第2話「兎とエルフと少年と」


 転移の感覚は一瞬。

 白けた視界が一気に広がると、そこは見慣れた空間だった。

 木製のなめらかな床。漆喰しっくいで舗装された壁。人一人が仕事にあたるならば、充分な広さのワンルーム。


「フシッ! フシッ!」


 高級机の前にて、お目当ての人物が見つかった。

 良く言やクール、悪く言や無愛想って感じの眼鏡男。青色の髪をオールバックでまとめた、長耳の男性。

 グランアイン冒険者ギルド、ギルドマスターを務める男。アルバート・エデンその人である。

 いつもならばまず最初に疑う事から始めそうなスれた瞳は、大きく見開かれている。

 口元を抑え、即座に立ち上がってこちらに駆け寄ってくる姿には、鬼気迫ったものを感じてしまう俺であった。


「っ、ヴォルフガング! しっかりしろ!」


 アルバートは、俺の存在を無視し、背後に向けて声をかけた。

 ……あ~、まぁそうだわなぁ。の後ろには、がいるんだから。

 あまり見たくはないが、俺もまたそちらを見てみる。そこには当然、一緒に転移してきた身体が横たわっていた。

 残念ながら、既に痙攣はしていない。……徹底的にご臨終なさっているのは、一目見て明らかって奴だ。


「何故だ、ヴォルフガング。お前程の男が、なぜ……!」


「え、うわ……!?」


 ふと、俺の耳と視界が、もう一人の人物を捕らえた。俺もなんのかんので余裕がないらしい。アルバートしか目に入ってねぇとは。

 その人物は、ボロを着込んだ銀髪の少年であった。所々薄汚れており、あまりギルドマスターの部屋には似つかわしくないと第一印象で感じてしまう。

 だが、中々どうして。汚れた体を補って余りある程に整った容姿をしている。身なりさえ整えて栄養を与えれば、貴族の息子とか言われても納得しそうな少年だった。


「フシッ、フシッ」


 まぁ、この際少年は置いとこう。今大事なのは、アルバートだ。背中をペチペチ叩いいて、奴の気を引いてみる。


「っ……角兎? 一緒に転移してきたのか。……なんなんだヴォルフガング。死に際に、こんなモンスターを連れてくる事に何の意味がある?」


 いやいや、そこはそれ、お前あれじゃん。

 あれだよ、念話ねんわ! お前普通に使える奴だろ!


「フシッ! フシッ!」


「何かを伝えようとしているのか? 敵意はないようだが、誰かの契約獣か。まぁよかろう、こいつから話を聞くことにして……その前に」


 アルバートは、俺から視線をずらし、少年を見る。

 蚊帳の外になっていた少年は、いきなりギルドマスターと目が合って大層大きく怯んだ様子だった。


「すまない。職員を迎えに寄越すから、君には一度席を外してもらいたい」


「ぇ、あ……は、はい。それは、その……で、でもあの、その人……! やっぱりあの……!」


「……あぁ、死んでいる」


 少年は俺の死体を見て、改めて顔色を青くする。

 その口が、わななきながら開かれていき……


「悲鳴は抑えるように」


「っ!」


 アルバートに威圧され、硬直。そのまま椅子の背もたれに沈み込んだ。


「……そうだな、この件については絶対に、口外しないでもらいたい。職員にもだ。いいね?」


「で、でも……」


「それができるなら、先ほどの要求を呑み、君の身柄はギルドで保護させてもらう。ギルドで仕事ができるよう保障しよう。……いかがかな?」


「ぇ……え、あ」


 なにやら、俺がくる前の話が色々あったみたいだな。

 待ちぼうけを食ってる間、更に二言三言話した2人はそれで丸く収まったらしく、少年は職員に連れられ部屋を出て行った。

 アルバートが部屋の中を隠していたため、職員は気付いてない。残ったのは死体と眼鏡と、兎である。


「……では、話を聞かせてもらおう」


 アルバートが少し瞳を閉じると、俺の頭の中で乾燥豆をかき混ぜたみたいな音が響く。

 無理矢理念話を繋いできた証拠だ。これでようやく、意思の疎通が可能になった。


『あ~、テステス。聞こえるか?』


『……流暢りゅうちょうだな。角兎の思念とは思えん』


『そりゃあそうさ。なんてったって角兎じゃないからな』


『……なに?』


 アルバートの周囲に、魔力が渦巻いた。

 明らかに、俺を警戒しているご様子だな。


『貴様何者だ。正体を明かせ』


『おい待てって! そういう所、ホントお前の悪い所だからな! えぇ長耳!?』


『……なんだと?』


 俺の念話を聞いたアルバートの表情が、困惑に歪む。

 今こいつの頭の中では、あらゆる可能性が飛び交っているんだろう。

 そしておそらく……気付いてくれる、はずだ。

 俺が自分で名乗ったって、こいつは絶対に信用しない。ならば、こいつから結論を出してもらうしかないんだ。


『……この町で、更に言えばこのギルドで、私の事を長耳などと呼ぶ者は限られる……少なくとも、兎には言われたことが無いな』


『初対面でもまず言わねぇっての。エルフ相手に長耳なんざ、ケンカ売ってるも同然だしな? も、それで全力の殴りあいになったなぁ?』


 アルバートの表情が、更に歪む。

 納得はいってないようだが……どうにか、答えを出してくれたみたいだな。


「……今すぐ、私に状況を報告しろ」


 念話ではなく、直接口をついてでた言葉。

 その声色は酷く疲れており、なんだか申し訳ない気分になってくる。


「一体全体、何があってそんな、けったいな状況になってるんだ……ヴォルフガング」


『ま、聞くも涙、語るも涙の物語があったのさ』


 まぁ、言い訳くらいはさせてもらおう。

 俺はなるべく余裕を装い、やれやれと肩をすくめてみせたのだった。





    ◆  ◆  ◆






 説明には、それほど時間はかからなかった。

 起こった出来事自体はシンプルなものだからな。俺の精神と胃がストレスで穴空きそうになる事を除けば、実に円滑に進んださ。


『と、いうわけだ』


「…………」


 俺は説明を終えた後、出されたお茶を一口啜る。

 飲んでみて初めてわかったが、どうやら角兎ホーンラビットの味覚は人間とさほど変わらんみたいだ。茶の豊かな風味を感じられるのがその証拠である。

 

