第109話 マーキアーの時間稼ぎ。


キュル……キュル………。



なんとか荷車にタオルを積み込み、濡れて駄目にならないように何重にも布をかけてきつく縛り、孤児院を出る。


正直エルストラの嬢ちゃんの言い分は怪しかったが……何処か戦場の空気を感じていたのはわかっていた。


この場で絶対に信じられるのはタラリネだけ、相談して予定を前倒ししてタオルを取りに行く。


天気は精霊様次第だ。それで商売を休みにするなんて当たり前なのだが、フリムお嬢の方針に従うことにしてできるだけ営業する。


孤児院では布を作ることから単純なタオルであれば取りにさえ行けば一部屋埋め尽くすほどあるそうだ。だからこれは自然で、おかしくない仕事だ。


学のないあたしには良くわからないが、風呂や洗濯というのは人が病気になりにくくなるそうだ。一緒に風呂に入って教えてくれた。


奴隷だった時もあたしらなんぞのために風呂を入れて倒れていた……本当に優しい主だがあの時は本当に焦ったね。男どもを近づける訳にはいかないからあたしが見ていたし、責任を被せられるかもと思ったよ。



フリム様の危機なら鎧甲冑つけてすぐに殴り込みに行きたいが魔物や傭兵相手と違ってここは魔法使いやお貴族様の居て当たり前の学園。となれば敵に魔法使いがいて当然……ここは慎重に行かないといけない。



盾は荷車の下に、剣は荷車の取り出しやすいところに積んだ。護身用と言えばどうとでもなると思ったが……裏切ってるかわからないパキスの坊っちゃんにそれを見られた。


どちら側かわからない坊っちゃんに見られて―――手を出すか迷った。


しかし坊っちゃんは剣に興味なさそうに剣を隠してそのまま咳き込んで去っていった。


あれは心の壊れてない奴隷でよくあるやつだ。魔法をかける魔法使いの力量が弱かったのか、かけられた奴次第で少しぐらいは逆らえるが結構体は辛いはずだ。


初めほど苦しむし段々と力が削られていく。時間が経てば心をすり減らして言いなりになる奴隷も居る。


命令には逆らえないし逆らおうとすれば命がけになる。



それにしても……この男たちから血の匂いもかすかにするし明らかにまともではない。


孤児の出身者には学園の守護者になる人もいると聞く。


孤児全員を知っているわけでは無いが………確実にこいつらは外のもんだ。人は生きていればその場所の空気を纏うもんだがこいつらはここの空気に馴染んでいない。それに孤児の中に何人かこいつらにビビってる。



一人美丈夫の兄ちゃんがいるが、こいつは段違いだな。



「そっちもうちょっと積もう」


「あとどれぐらい?」


「こっちにある防水布も取ってくるね!」



事情を知らない子達が元気よく働いてくれる。そんなに急いでほしくはないのだが……事情の知らない彼らには関係ないか。


荷車の横で濡れないようにタオルを積んでいくのを何人かが見ている。


今にもなにか起きるかも知れない。嫌な緊迫感を感じる、事情を知っているタラリネがなにか仕出かさないか心配だ。



「ふぅ……あんちゃん、なにかあったのかい?」



無言で積み込みをしているタラリネが不自然すぎるし、あえて踏み込んだ。


むっつりした顔の下っ端がほんの少し殺気を出したが知らん顔をしておく。



「いいや、この雨で食事が遅れててな」


「そうかい、飯は食わなきゃねぇ……この雨だ、お互いどうしようもないさね」


「そうだな」



苦笑する兄ちゃん、部下を抑えるのも大変だねぇ。



「じゃあ雨が長く続くとまた頼むかも知れないけどその時は頼むよ。それじゃあね」


「あぁ、気をつけてな」


「さぁ私達は銭湯でもうひと働きだ!きっちり働こうか!」


「「「はいっ!」」」



キュルキュルと木が擦れる音を立てる荷車を押して歩く。時間稼ぎはこんなもんかね。


前はタラリネに引いてもらい私は押す。タラリネの姿は殆ど人間だがリザードマンであるタラリネは濡れても問題ないし、力もある。


子供達も何人か大きい子は押してくれるが小さい子は先に銭湯に帰ってもらう。雨だし荷車はすぐに止まれない。やる気があるのは良いが小さな子が転けて轢いてしまっては大怪我に繋がりかねない。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




