第44話 ◇寝れるわけないよね

 風呂から出ると栞が硬い表情をしてそわそわしていた。目も合わせてくれない。


 もしかして警戒されてる?


 俺としては無理に手を出す気はないのだけど。そのために鍵を預けたんだし。

 そりゃ俺だって男なわけだしそういう欲求がないわけではない。栞は可愛いし、最近はスキンシップも多くてそういう気分になることもある。でも栞を怖がらせてまでしようとは思っていない。それくらいの理性は残ってる、と思う。


 もう1回ちゃんと話をした方がいいだろうか……


 そう思って声をかける。


「あの、栞?」

「え?あ、うん。私もお風呂、行って、くる、ね?」


 栞は着替えを入れているであろうバッグを抱えて出ていった。それはもう全速力で。


 逃げられた……


 取り残された俺は途方にくれるのだった。


 ◆


「はぁ……」


 脱衣場で私はため息をついていた。


 逃げちゃった。これじゃ朝と一緒じゃない……


 引き出しの中身。朝の涼の様子を考えれば自分で用意したものではないのだろう。きっと水希さんのお節介。お母さんもその気にさせるようなことばかり言ってきたので、お互い親に認めてはもらえているんだろう。応援のつもりもあるのかもしれない。


 私としても別に嫌なわけではないのだ。むしろ逆。もっと涼に触れて欲しいし、触れたい。初めてキスをしてからその気持ちは増加の一途を辿っているわけだが……


 いざ目の前までその可能性が迫ってくると尻込みしてしまった。怖い、って思ってしまった。なにが怖いのかは自分でもよくわからないんだけど。


 こうしててもしょうがないからとりあえずお風呂に入ろう。そう思って着替えを取り出そうとバッグを開ける。確か底のほうに寝る時用の服を入れたはず。けど見つからない。その代わりに入れた覚えのない袋を見つけた。不思議に思って開けてみると。


 パジャマ……?


 更にメモ書きが。お母さんの字で『これで押し倒せばいちころよ!』


 どういうこと?普通のパジャマに見えるけど?


 よくわからなくてそのパジャマを広げてみると、ちょっと……いや結構丈の短い、前ボタンのワンピースタイプのものだった。たぶん太ももの半分くらいまでしか隠れない。


 つまりこれを着て涼に迫れと……?

 なんでよりによってこんな時に見つけるの……というかお母さんいったい何考えてるのよ……


 私はその場に崩れ落ちた。


 ◇


 栞が戻ってこない。風呂に逃げ込んでから、かれこれ1時間半はたつ。もうすぐ日付が変わりそうだ。ここまで時間がたっているとのぼせてるんじゃないかと心配になってくる。

 さすがに放っておくわけにもいかなくなって声をかけに行くことに。いきなり脱衣場のドアを開けて裸の栞に出くわすといけないのでノックはする。


 ──コンコンッ


『ひょわぁぁ!』


 すっとんきょうな声が聞こえた。ひとまずのぼせて溺れている心配はなくなった。けどそこまで驚かなくてもいいのに。


「栞?なかなか戻ってこないから心配になって来てみたんだけど、大丈夫?」

『だ、だだ、大丈夫!ほ、ほら女の子は時間かかるものよ?』

「それならいいんだけど……」

『い、今出るから……』


 大きく深呼吸する音が聞こえた後、カチャリと小さくドアが開いて栞が上半身だけ覗かせた。


「えっとね……涼。あんまり下の方見ないでね……?」

「?」


 バッグを胸に抱えておずおず出てくる栞。見るなと言われると見てしまうもので……

 パジャマ丈が短く栞の白くスラリとした脚がほぼ露になっていた。非常にがんぷ……目のやり場に困る。


「っ!」

「見ないでって言ったのに……」

「……一応確認なんだけど、それ自分で用意したの?」

「お母さんにすりかえられました……」


 母さんも母さんなら文乃さんも文乃さんだ。お節介もいいけど、あまり自分の子供をおもちゃにしないで欲しい。


「はぁ……ちょっと待ってて」


 部屋から自分のハーフパンツを持ってきて栞に渡した。


「とりあえずそれ着ときなよ」

「う、うん。ありがと」


 着替えを背を向けて待ってから、栞の手を引いて俺の部屋へ。ベッドに座らせて、後ろから抱き締める。栞は身体をビクッとさせたが、逃げ出すのを防止するためでもあるので我慢してもらう。まぁ遠慮するなと言われたし、これくらいはいいだろう。


「さて、それで俺が風呂から出たあたりから様子がおかしいけど、どうしたの?」

「えっと、怒らない……?」

「怒らないよ」

「それじゃ……あのね、鍵、開けちゃったの」


 なるほど。『あれ』を見たということか。それで怖くなったと。


「まぁ、俺が栞に預けたのが悪かったのかな……それで怖じ気づいちゃったんだ?」

「ごめんなさい……涼をその気にさせるようなこと言ったくせにこんなんで……」


 栞は泣き出してしまった。泣かせるつもりはなかったんだが。俺は栞の頭を撫でながら続ける。


「いいんだよ、別に。もともと俺は急ぐ気はないんだから」

「でも……」

「今はこうやって栞が側にいてくれるだけで満たされてるんだよ。でももし俺が我慢できなくなったら、その時は相談させてもらうけどね?」

「ごめんね、ふがいなくて 。私、結局いつも涼に甘えてばかりだね」

「いくらでも甘えたらいいよ」


 元々俺達の関係はお互いに寄りかかっているような状態から始まったのだし、今更だ。栞が俺を支えてくれて、俺が栞を支えて今があるのだ。


「じゃ、じゃあ、甘えついでに一つお願い、していいかな?」

「うん、なに?」

「今日は一緒に、寝て、ほしい……」

「いいの?」

「うん。涼に安心させてほしい。大丈夫って思わせてほしい。そしたら多分、今度こそちゃんと覚悟できる気がするから」

「じゃあ、もうこのまま寝ちゃうか」


 俺は栞を抱えたまま横に倒れた。栞が可愛らしく悲鳴をあげたが気にしない。栞からおねだりしたんだからね。


「涼、暖かい……ねぇ、顔、見たいな……」


 栞が体制を変えて、ようやく目が合った。

 その目はもう泣いておらず、柔らかく微笑んでいた。


「その……我慢させちゃうけど……もう少しだけ待っててね?」

「いくらでも待つよ」

「ありがと。涼、大好きだよ……」

「俺もだよ」


 俺達はどちらからともなく唇を合わせる。夕方の時みたいな激しさはなく、安心させるように。


「ほら、栞、もうおやすみ?」

「うん、おやすみなさい、涼」


 しばらくすると栞は穏やかな顔で寝息をたて始めた。一方、俺はというと。


 格好いいこと言ってみたけど……寝れるわけないよね……

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