第181話 イルーテガ王子……。


――――若かりし頃の記憶というのは眩いほどに記憶に残る。



ディガッシュ商会は成功し、もはや同じ商売だけしていれば良かった。


あの頃の自分はそれがどれほど恵まれたことかわかっていなかった。


優遇されることがどれほど特別で、腹が空いて困ることもなく生きていけることがどれほど幸せなのか理解もしない愚か者だった。


未知に夢見て山を眺め「いつかあの山まで行こう」なんて思い、行ってみれば行ってみたで「その先に何があるか見てみたい」と更に先に進んでは怒られていた。



いくつになってもあの頃の夢を見る。



小さな世界しか知らなくて、未知を知ろうと無駄に冒険し、山に迷い、海で溺れ、砂漠を彷徨い、世界を旅し、友と出会った。


無駄で何の成果もなく、ただただ徒労に終わったことも数えきれないほどあったがそれでも輝かしい記憶だ。


思えばあぁしろこうしろとうるさい家族に辟易としていたからその反発もあったのかもしれない。




いつしかしてみようと出てみた海商。景気の良い話をいくつも聞いて興味があった。…………まぁ恐ろしく酷い目にあったが。


海賊は来るし海は荒れるし自分がどこにいるのか、本当に船が進んでいるのかもわからない。海の中には魔物もいるし……陸と海では常識が何もかも違った。


よく考えれば港で聞ける話は成功者のものが多く、失敗者の話がなかなかないというのは死んでしまうから話すら聞けないのだから当たり前なのだ。


度重なる魔物との戦闘、船もボロボロで苦難の末にたどり着いた海洋国家クーリディアス。幸いにして商品は珍しがられて出せば出すだけ売れた。船は修理が必要だが。



「すこしいいか?」


「なんでしょう」



客として現れた自分よりも若い男は一見して最悪の相手だった。


自分よりも幾分か若く、自信ありげなその顔、見るからに良い服を着ていて……こんなにも人の出入りも激しく、荒くれ者もいる船着き場だというのにジャラジャラと惜しみなく装飾品を身に着けている。


周りには明らかに強者とわかる数名がいて……先程まで盛り上がっていた客たちが彼に向かって頭を下げて距離を取っている。



「これは何だ?何に使う?」


「水晶蜥蜴の外皮です。鞘の仕立てに使うものです」


「これは?」


「ロッカ民族の鐘です。音が遠く鳴り響きます」


「ふぅん」



小さな鐘をキンキンと叩いて確認するどこぞの御曹司。権力者であることは見ればわかるし、下手に出すぎて無理を言われないようにしないといけない。


商品を無遠慮に手に取って質問される。もっと丁寧に扱ってもらいたいものだがどうしたものか。



「お前はどこのものだ?」


「へ?エンワースのディカッシュ商会のものです。ゴーガッシュです」



商品の説明ばかりしていたのにいきなり自分のことを聞かれて驚いた。



「エンワース?知らぬな、お前らは知ってるか?」


「知りませぬ」

「聞いたこともないですな」



もはや市民は離れてしまい、彼と彼の関係者しかいない。


彼の質問に、護衛らしき人が答えている。



「エンワースはオベイロス国の領地です」



南のとか、詳しく言ってもわからないだろう。大きな領地であるはずだがやはり別の土地では知らぬことばかりである。相手がうちの商会を知らないように、こちらも彼らが何者かわからない。



「オベイロス、精霊の国か……面白そうだ。お前、今晩うちに来い。この国のうまいものを食わせてやるから話を聞かせるが良い」


「お招きありがとうございます。私共はこの国についたばかり、恐れながら御身のご尊名を知りませぬ。お聞きしてもよろしいでしょうか?」



外国の人間だからと無理を言われるよりはまだマシか。


悪意があるようにも見えないし、代表者として出向く方向で考える。



「ん?あぁそうか!俺のことを知らんのか!!ならうちに来るのは無しだ!知ってる店に行こう!俺のことは、そうだな。ティパ、うん、そうだな、ティパと呼ぶが良い!異国の者だし無礼は許す!!」


「ではティパ様、み――」


「ティパでよい!ゴーガッシュ!」


「ティ、ティパ……うん、護衛の方々が恐ろしい顔をしていますが本当によろしいので?」


「あん?お前ら下がってろ!うむ!好きに呼ぶが良い!!ハハハ!良い日ではないか今日は!!」



この日、ティパと明らかすぎる偽名を名乗る馬鹿は本当に好き勝手にしてくれた。うまい飯を奢ってもらったし土産に持っていった酒を一緒に飲んで馬鹿騒ぎをした。


朝起きると何故かティパの腹を枕にしていた。



「どこだここ、おい、起きろティパ。ティパ?おい、大丈夫か?」


「……」


「だめだな。いてて……」



見覚えのない部屋である。周りは酒瓶が転がっているし、どれだけ飲んだのだろうか?