「……ヴォルフガングよ」


『あ?』


 アルバートが苦々しい顔で腕を組んだまま語りかけてきた。

 しばしの沈黙の後、机の上に手のひらを置いてから、俺に視線を向ける。


「貴様、どれだけ特大の貧乏くじを引けばそのような状況に陥るというのだ!?」


 俺が聞きてぇよ。


「ダンジョンの外で生息していた角兎が偶然にも入り込み、麻痺蜘蛛に捕獲された後糸から脱出!」


『おぉ』


「逃げた先に貴様がいて、精神入替の罠を踏み、困惑のまま落とし穴に落下し死亡だと?」


『おぉ』


「一連の流れ全てが、陳腐な歌劇脚本家の書き上げた駄作以下の物語だ!」


 まったくもって同感だな。


『だろ? 俺だってありえねぇと思うわ。ダンジョンの中じゃあ今のお前以上に慌ててたよ。なんせ当事者なんだからな』


 言いたいを事をぶちまけて、アルバートは肩で息をしている。

 だが、その目は全く死んでいない。この状況下でどう動くべきなのかを、必死に考えているようだ。

 流石頭が良くて責任ある立場の奴は違う。俺だったら全てを捨てて逃げてるぞ。


「はぁ……とにかく、貴様の死体は神官長に連絡を入れ、内密に神殿まで運び込む事にする。腐敗防止の魔術をかけるための手続きはこちらで行っておくことにするぞ」


『お、冷静だな。俺も同じことを頼もうとしていたさ。金は当然ギルド充てに……』


「ギルドで預かっている貴様の預金から割り振らせてもらう。当然、蘇生の為の料金もな」


『いけずだねぇ……』


 アルバートの頭の中では、どうやってこの状況を内密に、かつギルドの汚点にならないように動こうかと模索しているんだろう。

 事実の隠蔽と、事態の改善。これを最もスムーズに、平和的に行うにはどうすればいいか?

 それを考えるのは、俺じゃなくてこいつが適任ってことだな。


「今現在の最難点は、貴様の肉体が死んでいる事だ。まだ延命できていればどうにかなったろうに……貴様の肉体が死んだ事で、入っていたであろう角兎の魂が神の御許へ召されてしまっている可能性が高い」


 そうだな。肉体の蘇生ができても、入れ替えるべき精神……魂が無いのでは、元には戻れない。

 本来ならば既に精神入替の効果は終わっているはずの時間だというのに、未だ俺の精神が角兎に入ったままであることが何よりの証拠だ。


 命の蘇生。それは、魂が現世に残って漂っている間のみ起こせる奇跡だ。

 俺たち人間の歴史の中で、神からの啓示に従い馬車馬のように働いた時代がある。その報酬として、神から人間に与えられた術式が子々孫々へと伝えられたものだという。


『それはまぁ、仕方ないとしてだ。実際どうだ、俺は元に戻れそうか?』


「……正直、今の段階では、何も言えん」


 ……まぁ、だろうな。

 肉体の蘇生が出来ても、俺がその中にいないんじゃ話にならんしな。


「だが、貴様はこの町に6人しかいない、金貨級冒険者の1人だ。そいつを野放しにして死なせたままにしておく程、うちのギルドに余裕はない」


『おいおい、そういう言い方はちと傷つくぜ』


「死人に口なしだ。遠慮なんかしている余裕もない」


『死人の中身は目の前にいるっつの!』


 とにかくだ、と、話を元に戻しつつ、アルバートは語る。


「蘇生は、貴様の現状をどうにかしてからだ。各地で情報を漁り、有効な手段を探さねばならん」


「……フス」


「その資金は、悪いが貴様の貯蓄から使わせてもらう。蘇生の分は残しておいて、残りは全て調査のための人手や旅費に使う。……いいな?」


「…………」


 冒険者生活、30数年の全てを費やす、か。

 そこまでして、俺は復活したいのか? そう考える。

 頭をよぎっていくのは、美味い酒やいい女、ふかふかのベッド。

 そして何より……バカ騒ぎする仲間達と、守るべき市民アホウ共。

 俺が、この町での生活で手に入れてきた、ヴォルフガングという人生。


『……うん。アルバートよぉ』


「決まったか」


『おう、頼むわ』


 捨て難い。そう思った。

 だから、足掻いてみよう。

 そう、俺は剛健のヴォルフガングだ。その真髄はずばり、泥水啜って、糞にまみれてでも生き抜き、生還してきた点にある。

 だったら、兎になった程度で諦めたりはしちゃなんねぇ。

 今回も、どんだけ時間がかかっても、最後の最後でこの町に戻ってくるんだ。


「わかった、最善を尽くそう。……そしてだな、ヴォルフガング。貴様にもやってほしい事があるのだ」


『おう、お前らだけに働かせたりはしねぇよ。何をすればいい?』


 俺がやる気を出した事を確認したのだろう。アルバートは薄く笑い、頷く。

 そして、一つの仕事を、俺に告げた。


「現状、最も情報漏洩の危険がある存在を、お前に見ていてもらいたい」

 

 

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