第8話

「私の名前はルーラ・ライラック。悪魔狩りをやっている悪魔よ。よろしく」

 場所は変わって、大通りにあるファミリーレストラン。

 深夜帯ですっかり空いている店内で、人間二人、悪魔二人の四人組が形成されていた。

 ルーラと名乗った修道女の装いの悪魔は、無表情と鋭い目つきを一切崩さず、簡単に自己紹介を済ませる。名乗り自体はそう個性的なものでもなく、必要最低限をこだわりにしているようにさえ思えた。

 俺たちも本来なら、未だ勤務時間真っ只中のはずなのだが、店がああもなっていれば仕事にならない。そもそも人が入ってくる方がおかしいし、なんなら遠巻きに眺められる側の立場である。事件として公に処理されるなら、当事者がこんなところで油を売っていていい理由もないが、そこは悪魔の力というわけだ。

 実際、店は今も嵐が過ぎ去ったかのように雑然とした状態だ。だが、後片付けをするのは警察でも俺たち従業員でもない。ルーラと名乗るこの悪魔が率いていた「悪魔狩り」と呼ばれる集団の悪魔たちが、今この瞬間も修繕作業を行ってくれているらしい。最初に助けを求めてきた女性をはじめ、店の周囲にいた人や植物悪魔の目撃者も、ルーラの仲間たちによって当時の記憶を消されているという。この事件を知っているのは俺とカルド、それからルーラをはじめとした「悪魔狩り」の皆さんと、それから──

「……あの、先輩……これって本当に……夢、じゃ、ないんですよね……?」

 バイト先の後輩、藤沢生狛いこまである。

「夢じゃないんだな、これが」俺も苦笑するしかない。しかし、俺も悪魔について大して多くを知らない身だ。語れることなど特にない。「とりあえずこういうもんだと自分に言い聞かせるしかないと思うぞ」

「本当はあなたも記憶操作対象なのだけどね、イコマ」ルーラは向かいに座った藤沢の目をまっすぐ見据えて、言う。「あなたは魂の質がとてもいいの。これからも似たような事件に巻き込まれる可能性が高い。だから特例として、あなたには私たち悪魔のことを教えるわ。しっかり自衛ができるようにね」

「魂の質……ですか」

「質のいい魂は魔力を多く持っているから、悪魔や魔物に狙われやすいんだ。一回の食事で力を多くつけられるなら、それに越したことはないからね。それに美味しいし」

「ふーん」それは知らなかった。「で、それお前が言う?」

 魔力切れで銃もまともに撃てなかった悪魔が、心の弱い死にかけの俺なんかを選んでおいて魂の質を語るのか。俺の魂の質がいいはずもないだろうに。

「僕の場合は道楽だから。刹那主義みたいなものだよ」

 カルドは飄々と受け流すが、どうにも腑に落ちなかった。

「つーかお前、マジでどこ行ってたんだよ。待ってたんだぞお前が助けに来るのを。遅れてきた上に堂々としやがって」

「あ、じゃあこの方が先輩の言っていた、『めんどくさい彼女』……さん……?」

「ん?」

「おい!」なぜ今それを言う。「それは必要ない情報だろ⁉︎ つーかなんで覚えてんの⁉︎」

「はっはーんなるほどなるほど」

 カルドが水を得た魚のごとく身を乗り出してくる。俺は生きたまま火で炙られる魚の気分だった。

「それは申し訳ないことをしたね。ダーリンがせっかく僕の到着を心待ちにしてくれていたというのに」

「やめろぉ!」勢いよく立ち上がったはいいが、壁際の席なので逃げ場がない。

 すると、ルーラがわかりやすく咳払いした。場はすっと我に返り、俺は重力に従って腰を下ろす。物申そうにも何も思いつかなかった俺にとっては助け舟だった。

「雑談は後で自由にやって。先に仕事の話を済ませてしまいたいのよ」

「仕事、ねぇ」カルドが背もたれに身を預けて冷笑する。「天界を裏切って堕とされた、なんて言われてるような種族が、天界の雑務を請け負って『仕事』とはね」

「古い考え方の老害がいたものね。それともまさか、あんな扱いを受けておいてまだ悪魔の側に帰属意識があるとでも言うつもり?」

 隣の席同士で火花が散る。まさか不仲とは思わなかったので、どう諍いを収めるべきなのかもわからない。知り合いってだけで驚いたのに。

 ……っていうか、「あんな扱い」ってなんの話だ……?