数本酒瓶を持ち上げても残っているものはない。娼館なのか近くで起きていた女に新たな酒を持ってきてもらった。



「あぁ?ゴーか?―――――……オベイロスの酒というのはよく酔えるな。俺はお前と寝たのか?」


「全く覚えてないが、気がつけばここにいた」


「……どこだ、ここ?あー、頭いったいなぁ」



半裸で頭が痛そうにしているティパ。寝台で座り込んで顔を両手で覆って動かなくなってしまった。



「ティパ、飲むと良い」



酒を注いで自分も飲み、ティパにも差し出す。


しかし全く動かない。覚えているだけでも人が飲める限界まで飲んだと思う。お互い酒豪で旨い酒に旨い肴、そして異国だからか互いに話題が尽きずに盛り上がりすぎた。飲み比べはどちらが勝ったのだったか?


記憶が飛んだあともかなり飲んだ形跡があるし、動かないティパが心配になってしまう。



「ティパ?大丈夫か?」


「……ティパなら別室にいるだろ。頭がいたい……あ、違う。俺がティパだった。そうだった」


「やはり偽名か。まぁいいけど、ほら、酒だ」



酒を渡してやる。


偽名というのはすぐに分かったし全く気にしていない。身分が高そうだし、偽名を使うなんて普通だろう。


お互い酒の力か兄弟や幼少期からの付き合いかというほどに仲良くなった。



「おぅ、悪いな……うっぷ?!」


「気にするな……我慢しろ!まて!?桶にしろ桶に?!!」



吐いてるティパの世話をして、何故か軽くなっている財布から銀貨2枚払って清潔な部屋を借りて休んだ。



「で?ティパの正体は?」


「……言わなきゃ駄目か?言えばお前だって態度を変えるだろ?」


「大体察しはついてるからお前から聞きたいんだよ」


「クーリディアス、第一王子のイルーテガだ」


「そうか、よろしくなイルーテガ」



キョトンとこちらを見てくるイルーテガだが若干気持ちはわかる。というかバレていないと思ったのだろうか?


持ち物にクーリディアスの紋章が彫られたものがあったし、携帯を許されるとすれば高位の役職者か王家の人間だけである。


本来ならこの場で頭を下げたほうが良いのかもしれないが馬鹿騒ぎした間柄でそんな気も起こらない。



「へりくだらないのか?」


「なんだ?平伏してほしいのか?お前は友にそうされたいのか?ん?」


「そんなわけないっ!そんなわけ……」


「どうやら俺はお前に無礼にしても良いらしいしな。俺も地元じゃ似たようなことがあったんだよ。……改めてよろしくなイルーテガ」



幼き頃はどこに行ってもディガッシュの坊っちゃんと言われて、同世代では喧嘩もできなかった。


喧嘩すれば相手の家が村から追い出されていたりなんて……まともに友だちを作れる気がしなかった。



「……あぁ!よろしくなゴー!」



仲良くなって、二人で数ヶ月遊び呆けた。ここまで乗ってきた船は直すのを待っている間に大波で更に壊れてしまったし修理には当然時間がかかる。


王家の酒を飲んで一緒に牢に入ったり、馬鹿騒ぎしたり、港で遊んでる子供と混じって日が暮れるまで玉蹴りをしたり……髭も生えてきた自分だが子供の頃に出来なかったことをしているようで本当に楽しかった。


イルーテガは王族だけあって偉いのだが本人は王位を求めていなかったし偉ぶることを好んでいない。国の未来を真剣に想っていたし兄弟仲も悪くないようである。港でも自分の持っている果物をお腹を空かせた子供にやったりと優しい一面がある良い奴だった。若干馬鹿だが。


少し商売をして、酒を飲んで、夜分遅くまで騒いで日々を過ごした。……こんな日がいつまでも続けば良い。多分、イルーもそう考えていたんじゃないか?





――――その結果、クーリディアスの重臣が俺の部下を殺した。





俺という存在で箍が外れたように遊び呆けるイルーテガ。王族を惑わす俺への警告のつもりだったのだろうな。


しかし船がなくては逃げることも出来なかったのだが……。



「ゴー、本当にすまない。謝っても謝りきれないのだが……この船をやる。エンワースに帰れ」


「イルー、お前は大丈夫なのか?一緒に行かないか?外の世界に興味があるんだろう?」



他所の国の文化や風習を話すとイルーはいつでもキラキラと目を輝かせていた。


きっと外に興味があるのだ。もしもこいつが何もかも捨てていけるのなら面倒を見てやろう。



「……行ければ楽しいだろうな。だが、俺は行けない…………ゴー。また、また縁があれば会おう!精霊の導きあればだったか?またな!」


「あぁ!この国では竜と星が交わる時だよな!?またな!!またなぁぁああ!!!」



喉がかすれるほどに叫んだ。イルーが国を捨てられないことはわかっていた。わかっていたがそれでも聞かずにはいられなかった。


俺にも部下がいる。商売をしていれば貴族の不興を買うなり賊に襲われることはよくあるし死は覚悟している。今回のことは予想できない貴族の動きだったしどうしようもなかった……。


この船があれば、いつかはまたこの国に来る機会があるかもしれない。



イルーとの別れは半身を失った気さえする。……たった数ヶ月だったのにな。



しかし、慣れない国の船はうまく操れず、オベイロスの近くで座礁してしまった。そしてそれから機会もなくなった。


戻ろうにもまた部下が殺されればと考えれば難しかったし、手紙をいくつか送りはしたが返事はなかった。

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