第37話◇パニック

「えーっと、ごめん。栞、もう一回言ってくれる?」


 俺の耳がおかしくなったようだ。だって女の子の親が自分の娘を彼氏とはいえ男の家に2人きりでお泊まりさせるだろうか?いや、普通はさせないだろう。しかもまだ付き合いたてなのに。ご両親にも一度しか会ってないのに。


「だから、3日間私が泊まりで涼のお世話をするの!」


 どうやら耳はおかしくないようだ。おかしいのは文乃さん……いや、これは失礼だな。


「えっと、栞はいいの?その……3日も俺とずっと一緒で」

「そんなの聞くまでもないと思うんだけど……涼はイヤなの……?」

「嬉しいに決まってるだろ。俺のも聞くまでもないでしょ」


 栞と過ごす時間は俺にとても楽しいので嬉しくないはずがない。


「というか母さんはそれで大丈夫なの?」

「栞ちゃんのお母さんがいいと言うなら私としては大丈夫だけど。問題は涼よねぇ。まぁ、栞ちゃんに何かあったら涼の指でもつめて……それじゃ足りないか。涼をまるごと売却して賠償するしかないわね」


 おいおい、物騒なこと言ってくれるなよ……


「あ、そしたら私が買い取りますね?他のところに売ったらだめです。あと返品不可ですよ?」


 栞ものっからなくていいんだよ。最近すっかり母さんのノリに慣れちゃってるんだから……


「だってさ、涼?一生飼ってくれるって」

「まともな方法で側にいさせてください……」


 こうして決定した栞のお泊まりだが、果たして俺の理性はもつのだろうか。付き合いだしてからこっち、栞のスキンシップはどんどん増えているのだから。



 ◆


 私は今、涼の部屋におります。

 いつも通りじゃないかって?まぁいつも通りなんですけど、いつも通りじゃないんです。

 私の今いる位置をもっと正確に言うと、涼の膝の上です。しかも後ろから腕を回されて抱き締めてもらっています。はい、私がおねだりしたご褒美ですね。


 え?いつもの心の中の話し方はどうしたんだって?

 それはですね、こうでもしていないと冷静さが保てないからなんですよ。


 水希さんの前ではなんとかいつも通りにやりすごしたんですけど、実際はプチパニックになってるのです。


 だってお泊まりですよ!

 おはようからおやすみまで涼と一緒なんですよ!

 どこかの企業のキャッチフレーズみたいですね?


 そんなことはいいんです!

 お泊まりなんです!

 お母さんったら私が『涼のご両親が3日間家を空けるみたいで私が涼のお世話を』って言った瞬間被せぎみに『お泊まりさせてもらったらいいじゃない。その間帰ってきちゃだめよ』なんて言うんだもの。それどころか『いい機会だから、誘惑して離れられなくしちゃいなさい』だなんて……


 まぁ手を握ったり、腕に抱きついたり、今もこうして抱き締めてもらっているわけなんですけど……誘惑なんてハードルが高すぎると思います!頭沸騰しちゃいます!はしたないです!恥ずかしいです!あわわわ……


 失礼……取り乱しました……

 もうプチパニックじゃないですね。大パニックです!


 ……あれ?私、いったい誰に話してるんだろ……?


 うん、もうやめよう。これ以上考えてたらおかしな方向にいっちゃう。


 とにかく!せっかく涼が恥ずかしいのを我慢してこうしてくれてるんだから、今の状況を楽しまなくっちゃもったいないよね!


 それにしても涼は暖かいなぁ……

 部屋の温度も私に合わせてくれてるから調度良くて。そういうところ優しいなぁって思う。


 背中から伝わる涼の鼓動はドキドキを通り越してバクバクいってる。私も似たようなもんなんだけどね。というか余計なことを考えてたせいもあって、涼よりすごいかもしれない。


 涼にもちゃんと伝わってるかな?ねぇ、涼?私すっごい涼にドキドキしてるよ?

 この状況でそんなこと言えないけど伝わってるといいなぁ。


 でもね、心臓はすっごくうるさいけど、心はとっても癒されてるんだよ?


 今日の騒動で疲れ果てた心が どんどん解きほぐされていくのがわかるんだ。


 あぁ、でも心臓も心に呼応するように穏やかになってきて……これ、ちょっとダメかも……癒し効果が強すぎて眠くなってきちゃった……ねぇ、涼?ちょっとだけ寝ちゃってもいいかな……?



 ◆



 栞は1人で百面相をしてた(見てて面白かった)かと思ったら、うとうとし始めて眠ってしまった。これでは動くこともできない。気持ち良さそうに眠ってるから起こしたら可哀想だし。

 今日はいろんな事が立て続けにあったから疲れたんだろう。ゆっくり寝かせてあげようかな。遅くならないうちには起こすけどね。


「お疲れ様。おやすみ、栞」


 さらさらな栞の髪を撫でると、それだけで優しい気持ちになってうるさかった心臓は穏やかなリズムを取り戻す。それでも通常時よりはドキドキしてるんだけど。


「うぅ〜ん……りょ〜……」


 栞は寝ぼけて頭を俺の胸に擦り付けてくる。

 まったく……甘えん坊なんだから……



 栞が目を覚ましたのはそれから1時間程たってから。


「涼に寝顔見られた……」

「後ろからだから少ししか見えなかったよ。それにうちに泊まるんだろ?それくらいで恥ずかしがってたらどうなっちゃうのさ?」

「それはそれ!恥ずかしいものは恥ずかしいの!」


 やれやれ、こんなんでお泊まり本当に大丈夫なのかな……?

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