「まさか。弱者の集団に仲間入りするためだけに僕の方から媚び諂えって? 御免に決まってるじゃないか。……それに、キミだってわかっているんだろう? 僕が天界の側に加担したらどうなるか──大きい力っていうのは、『そこにある』だけで周囲に影響を及ぼすものだ。場所が場所ならなおさら……ね?」

「大きな力がなんですって? 魔力尽きかけの死に損ないがよく言ったものだわ。妄言かしら」

「……試してみるかい?」

「いい度胸だわ。溶かし尽くしてその煩い口二度ときけなくしてあげる」

「おいおいおいストップストップストップ!」

 憂慮していたそばからこれだ。このままだと今度はこの店が炎と穴だらけになってしまう。俺は再び腰を浮かし、二人の間に割って入るように身を乗り出した。

「お前らここどこだと思ってんだ! いやまあどこでもダメなんだけど……とにかく! 次喧嘩売るような真似したら縁切るからな! 覚えとけよカルド」

「えぇ⁉︎ ひどいじゃないかダーリン! 僕を見捨てるっていうのかい⁉︎」

「お前人に恥かかせようとするだけの余裕あんじゃねぇか! マジで契約切るぞ」

「契約……ですって?」

 俺の言葉に反応を示したのは、意外にもルーラだった。隣に座る白い悪魔に、探るような険しい視線を向ける。だが、カルドを見つめるその瞳に非難の色はない。むしろ、ルーラ自身が「契約」という言葉に戸惑いを隠しきれていないようだった。

 一方のカルドはと言えば、その視線を鬱陶しげに見返している。

「何か言いたいことがあるようだね、ルーラ」

「……っ、いいえ……なんでもないわ……」

 彼女はそれからもしばらく困惑した様子で、「悪魔なのだから当たり前」「じゃないと生きているはずがない」とぶつぶつ呟いていた。



「……それで、さっきの騒動は一体なんだったんですか?」

 今度こそ本題に入る契機を作ったのは、この中で最も状況が掴めていないであろう藤沢だった。悪魔について俺が知っていることは道中で一通り話しはしたが、放っておいてしまって少々申し訳ない。とはいえ、俺もさっきの話は全くついていけなかったからフォローの入れようもなかったわけだが。

「ああ、ごめんなさいね。つい白熱してしまって」

 ルーラは一度自身を落ち着けるように、コーヒーに少しだけ口をつける。

「まず話すべきは、店であなたたちを襲った異形のことかしらね」

「あれは……魔物じゃなくて悪魔……なのか? やっぱり」

「その問いには明確に答えられないわね。言うなれば、あれは悪魔と魔物の中間にある存在。悪魔が理性を失って、魔物に変わろうという変化の只中にある状態なの。私たち悪魔狩りは『魔物堕ち』と呼んで、これを処理している。悪魔が魔物に変わろうとする瞬間が一番凶暴で危険だから、人間にも悪魔にも危害が及ぶ可能性があるのよ」

「響君には前に話したけど、悪魔は魔物より高位の存在だ。悪魔には自我があって、力を適切に扱うだけの理性と知性を備えているからね。でも、悪魔の場合はそれを維持するにも魔力が要る。本能をコントロールするために、常に力を蓄えておく必要があるわけだ」

「つまり、理性を保つこともできなくなるほど魔力を失ってしまうと……」

 藤沢の控えめな言葉を後押しするように、カルドは深く頷いた。

「本能が勝って自我が消える。そうなればもう、身体が求めるままに暴れる魔物の完成だ」

「でも待てよ」俺は頬杖に使っていた手をひらひらと振り、発言権を求める。「魔力がないから悪魔が魔物になる。それって言っちゃえばランクが下がるってことだろ? なんであそこまで強力になるんだ? 魔力がないなら暴れても悪魔以下ってことにはならないのかよ」

