第3話 元家主の日記と秘密の部屋
本でしか見た事なかったので、気が付かなかった。本には親愛のしるしと書いてあったのを思い出す。
ミシェラに対して、そういう事をしてくれる人などいない。
初めての握手を逃してしまった事が少し残念に思えて、ミシェラは自分の手を撫でた。
「ミシェラは、ここに住んでいるのか?」
「はい、そうです」
「家族と一緒に?」
「……いえ、一人です」
ミシェラの答えに、ハウリーは驚いたようだった。
「ずいぶん村から外れているし、一人で住むには……少し危険な気がするが、大丈夫なのだろうか」
「……こうみえて、意外と快適なんですよ」
ふふふっとミシェラは眉を下げ、笑って見せた。
傍から見たらここはボロボロの小さな小屋だし、村から外れて魔物も居る森に近い。ミシェラのような少女が住むには酷い環境だろう。
それでも、村の人以外に自分の現状を気が付かせてはいけない。
もし何か伝えて村の人間の耳に入れば彼らに何をされるか、わからない。
そもそも、今目の前にいる彼は村の人と同じかもしれない。
「そうだ。ちょうど携帯食に飴を持っているからあげよう。飴は好きか? 私はつい、食べてしまうんだ」
少し恥ずかしそうにいうハウリーはなんだか可愛くて笑ってしまう。
自然に笑みが出る自分が少し不思議だ。
「ありがとうございます。嬉しいです」
それでもミシェラを心配するような言葉に、これ以上喋ると何かを言ってしまいそうで、ミシェラは微笑んで首を傾げた。
「あの、調査であれば、お忙しいのでは?」
「あ! そうだったな……」
実際に急いでいたようで、ハウリーは慌てだした。きょろきょろとあたりを見回して、なぜかため息をついてから再びミシェラに目を合わせた。
まっすぐな青い瞳に見つめられて、居心地が悪い。
「今は時間がないから戻る。……だが、また話そう。必ず」
「……はい」
ミシェラが答えると、にっこり笑ってハウリーは戻っていった。
何故か名残惜しくて、ミシェラはそのままハウリーの後ろ姿を見送った。
すると、途中でハウリーはこちらに向き直り手を振ってきた。
「またな!」
その無邪気な姿に、ミシェラもそろりと手を振る。それを見て嬉しそうに笑って、今度こそハウリーはそのまま村の方へ戻っていった。
いつのまにか詰めていた息を吐きだす。
ハウリーの姿が見えなくなった外は、いつものように鬱蒼とした森が広がるだけになった。しかし、青い空が目に眩しい。
なんだか心臓がドキドキしてしまう。
それを誤魔化すように、ミシェラは部屋の方に向き直り窓から離れようとした。
瞬間、鋭い痛みが走る。
「いたっ」
怪我をしたことをすっかり忘れて、普通に歩こうとしてしまった。
「ううう。馬鹿みたいだ。……でも、いい人そうだったな……」
ミシェラをきちんと見てくれて、普通の会話ができた。
それだけで、ミシェラの胸には温かさが広がった。
……そういえば、何故あの時魔術の糸は切れたのだろう。聞きそびれてしまった。
また、会える時が来るのだろうか。
しばらく先程の会話を反芻した後、ぱちぱちと頬を叩く。
今はともかく回復だ。魔術で怪我は治っても、体力は回復しない。
魔力で傷んだ身体も、時間をかけるしかない。
「うん。ご飯にしよう」
もう一度魔術の糸を外に広げると、ゆっくりとミシェラは台所に向かった。
小さい台所には、穀物と少ない野菜が置いてある。
野菜は書類仕事をすると代わりに置かれるもので、量や出来はまちまちだ。今は野菜がたくさん取れる時期らしく、かごの中には珍しく青々とした野菜がつまれている。
穀物はたまに忘れられるが、死なせる気はないようでそこそこの量がいつもある。
ミシェラは鍋に穀物と小さくちぎった野菜を入れた。鍋を持ち、血で汚れた布団まで戻る。
そのまま布団をめくると、見た目は何の変哲もない木製の床に手を当てた。
この床は両手をつけて魔力を流すと、地下に続く扉が出現する。
よいしょ、と重たい木の扉を持ち上げて、鍋を持って階段をくだる。足が痛いので、手もつきながらゆっくりと。
降りると、そこは本棚だらけの狭い部屋だ。
本棚が所狭しと並べられ、貴重なはずの本がこれでもかと詰まっている。
魔力で使えるストーブの上に鍋を置いて、魔術で水を満たす。ストーブに魔力を込めると、空気がふわっと暖かくなった。
この地下は、誰も知らない、ミシェラだけの部屋だ。
魔力があるものしか入れない、安心できる場所。
物は少なくて簡素だけれど、元の住人がほぼすべてに保存の魔術をかけていたようで、どれも綺麗だ。
この場所を見つけたのは偶然だったけれど、ここがなければとっくに死んでいただろう。
肉体的にか、精神的にかどちらかだったかはわからないけれど。
ストーブの隣に置いてある、魔物の羽を集めて詰めたらしいクッションに座る。
ふんわりとした感触が、痛い身体に優しい。
寝てしまわないように、今まで何度も読んだ本を手に取る。
ここにある本の半分は魔術の技術について書いてある本で、もう半分はドラゴンについて書いてある。
物語を書いた本はないけれど、元の住人が書いたドラゴンの本は面白い。
この人の執念が、ドラゴンの信仰を産んだのかもしれない。
……私が生贄になる、竜神様と呼ばれているドラゴンへの。
ページをめくり、今はもう居ない住人に思いを馳せた。
『ドラゴンが小動物を炎で焼いて食べているのを見た。あの巨体での繊細な魔力管理は素晴らしい!』
彼の書いた興奮が伝わるようで、自然と笑みが浮かぶ。
ドラゴンは私の事も綺麗に焼いてくれるといいけど。
ことことと煮える音と、火の温かさが心地よい。
静かな空気が流れる。
先程ハウリーに貰った飴の瓶を手に取り、ひとつ食べる。
じんわりとした優しい甘さが口に広がった。
「あまい……綺麗だな」
色とりどりの飴が何個もコロコロと入った瓶が可愛い。ぼんやりと見ていると、視界がぼやけたことに気が付いた。
手に持っていた本に、ぽつりと水滴が落ちる。
不思議に思いつつ、目をごしごしとこすった。
周りに誰も居なくて、ひとりだから危なくなくて、身体もあんまり痛くないのに涙が出るのは何故なんだろう。
ミシェラはぼんやりとしたまま、目を瞑りクッションに身体を預けた。
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