第32話
「──やっと繋がった」
正直言って見ていられなかったんだが。
カルドがリクリスの手刀に貫かれる直前、あいつは俺の方を振り返って「逃げて」と叫ぼうとしていた。……だから、この展開をある程度読めていたとはいえ、カルドが傷つく原因を作ってしまったのは俺なんだと思う。俺には気づくことのできなかった異変が、きっとあの時あの場で起こっていた。
でも、俺はカルドが苦しんでいる場に出て行かない。今すぐにでも「やめろ」と叫んで飛び出したくなるのを必死に耐え忍んで、俺は二人の戦場に背を向けた。決して逃げるためなんかではなく。
カルドの魂を捉えた瞬間から、リクリスの眼中から俺という存在は消え去っていたはずだ。だって、カルドの魂に触れた時点で向こうは王手なのだ。リクリスにとってこれ以上のものはない。目の前には最上に麗しい悪魔の苦悶の表情がある。想像するだけで、身体の芯が見知らぬ快に震える。
だから、俺はその抗いがたい幻惑が生み出した隙を突いて、藤沢のマンションの階段を駆け上がった。四階ほど上ったところで、壁に身を隠し戦況を窺う。
そして、ひたすらに待っていた。渇く喉も張り裂けんばかりに存在を主張する心臓も、締めつけるように痛む脳も肺も全部無視して、祈っていた。意識を指先に集中させ、手を伸ばすように──念じていた。想い続けていた。
あの悪魔ともう一度繋がることを。笑顔を交わすことを。心の深い深い奥の部分まで満たし満たされるその瞬間を。
ずっと。……ずっと待ち望んでいたというのに。
「……来る時は突然なんだもんなあ」
やれやれとため息を吐きかける俺の手からは、鎖の一本も生えていない。
そこにはただ、明確な手応えだけが存在していた。形の見えない俺の鎖は、今の俺には見えない位置に生成されている。
「鎖と鍵ならここにある。……ならあとは『錠』だけだよな?」
リクリスの驚く顔が目に浮かぶようで、俺は一足早く勝ち誇ったように唇を歪めた。……あるいはカルドもだろうか。事前に二人で作戦を練ったわけでもない。俺が一方的にあいつに仕込んだだけの楔だ。最終手段、転ばぬ先の杖──その程度の保険のつもりだったのに、まさか本当に使うことになるとは。
ただ、彼らの戦いが始まる直前、カルドから投げて寄越された手袋を受け取ったあの時から、なんとなくこうなる予感はしていた。お互いに勝利への布石は打っていたのだ。あとはタイミングよく使うだけ。
俺たちはどうしたって言葉足らずで自己表現が下手だけれど、もう独りで抱え込もうなどという気概は少しだって持ち合わせていないのだ。最初から何もかもを諦めて、口を噤むことをやめた。今はただ、この感情が伝わってくれと──身を切るようなこの痛みを理解してくれと、必死で言葉を探している。声を張り上げ、手を伸ばしている。
「これがナイフだってわかる俺も結構すごいと思うんだけどな……」
手袋の中には
「終わったらめちゃくちゃに褒めてくれねぇかな……」
甘やかされたい本音を密かに吐露しながら、俺はその時を今か今かと待つ。
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