「響君にしては鋭いじゃないか」気障ったらしい笑みを俺に向けたのち、カルドは難しそうに腕組みし、ため息を吐くように続けた。「でも、そこが厄介なところなんだよねぇ」

「キョウ、魔力の根源が何かはわかる?」

「人間の魂……じゃないな。この場合は精神力、『意志の力』だったか? 人間の意志の塊が魂だから、悪魔はそれを喰らって力をつけるんだったよな」

「その通り。……カルド、あなた意外とちゃんと教育しているのね」

「大事な人に自分のことを知っておいてもらうのは当然のことだよ」

「……お前そういう言葉どっから出てくんの?」

 悪態をつくポーズを取りながらも、内心ではドキリとしていた。「大事な人」と言われたことに対してではない。「大事な人」と表現するまではいかないにしても、少なくとも生活を共にする相手になったカルドに対して、俺にはまだ、言うべきにも関わらず隠していることがあった。向こうに一切の隠し事がないとまでは思っていないが、これに関しては確実に知っておいてもらうべきことだった。……本来ならば。

 そういう点で、俺はカルドの言う「当然のこと」を履行していない。

 だが、今は個人が抱えた重荷を晒す時ではない。俺はテーブルの上で交わされる言葉を黙って拾い上げ、自分の知識に変換することにのみ神経を割く。

「とにかく、キョウの言った通り、魔力の源は『想う』という行為なのよ。それは確かに自我がないとできないことだけれど、感情というのはもっと原始的だわ。欲望、欲求……そういうものは理性の歯止めがかかっていない時の方がずっと、表に出やすい。暴走状態に入ると、私たち悪魔はその魂に刻まれた欲望にのみ忠実になる。だから魔力量は理性が働いていた時とは比べ物にならないほど跳ね上がるの」

「魂に刻まれた欲望、ってのは」

「……そうね、私たちにも正直よくわからない。けれど、それでもあえて言うのであれば、生まれてきた意味……ということになるかしら」

 ルーラは俺の質問に対して慎重に言葉を選んだ後、つと横に視線を寄越した。カルドはそれを受けて、「いいんじゃないの」とでも言うように肩をすくめる。

「あなたたち人間もそうだと思うけれど、この世界に存在するものは全て、最初から最後まで不完全なままでしょう? どんなに時間をかけても完全にはなれないから、他者を求める。自分以外の誰かの力を借りることで、多くの生物は自分の生をどうにか全うすることができる。誰の魂も皆欠けている。……でも、悪魔は欠けたままではいけないの。許されない」

「……どうして」

「この男もさっき言っていたでしょう。悪魔は天界を裏切って堕とされた種族……神に背いたという原罪を生まれながらに抱えているの。だから私たちはその罪を償うために、完全な魂を完成させなければならない。完全な魂を捧げて初めて、私たちは赦される」

 原罪、償う、赦される──大仰にして押しつけがましい言葉の数々が、俺の心を無遠慮に抉った。生身の手で心臓に爪を立てられるような不快感。胃の底からせり上がってくる苦くて熱い悪感情を表に出さないように、俺は生唾を飲み込んだ。

「私たち悪魔に用意された道は二つ。魔力が尽きて魔物と化すか、『完全』を完成させるか。そのどちらかを全うしない限り、私たちは永遠に、この現状維持を繰り返す」

「……なんで、」熱に浮かされたみたいに、俺は茫然と繰り返した。「誰がそんなこと、なんのために」

「わかっていたら苦労はしないさ」

 冷たく重い鈍器のような声音で疑問を跳ね除けたのは、カルドだった。

「悪魔としての自分の存在を認識した時から頭の中にある知識だよ。それこそ本能ってものだろうね。生きるための。……いや、生き永らえるための、かな」

「……なんでお前は平気そうにしてられるんだよ。怖くないのか、こんな、いつ死ぬかもわからない、」

 それは違う。内心では瞬時に否定していた。「いつ死ぬかもわからない」んじゃない。「いつ死ねるかもわからない」だ。だが、それも完全解ではないだろう。死のうと思えば死ねるのだ。理性を──自我を手放し魔物に堕ちるという選択肢がある。

