第三十四話 オベリスクの内部4
視界いっぱいに広がる巨大な樹。隆々と巨大な建造物のように聳え立って二人を睥睨する。
それは、樹というにはあまりにも大きすぎる――。
そのあまりにも大きな巨木は天に向かって太い幹を伸ばしながら、枝を四方八方に広げる。
どうやらこの樹は塔の最上階の方までずっと伸びているようだ。その高さは果てしなく先端を見通すことができない。樹は塔の内壁のあらゆる場所に枝を伸ばし、枝は塔の壁に食い込んでいる。
葉は一切なく、その幹と枝は石炭のように黒々と鉱物のようにうっすらと光沢を放つ。
「禍々しい闇のエーテルを放っていたのはこの樹だったんだわ……」
テメレアが樹を見上げながら言った。
「一体、何なんだ、これは……?」
レイヴンが二度目の問いを発する。
幹は驚くほど太い。五十人が輪になってもその幹を抱え込むことはできないだろう。
「でも、樹というにはなんだかおかしいわ……」
確かに、樹というには表面では黒々とした光沢を放っていて不気味だ。
「少し近づいてみるとしよう」
そう言ってレイヴンは慎重に巨木に近づく。その後ろをテメレアが警戒しながら付いて行く。
「あれはなに??」
そう言って、テメレアはレイヴンの背中から樹の方を覗き込むんだかと思うと、巨木に向かって駆け出した。
いったいどうしたと言うんだ!
レイヴンは訳がわからないまま、テメレアの背中を追いかける。
「こっ、これは……!」
巨木に近づいたレイヴンは驚愕の声を上げた。
「これはたぶん、人の成れの果てよ……」
テメレアも樹の根元にある膨らみを見つめながら、悲しそうな声を出した。
巨大な樹の根元には奇妙な膨らみがある。樹の幹と同じように石炭のような黒い光沢を放つ。しかし、ちょうどそれは人が膝を抱えて座り込んでいるようにみえる。その異様な膨らみからは微弱ではあるが、人のエーテルが僅かに感じられる。
「ううっ……」
テメレアがこめかみを抑えて疼くまる。
「テメレア、大丈夫か?」
レイヴンはテメレアの崩れそうになる肩をしっかり抱きとめた。普段は気丈なテメレアの肩が異様にかよわく感じられた。
「恐怖と悲しみ、憎悪と怒り……。そんな負の感情が心の中に流れ込んでくるの……。うう……」
「こ、こんな姿になっても、まだ生きてるって言うのか?」
レイヴンは恐る恐る樹の膨らみに触れてみた。わずかに表面が上下するのを感じ思わず、うっと声を上げた。
その直後、視界が暗転し、断片的な記憶の奔流がレイヴンの中を駆け巡った。
「「助けてくれ〜〜」」
「「やめてーーーー!!」」
「「なぜ、こんなことに……、いったい俺が何をしたって言うんだ……」」
「「なんなんだ、これはいったい……」」
様々な声が頭の中で鳴り響き、不協和音を奏でる。レイヴンの心は阿鼻叫喚の喧噪に晒され、正気を失いそうになる。心の波立ちを必死で押さえようとするが、そんな努力は嵐を手で止めようとするようなもの。レイヴンの意識は想念の嵐の中を錐揉み状に流される。
もうだめか……。レイヴンは嵐の前にその膝を屈しようとしていた。
突然、音が消えた。……突然訪れ静寂――。
吹きすさんでいた想念の嵐が嘘のように止んでおり、視界が戻ってきた。樹の膨らみに触れていた手は代わりに、暖かい手に包まれていた。テメレアの手だ。氷のように冷え切った心に、テメレアの手から温かい光がゆっくりと流れ込んでくるのを感じる。
レイヴンは少ない時間負の想念に晒されていたように感じていたが、ほんの一瞬のことだったらしい。
「大丈夫?いったい何があったの?苦しそうな表情をしていたわ……」
テメレアがレイヴンの手を握りしめたまま、レイヴンの目を見つめて問うた。
「断片的な負の想念がたくさん流れ込んできたんだ。人々の悲鳴。異形の者が火を吐いて辺りは焦土と化した。地獄の劫火で大切なものすべてが灰に還った……。自分の力ではどうすることもできなかったんだ。ただ慟哭することしかできない。すべてが失われた蹂躙されたんだ……」
レイヴンの手はまだわずかに震えている。
「しっかりして。それはあなたの記憶ではないわ……。
