうな顔してる?だめだよ?今日はお父さんもお母さんもいるんだから」


 振り返ってはいないので鏡に写った顔を見られてしまったようだ。全部見抜かれてしまって恥ずかしすぎる。


「もともと今日はそんなつもりないから!」

「そうなの?じゃあ……」


 栞に背後から抱き締められる。タオル越しとはいえ栞の柔らかい身体が押し付けられておかしくなりそうだ。更に栞は俺の耳元で囁くように言う。


「じゃあ、また2人きりの時に、ね?」


 俺の耳をくすぐるように発せられた言葉は俺の理性を溶かしていって……


「って、冷たっ!」


 頭に冷水をかけられた。


「頭、流しちゃうから目開けちゃだめだよ」


 いや、言う前にかけたでしょ!


「栞、冷たいって!」

「涼がちょっと熱くなってそうだったから冷ましてあげようかなーって。ごめんね?ちょっと意地悪しちゃった」


 頭の泡を全て流してくれたのでようやく目が開けられた。栞の顔を見ると、子供のように楽しそうにわらっている。これはやりかえさないとだよね?


「栞?覚悟はできてる?」

「きゃー、何されちゃうのー?」

「こうするんだよ!」


 栞の手から水が出たままのシャワーヘッドを奪い取り栞に向ける。さすがに身体に冷水をかけるのは可哀想なので手足に。


「きゃっ!冷たっ!涼、冷たいよ!」

「思い知ったか!」

「ごめんって。だから、やめっ……やめてって……もうっ、涼っば!」


 今度は栞がシャワーヘッドを奪って……しばらく子供のように2人で水遊びに興じることになった。

 その後はお互いに身体を洗い合って(背中だけだから!他は自分で洗ったからね?)2人でお湯につかる。後ろから抱きしめる形で、俺の胸と栞の背中が密着していてドキドキするけど、入浴剤のおかげで色々隠されていてどうにか平静は保てそうだ。本当にギリギリで、だけど。


「すっかり冷えちゃったから、ちゃんと温めないとな」

「誰のせい?」

「栞じゃない?」

「そういえばそうね……私が最初にやったんだった……でも、こういうのも楽しいね?」

「そうだね。こんなに水遊びではしゃげるならプールでも行けばよかったな」

「私の水着姿見たいんだ?」

「そりゃ見たい、かな」

「もう全部見てるのに?」

「それとこれとは話が別っていうか……」

「じゃあ、来年は行かなきゃね」


 まるで子供のようにじゃれあって笑って、ってまだまだ子供なんだけど。もうすぐ終わってしまうけど、こんなにいろんなことがあって楽しい夏休みは初めてだった。全部栞のおかげだと思うと、また愛おしさが溢れそうになって、栞の首筋に唇を落とす。


「やん、もう。今日はダメって言ったでしょ?私、その気になったら自分を止められないんだから……」


 もじっと身体をよじる栞の姿に俺も抑えがきかなくなりそうだったので、これで最後と、もう1回だけ今度は頬にキスをした。


「はぁ〜、幸せだなぁ」

「どうしたの、急に」

「だって、涼といるとそう思っちゃうんだもん。私、すっごく寂しがりみたいなんだぁ。それを埋めてくれる人がいて大事にしてくれてさ。そんなの幸せ以外にないじゃない?」


 そんなの俺も一緒だ。栞の顔は見えないけど、きっといつものようにふにゃっと溶けたような顔をしていることだろう。俺は返事の代わりにギュッと栞の小さな身体を抱き締めた。


「へへっ、涼にこうされるの好きなんだ。涼の腕、ちょっと細くて頼りないけど、やっぱり男の子なんだって感じがして大好きなの。拗ねると尖る唇も、私好みにしてくれた髪も、優しいところも、ちょっと意地悪なところも、不器用なくせにたまに格好良いこと言ってくれるところも全部全部大好き」


 栞から俺への好きが溢れて止まらない。こんなに素直にストレートに好意を寄せてくれて、俺の全てを肯定してくれる子なんて、栞以外には現れないだろう。なら、俺もちゃんと伝えないといけない。俺がどれだけ栞のことが好きかってことを。


「今度は俺の番だけど聞いてくれる?」

「うぇ?涼の私の好きなところ?」

「そうだよ」

「そんなの聞いたら私おかしくなっちゃう……」

「俺も聞いたんだから、栞にも聞いてほしいな?」

「うぅ……はい……」


 恥ずかしいからか、栞は口までお湯に沈んでブクブクさせ始める。


「俺もね、栞の全部が好きだよ。俺の腕にすっぽり収まっちゃう身体も可愛くて好きだし、撫でるとさらさらで気持ちいい髪も好き。たまに暴走しちゃうところも可愛いし、甘えん坊なところも好きだよ。でも一番は一緒に頑張りたいって思わせてくれるところかな」

「……やっぱり聞くんじゃなかった」

「お気に召さなかった……?」

「そんなわけないでしょ!嬉しすぎてどうにかなりそうなの!涼のバカッ!」


 栞は身体を反転させて、俺の首に腕を回して唇を塞ぐ。


「私をこんなにした責任、とってもらうから……ほら、もうあがろ!」


 栞のギラギラした目を見て少し後悔した俺だった。


 また水かぶったほうがいいんじゃない……?


 お互いの髪を乾かし合って、リビングに戻るとニヤニヤした文乃さんに出迎えられた。


「なんかすっごく楽しそうな声が聞こえたけど、何してたのかしら?」

「水遊びを少々……」


 遊んでた時の声、しっかり聞かれていたようだ。それ以外にもイチャついたりしてたけど、嘘は言っていない。


「その割に栞の顔、赤い気がするけど……まぁ、いいわ。それより聡さん?私達も行きましょうか」

「行くってどこに……?」

「お風呂に決まってるでしょ?」

「いや、一緒になんて何年も……」

「い・い・か・ら!」


 文乃さんに連行されていく聡さんを見て、やっぱりこの親子似てるなって思ってしまう。


「あ、言い忘れてたけど、私達1時間は出てこないから」


 文乃さんは顔だけリビングのドアから覗かせて、俺にウィンクして今度こそ行ってしまった。


 いや、ダメでしょ……


 と思っていたのは俺だけのようで、栞は俺の手をギュッと握って自室へと引っ張っていく。


 やっぱりそっくりだよ……ついでに俺と聡さんも……


 そしてこないだしたお説教はまるで効果がなかったことがわかった。

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