終章

下山 ~店舗~

「おい、立てるか」


 信介しんすけがようやく起き上がった実隆さねたか加藤かとうに声をかけた。

 実隆は衝撃にやられた自分の身体を確認し、苦痛に耐えながらも答える。


「まあ、一応な。下山くらいなら、なんとかできそうだ」


 素人の診断など本来なら信用すべきではないが、実隆は未来が見える。そして実際に未来世界から帰ってきた。

 それらの能力を使用してのことかは不明だが、信介はその言葉を信用することにする。


「は、はは、俺なら大丈夫」


 加藤の頭にできていたたんこぶが瞬く間に凹んでいく。その身体は自在に治癒されるようだ。

 これは一切の心配の必要はないな。信介はそう思った。


 自力で帰ることができる。そう判断した三人はそのまま下山を始めた。

 信介と実隆が地図を確認し、帰る道を見出した。こんな身近な山にも関わらず、相変わらず見覚えのない地図のように思えた。

 しかし、地上は近い。三人は難なく山道を超え、アスファルトで舗装された道へと戻ってきた。


「そういえば、泰彦やすひこ。あいつ、どうなったんだ」


 緊張感のない声で信介が口に出した。

 本来ならあり得ないことだ。山で行方不明になった男。ましてや、怪異に飲み込まれた仲間のことを今更のように思い出したのだった。


 あまりにも、さまざまなことが起こり過ぎた。

 未来を行き来する実隆。魔人としての本領を発揮し、不可視生物と戦う加藤。

 それに、泰彦はかつて行方不明になり、ひょっこり戻ってきた前科がある。そのせいか、泰彦の消失に対する緊張感がまるでなくなっていた。


「それはわからん。だが、事体は深刻かもしれんぞ」


 実隆が真面目な声で言った。その言葉でようやく信介にも緊迫した感覚が戻ってきた。


「そうだな、早いとこ警察に連絡すべきか。しかし、もう戻ってこないのかもしれないな」


 手続きのことを考えつつも、信介には泰彦がどこかでひょっこりと帰ってくる、そんな意識を捨てられないでいる。

 加藤はキョトンとした様子だった。自分が消してしまったことを覚えていないのだろう。


「泰彦はどうなったの? どこかで行方不明になったってこと?」


 その様子を見かねた実隆は「それはだな……」と説明を始めるが、またしても加藤の素っ頓狂な声が上がった。


「あ、コンビニだ。へぇ、まだまだ辺鄙なとこなのに、コンビニなんてあるんだ」


 見ると、確かにコンビニがあった。公道に出たといっても、まだ民家もまだらで、店舗なんてほぼないに近い。あるとしたら、山小屋に毛の生えたような登山者向けの店くらいのはずだ。それが確かに24時間営業のマークの入ったコンビニエンスストアが目の前にあった。

 信介はその店舗を見た瞬間に嫌な予感がする。脳から直接汗が湧き出てくるような感覚とともに、深い絶望と吐き気を覚えた。


 これは、まさか、あのクトゥルーとのやり取りが実現したのではないか。自分でも要領の得ない、わけのわからない言葉だと思っていたが、それをコンビニエンスストアだと、クトゥルーが判断したのだと思えてならない。

 だとすると、世界中にこんな店があるのだろうか。


 信介は込み上げてくるものをどうにか抑えながら、そのコンビニを見る。見たこともない文字で店舗名が書かれているが、その明るいデザインは明らかにコンビニエンスストアのものであった。

 この店の中には一体何が売られているというのだろうか。


「ちょっと、ちょっと、しんちゃん、実隆くん! すごいよ、すごいもの売ってるよ!」


 一度、中に入っていた加藤が出てくると、驚いたような口調で叫んでいた。

 信介はこの店の売り物が何かなど聞きたくなかった。だが、強制的に加藤の言葉が耳に飛び込んでくる。


「泰彦だよ、泰彦! 棚に並んでいる商品の中に泰彦がいたんだよ。買ってかなきゃまずいんじゃない?」


 それは信介の想定を遥かに超える情報だった。


「なにぃっ! どういうことなんだ、それは!?」


 信介の怒号が周囲に響き渡った。

 もはや、この店舗の薄気味悪さやクトゥルーへの嫌悪と恐怖を抱いている場合ではない。世界中で同じことが起きているかどうかなんて気遣う余裕もない。

 ただ、ズカズカと怒りのままにコンビニエンスストアに入っていく信介の姿があった。


 この日を境に、世界中に大きな変革が起き、何事もなかったかのように人々に受け入れられた。だが、それはまた別の物語である。

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