悲哀の勘違い

チドリ正明

哀れみ

大学二年生の冬。



 彼は恋に落ちた。



 相手は同じ学部の子で、人形のように小柄で可愛らしく、抜群の愛嬌を振り撒く、愛されキャラだった。

 男女ともに人気だった彼女は、彼と顔見知りではあったが、それほど親しい中ではなかった。



 そんな彼女には恋人がいた。



 恋人の男は端正な顔立ちで、明るい雰囲気とカリスマを持ち合わせる、非の打ち所がないタイプだった。

 

 

 彼は双方と親しい友人から話を聞いたところ、付き合い始めてまだ一週間ほどだとわかった。

 実は二人は幼馴染で、当然のように仲は円満で、両親同士の付き合いもあり、卒業後の結婚は確実だと言われていた。



 本来なら、そんな二人の仲に割って入る余地など全くないのだが、一目惚れをしてしまった彼は諦めきれなかった。


 高嶺の花だとわかっていようと、彼は持ち前の人の良さを存分に発揮した。

 文房具を忘れたらそのままプレゼントしたし、スマホの充電がないと言えばバッテリーすらもプレゼントした。

 時にはWeb上で授業のリポートを彼女のメールに送り、規則スレスレのコピペすら了承した。


 彼は優しかったのだ。

 言い換えるのなら尽くすタイプというやつだ。

 人生で初めての一目惚れをしてしまったということも関係しているが、やはり彼は優しかった。


 それから半年に及び、彼は彼女に尽くしたのだった。


 彼は家で喜びに打ち震えた。彼女のためになれた自分に酔いしれたのだ。




 時は流れ大学三年生の夏。


 皆が来年に向けて忙しくなり始める頃、彼はとある情報を耳にした。



 どうやら彼女は長期間学校を休むらしい。



 詳しい原因については聞いていないが、半年前の冬から何かに悩まされていたらしく、精神が憔悴しているようだ。


 

 急にどうしてだろうかと、皆が疑問に思った。

 


 半年前の冬にあったイベントなんて、幼馴染の恋人と付き合い始めて幸せだった頃じゃないかと。 

 それがどうして急にこんなことになるのだろうかと。



 そんな周囲が疑問視する彼女の変化に、いち早く気がついていた人物が一人だけいた。




 その日、彼はとある男の家を訪ねていた。


 蒸し暑い天気の中、インターホンを押して男が出てくるのを待つ。


「はい」


 目当ての男は寝ぼけ眼で現れた。


 特徴的な金髪で学部内でもそれなりに有名な人物だった。


 彼は聞いた。彼女は半年前の冬にこの男と付き合ってから、様子がおかしくなってしまったと悟っていたからだ。

 幸せな関係と周囲は評していたが、彼は彼女が無理やり付き合わされていたんじゃないかとすら思えていた。


 俺の方が話しているのに、俺の方が彼女のために尽くしていたのに、別の男と付き合う姿は想像できない。


「彼女に何かしましたか?」


 突然の質問に驚いた男だったが、咄嗟に平然を取り繕うと、すぐに扉を閉めて鍵をかけた。


 そこで彼は確信した。

 男は黒だ。何かを隠していて、彼女が憔悴している原因を知っていると。


 だからこそしばらくは泳がせようと思った。


 何かを隠しているのは確かだが、それはまだ明るみになっておらず、情報も何もない段階で動くのは早計だと考えたからだ。


 

 彼は静かに待った。男が何かアクションを起こすのをじっと待った。



 しかし、いくら待とうと何も起きることはなく、一ヶ月後には彼女が学校に現れた。



 少しやつれていて、何かを警戒しながら校内を歩いている。

 男女問わず複数人の友達を連れて、彼らに囲まれながら授業を受けていた。


 おかげで彼は彼女に話しかけることは愚か、近寄ることすらできず、持ち前の優しさで尽くすことができなかった。



 だが、それで良いと思った。



 なぜなら、その中に男の姿がなかったからだ。

 男は学部こそ同じだが、彼女と専門分野が違うので、授業の被りがあまりなかったのだ。



 彼は一安心した。男が来ないのであれば、これからは彼女が安心して大学生活を送れるようになると。



 でも、次第に心にモヤがかかる。



 彼女ともっと話したい。


 彼女にもっと近づきたい。


 彼女のために何かをしてあげたい。


 俺は、俺は、俺は……彼女のためにあの男を警戒して、わざわざ遠ざけてやったのに、どうして彼女は何の見返りもよこさず、知らぬ存ぜぬで平然としているのだろうか。



 俺にもっと感謝してほしいくるいだ。



 彼は苛立ちを隠しきれずにいた。



 だから、行動を起こした。



 ここ数ヶ月間ずっと見守っていたが、彼女は男と接触している様子はなかったので、彼はすっかり立ち直った彼女に声をかけた。


 その日、彼女は取り巻きを連れておらず、一人だった。



「久しぶり」



 彼の一言に彼女は心底驚いていた。

 同時に瞳を震わせて言葉を失っているのもわかる。

 両手で持つスマホを胸に抱えている。



 側から見れば怯えているのは確かだったが、何が何だかわからない彼は尚も言葉を続ける。



「最近はあの男に絡まれなくなってスッキリしたでしょ? 顔色もすっかり良くなったし、友達と話してる時の声も明るいよね。それにこの前の帰り道なんて、楽しそうに歌いながら歩いてたし、お家にいる時もお母さんとお菓子作りしてたよね。どれもこれも、俺が君のことをしっかり見守ってたおかげだよ。だから見返りがあってもいいと思うんだ。あっ、今はあの男ともちろん別れてるよね? なら話は早いね」



「……」


 

 彼は息を吐くことなく捲し立てたが、彼女は俯くばかりで返事をしなかった。

 ごくりと息を呑み、両手でスマホを強く握りしめる。カメラ部分をしっかりと彼に向けて。



 そんな彼女の曖昧な態度に苛立ちを覚えた彼は、ズカズカと距離を詰めた。



 そして、彼女との距離が残り三メートルほどになったところで、何者かに肩を掴まれて、気がつけば地面に体を押さえつけられていた。



「ははっ! やっと出てきやがったな! ストーカーめ! わざわざ俺の家にまで来やがって! おい、警察呼べ。こいつしょっぴいてもらうぞ。動画は撮ってるよな?」



「う、うん!」



「離せ! 俺は彼女を助けたんだぞ! 騙されるな! この男はキミのことを貶めようとしてるんだぞ! 半年前の冬に付き合い始めてから様子がおかしかったじゃないか!」


 

 彼は叫ぶが誰もその言葉に答えることはなかった。



 やがて通報を聞きつけた警察が駆けつけると、彼は身柄を確保されあっさりと連行された。



 実は彼女は被害届を提出していた。

 彼から渡された文房具や充電器に仕込まれた盗聴器、そして今回のスマホで撮影されていた動画は、確固たる証拠品として受理された。


 加えて、彼の部屋からは彼女を盗撮した数多くの写真が発見されたのだった。


 彼は容疑を否認し男のせいだと叫び散らしていたが、数多くの証拠品の周囲からの証言は崩せず、大学生活半ばにして犯罪者の烙印を押されることになった。



 やがて、彼女と男は結婚すると、幸せな夫婦生活を築いたのだった。

 






 

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