しばらく歩き、もうすぐ建物だというところで後ろから風に混じって血の匂いを漂わせた奴が来た。



「敵だ!全員荷車は良いから逃げなっ!」



この匂い。レルケフと……血は多分パキスの坊っちゃんのだ。


あたしに獣人の血が混じっていてよかった。雨の中でも少しぐらい匂いはわかる。


すぐに荷車から隠しておいた剣と盾を取り出して子供たちを逃がす。



「よぉ、マーキアー」


「………」



最悪だ。



「なんだい?レルケフの旦那」


「お前、気付いてるだろう?だからちょっと聞きに来たわけだ」


「何をだい?」



レルケフ、親分の息子で乱暴者。逆らうものには容赦しないことで有名だ。


体臭であそこにいることはわかっていたが新しいパキスの血の匂い……敵か、嫌だねぇ。



「お前、俺につかねぇか?」


「フリム様からドゥッガ様にってことですかい?」



確認だ。ドゥッガの親分まで裏切ってるのか、それともこいつの独断か。



「いいや、これから子爵になる俺様にだ」


「そりゃあ無理ですぜ、旦那」


「なぜだ?今頃フリムのガキは死んでる頃だ。負け戦に付き合うのか?」



「あたしは主をフリム様と決めた。あんたじゃねぇ、それだけさ」



あたしはもう主を決めちまってる。生きていても死んでいても……それだけは絶対に変わらない。


どうあがいても誤魔化すことは出来ないね、それよりも問題がある。レルケフは一人ではない。



「なら仕方ねぇな―――――……<オルミュロイ、殺せ>」


「………」



―――オルミュロイが敵に回ってしまった。



「やめて!兄さん!!」



剣を抜いてレルケフに斬りかかる。


鋭い一撃だったはずだが外れてしまった。



「おっと!」


「お嬢に楯突くなら死んじまいな!」



この男は体格もあるし、力もとんでもないはずだ。


他の組織を潰してきただけあって修羅場をくぐり抜けてきた経験もある。


動かないオルミュロイをちらりと見て、今の一撃で倒せなかったことを後悔する。



「いい話だと思ったんだがなぁ<オルミュロイ!>」


「ちぃ!!?」



盾でオルミュロイからの大ぶりの一撃を防ぐ。


雨の中リザードマンと戦うなんて不利だ。―――それも剣闘士として負けなしだったオルミュロイが相手だなんて。



「グ ゥ オ オ オ オ オ ォ ォ ア ア ア ア ア ア ! ! !」



―――獣か、こいつは。


金属の盾で反らしたのに、凹んでしまった。痺れる腕、まともに受ければ終わっていた。


オルミュロイは奴隷としてこちらに来ているし武器も持っていないが……その膂力は無視できない。



「兄さん!!」



オルミュロイの腰に飛びついたタラリネ。


妹を最優先するオルミュロイだ。妹に肘を下ろそうとしたが固まった。


長く奴隷をしていると抵抗しようとしても出来ない。なのにここまでの抵抗をすればオルミュロイの命が危ない。



「オルミュロイ!死なない程度に抵抗してな!!タラリネ!!わかってるね!!」


「は……いっ!!!」


「グォッ!!?」



タラリネがオルミュロイの腰を持ち上げ、野菜でも引っこ抜くように勢いよく投げた。


あたしはレルケフを探すが……いない?


匂いは確かに近い。なのに何処を見てもいない。


………!



「何処行ったァァアアア!!」


「兄さん!兄さん!!!」


「……」


「寝ときなっ!!」



倒れたオルミュロイの指先がタラリネの背を引っ掻いていた。オルミュロイの頭を蹴り飛ばす。


倒れた相手を横から蹴り飛ばすなんざ死んでしまうかも知れない……が、タラリネを傷つけるぐらいなら死んでも本人も納得するだろう。多分大丈夫、リザードマンは頑丈だ。


縛ってやりたいがそんな暇はない。後ろに思い切り剣を振り抜く。


「チィッ?!!」


「レルケェフ!!!」


「なっんで見破りやがった!?あぁクソ!!!」



逃げたのかと思ったがさっき辺りを見渡して雨が不自然に無い部分が見えた。闇の目隠しの魔法だろう。


わざと見失ったと思わせるように叫び、誘い込んだ。


そもそも裏社会で腕っぷしだけで戦うのならなかなか長生きはできるものではない。流れの魔法使いもいるし、生き残るには腕力だけでは足りない。なにかあるかも知れないと考え、更に匂いがあったからこそ気がつけた。


防御されたとは言え両腕を切りつけることに成功したが……長さが足りなかった。追撃しようにも驚くべき速さでレルケフはいなくなってしまった。


身体強化も使えるようだ。



闇の魔法で薄暗い中来られるとほぼ対処は不可能だ。……しかしまずい。この学園でうちの奴隷、オルミュロイに命令できるのは3人だけ、フリム様にレルケフにミュードのみである。


その全員が何処にいるかわからない。


辺りに警戒しながら荷車から縄を切ってタラリネに投げていく。



「タラリネ!」


「はいっ!」



すぐにオルミュロイを縛るタラリネ。


血を落とした場所では匂いが強くてレルケフがいるのかわかりにくい。もう居なくなったようにも思うが……まだ油断はできない。


自分もオルミュロイの両足や両腕をすぐに結んでいくがリザードマンの拘束は頑丈な金属の鎖でも難しい。


以前オルミュロイは妹に無体を働こうとした商人に逆らおうとして小屋を壊し……偶然だが商人を殺した。無論その時も商人によって厳重な拘束がされていたはずだ。


なのにオルミュロイは商人を殺してしまった。それだけの膂力があり、それが今にもこちらに向かってくるかもしれない。……このまま気絶していてれば良いのだが。



「グォオオオオオオオ!!!」


「お願い兄さん!止まって!!」



オルミュロイの力を抑えるのにこの縄では細すぎた。本人が抵抗してくれるならこの程度でどうにかなるかもと思ったが……目を覚ましたオルミュロイが暴れて縄が千切れていく。


起き上がろうとするところに飛びかかって頭に蹴りを入れようとしたが、全体重をかけた蹴りは素手で受け止められてしまった。


仕方無しに掴んだ腕を剣で切り払って下がったが……硬質な音がして傷ひとつついていない。



「……参ったねこりゃ」


「フー!!フー!!!」



オルミュロイは隷属に抵抗出来なかったのか―――――………完全にぶっ飛んでしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る