 ……わからない。

 俺は一体何に憤っている? なんでこんなに……我が事のように胸が潰れそうに。

「いつ死ぬかもわからないのは、人間だって一緒じゃないか。むしろ人間として生きていく方が、そのリスクは高いはずだよ」

 わかってる。その否定はもうとっくに終わっている。

「俺が言いたいのはそういうことじゃ──」

「先輩」

 ぐんと袖が突っ張る感触があった。呟く程度の声量でも、てこでも動かなそうな据わった声が耳を打つ。横に座る後輩を見れば、その目は「無意味だ」と訴えかけている。

 ……わかってはいる。こいつらは被害者だ。文句を言うべき相手じゃない。

 俺が言葉を飲み込むのを見届けてから、藤沢はいつもの明瞭な声で質問を投げた。

「じゃあ、完全な魂をどうやってつくるのか──そこははっきりしているんですか?」

「食べるんだよ。魂を」

 そう口にした時のカルドの瞳は、生々しく艶めかしい光を内包していた。見た者を羽虫のごとくに引き寄せる甘い蜜で、その瞳はきっとできている。

「パズルのピースみたいにぴったりと、僕たち悪魔のそれぞれの欠陥を埋めてくれる魂がどこかにある。それを持つ人間を見つけて、たべればいい」

 ひく、と喉が引きつった。自分の意図しないところで息を吸ってしまったような、自分の体内環境を制御する小さな歯車がわずかに狂ったような──そんな錯覚を覚える。

 ……目が合っていた。そのことに気づくと同時に、俺はいつか見た影絵を思い出す。どうやって作るのかもわからない、舞台裏を覗き見れば、なんてことのない日用品を組み合わせただけの些細な小道具なのかもしれないけれど、然るべき距離と角度で、スクリーンを通して見た時だけは恐ろしい形をしている。

 不思議なほど骨張って、直線的で、長い指。爪の先は鋭く尖って何もかもを傷つける。

 そんな悪魔の手の形をした影が、壁を伝って俺の中心に触れ、やがて串刺しにする。

 それでも実体は全く別の場所にあるから、触られたことにすら現実の俺は気づかない。貫かれても痛くない。血の一滴も出やしない。

 でも、ふと気づいた時にはもう既に、大事なものを奪われている。

 ──そういう幻を、見た。

 大事なことを悟った気がした。けれど、それもすぐに忘却の彼方だ。

 深淵のような赤い瞳が、あまりにも美しかった。魅惑的に俺のことを甘露の湖へと手招きする、その輝きと翳。……少なくとも俺にとっては、至高の美術品だ。

「……でも、所詮は夢物語だと思ってしまうわね、私は」

 ルーラが湯気の見えなくなったコーヒーを啜った。

「明確なゴールの見えた方法ではあるけれど、その相手を示す目印があるわけじゃない。ましてや時代だってわからないのよ。いつどこに現れるかもはっきりしない相手を探し求めるには、私たちの時間は長すぎる。終わりが見えないことほど、辛くて惨いものはないわ」

「そりゃあそうだろうね」いつもの笑み、いつもの声色で──本心を絶妙な厚さのレースのカーテンで覆ったような掴み所のなさでもって、カルドは言う。「リアリストだからこそ、キミは現状維持を選び取ったんじゃないのかい? 天界の側について、人間と悪魔の安全を守るという選択を。そうやって得られる報酬で、安定して生きられる道をキミは選んだ」

「私の力は現代の人間のニーズとはかけ離れているから。そういう連中は他にもたくさんいる。求められる場所で生きようとするのは当然のことよ。あなたはそうは考えないの? 私たちは生きているの。求められる場所が居場所になるのよ。だからいい加減あなたも──」

 そこまで言って、ルーラはハッとしたように口を噤んだ。挑発でもなんでもない、本音の仕草だった。

「……失言だったわ。ごめんなさい」

「謝られると逆に不快になるんだよねぇ。やめてくれるかな」

「……あのさぁ、」さっきの失点に対する引け目もあり、俺はおずおずと声をかけた。「二人はなんなんだ? 関係性というか……そういうの」

「「ただの腐れ縁」」

 悪魔たちが不満げな表情ながらも声を揃えてそう口にするので、俺と藤沢は顔を見合わせて吹き出した。

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