あなたは小さいころから、一人前の騎士になるために、ルミナス騎士団でたくさん修行を積み重ねてきたじゃない……。あなたは無力ではない。その手で多くの人を救うことができるのよ」
テメレアはそう言って、再びレイヴンの手を強く握りしめる。次第にレイヴンの手の震えは収まっていった。
「悪い……、自分を見失いかけていた。あぁ……、ううん、このことはベオウルフに言うなよ──」
レイヴンは急いでテメレアの手を振り解いた。
「ふふっ、センチメンタルなあなたも素敵だったわっ……。貸しが一つね」
テメレアが茶化したように言うと、突然テメレアの表情が怖いものでも見たかのように突然硬直した。
「──ん、どうした、テメレア?」
「あそこにも……、その向こうにも……」
テメレアの眼は壁のように聳り立つ巨木を見つめている。遅れてレイヴンも同じ事に気が付き、背筋を震わせた。
巨木の根元には先程と同じような奇妙な膨らみが至る所にある。遠目では樹の根がうねっているものと思っていたが、よくよく目を凝らして見ると、うずくまったものや手を挙げたもの、幹に磔けられているもの……、数多くの人間が樹に取り込まれているのが分かる。
「こ、これ全部が人間だというのか……。一体何人が取り込まれているんだ!」
あまりの数に、レイヴンは呆然とする。もちろん、その答えは二人とも持たない。
「きゃっ……!」
「一体どうしたんだ?」
テメレアがおそるおそるといった表情で、震える指先で頭上を指した。
「……!」
その光景にレイヴンは驚きのあまり声を上げることができなかった。
二人の〇・五メトル程頭上にあったのは、人間の顔である――。それも大口を開けて苦悶の表情を浮かべ、今にも叫び声が聞こえてきそうな顔である。
二人は巨木から数歩退く。よく見ると樹の幹はたくさんの瘤があり、表面はうねっている。その瘤一つ一つが人なのだ。根元と同じように、数多くの人々がこの木の幹にも取り込まれているのだ。
「こ、こんなことがあっていいはずがない……」
レイヴンは瞑目する。その肩はプルプルと震えている。レイヴンの胸中では、非道の所業を前にして憤怒の情が沸騰した湯のように滾りかえっているのだ。
「許すまじ――」
レイヴンは静かにそう言うと眼をカッと見開き、巨木を睨みつけた。
今、レイヴンの目にはよく見えている。
巨木の幹や根元にある数多くの凹凸はすべて、木に取り込まれた人々によって織りなされた苦悶の模様ということだ。百人ではきかないだろう。
そして、取り込まれた人々は未だ死せずして、醒めることのない悪夢を見続けているというのだ。その悪夢が生み出す負のエーテルが巨木の中に集められ、この塔の禍々しく重厚な気配を生み出している。そして、常に提供され続けられる大量の負のエネルギーがこの木をここまで大きなものにしたのだろう。
「何か、この者たちを救う手立てはないのか?」
レイヴンはテメレアに問う。
「……わかっていると思うけど、一つしかない――」
テメレアはわずかに間を開けて続ける。
「ただ安らかな眠りにつくこと――」
死――。それのみが終わらない悪夢から救うたった一つの方法。
聞く前からレイヴンもそうでないかと本当は分かっていた。ただ覚悟が決まらなかっただけだ。
木に取り込まれた者たちは巨木と同化している。樹はこの者たちを生かし続ける代わりに、悪夢の発するエーテルを喰らい続け大きくなっているのだ。レイヴンの眼には、負のエーテルが巨木の隅々まで血管のように張り巡らされているのが見える。憎悪、悲壮、怒り、恐怖……。人間の負の想念があちらこちらで渦巻き、木の体内を駆け巡る。
「すまない……。この世は仮の世。早くその魂が闇の中から解放されるよう……」
レイヴンは手を合わせると、カチッ音を立ててとカトラスを鞘から抜き去る。刀身がキラリと輝いたかと思うと、膨らみの一つへ深々と刀身を刺した。
次の瞬間、ぷしゅーっと黒い靄が大気に放たれ、ふくらみは徐々にしぼんで消えた。黒い靄は剣を振ったレイヴンに襲いかかり、レイヴンの視界は暗転した。
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