14話

 先輩たち三人に抱えられるようにして、菅平はデンから退出させられた。英会話部顧問の先生は、結局状況把握が半分程度しかできていないらしかった。菅平を担いだ先輩たちによって「話は校長室で」と言われていた。

 英会話部副部長は保健室に走ってくれた。腰が抜けてその場にへたり込み動けなくなってしまったオレに代わって、氷嚢を取りに行ってくれたのだ。

 そうして、気が付くとデンに二人きりになった。菅平が倒れていた分の間隔が、ヤツが居なくなったあとなのにどことなく遠い。

へんはい先輩。ほっらいじょふ大丈夫っスか? ヒリヒリしたりしてねぇすか?」

 視線を俯けている高城先輩へ、オレはたどたどしくも明るく声をかける。

 始めの一発で口の中をまんまと怪我した。二発目は噛み合わせて回避したはずだが、撃ち込まれた衝撃で歯茎が痛む。それらが合わさってだんだん腫れぼったくなってきているようで、舌がまわりにくい。

「大丈夫だよ、大したことない」

 ボソボソの返答が返ってくる。俯けた視線は持ち上がらない。

ほっふそっスか、よかった……」

「よくないっ!」

 突然大きな声を張った高城先輩。予想していなかったのでびくっと上半身が震えた。

「私、誰も傷つけたくなかったんだよ! こんなふうになるのが嫌だったからっ。だからこの前『独りで頑張る』って言ったのに」

 きゅんと眉間を詰めている高城先輩。怒っているようだ、こんな感情的な高城先輩を初めて見る。

 何とも答えられずにいると、クシャリと哀しげに顔を崩した。

「どうして来ちゃったの? どうして私の代わりに怪我しちゃうのっ。タケルくんになにかあったら嫌だから突き放したのにっ」

へんはい先輩……」

「私のせいで、タケルくんが傷付くの、ほんとにほんとにヤだったんだからっ」

 ぼろぼろと涙を零しはじめた先輩は、まるで子どもみたいだった。鼻の頭も赤くして、表情も保てなくて、声も震えて聞き取りにくくなっていく。

「タケルくん、入学したばっかりだし、せっかく努力して入った高校で、こんな嫌なことに巻き込むの、見てられなかったっ。タケルくんの全部が、私のくだらない性分のせいで壊れちゃうの、絶対ヤだった」

 拭う袖に涙がどんどん染みていく。そんな気持ちだったなんて、とオレは静かな溜め息が出た。

「スポーツ推薦は、勉強じゃとれない目標を掴んだっていう、信頼と実績あるすごい推薦枠だもん。それをタケルくんに、てさせたくなかった。タケルくんにはタケルくんにしかできないこと、たくさんあるから」

 痛みが鈍く突き抜ける身体をゆっくりなりとも起立させて、一歩一歩と高城先輩へ近付いていく。

「タケルくんは私と違う、全然違う。だから、影の隅のほうで頭を垂れ下げてる私になんか目を向けてないで、タケルくんは明るい道を堂々と歩いていかなくちゃだもん」

 でしょ? と顔を上げた高城先輩。涙でいっぱいになった顔で同意を求められて、しかし「そうですね」と簡単に首肯するようなオレではない。

「け。その影の隅のほうで頭垂れさしてる白い花に、オレは惚れてしまったんすよ」

 舌がもつれるから格好がつかないけれど、要するにそういうことだ。オレはそれ以上でもそれ以下でもない。すべては高城先輩に惚れたから始まったことだ。

「心の底からあなたに逢いたい一心で掴みとれた、この学校の『推薦』なんす」

 高城先輩の目の前に片膝をついて、視線を合わせる。口角を持ち上げるとイテテと漏れてしまった。

「私、もう、タケルくんが初めて見つけてくれたときのあの私じゃ、ないよ?」

「何言ってんスか。鈴へんはい先輩は鈴へんはい先輩しょ。他の誰もねぇし、代わりもいません。それは変わんねぇことじゃないすか」

「け、けがれてるよ?! きたないよ私っ。もう清楚な女の子じゃないもん……」

 二の腕を抱いてまた俯いてしまった。

「一度穢れたら、もう戻らない。たとえばタケルくんが欲しがっても、もう綺麗な状態をあげられない。断り切れない。押せば流される。関われば関わるほど、タケルくんを幻滅させちゃうよ」

「そうなんすか? しょーりき正直よくわかんねぇっス」

「……え?」

「オレ、今ま一回も鈴へんはい先輩に幻滅なんかしてねぇすけど」

「嘘っ」

「嘘じゃねーす。マジで鈴へんはい先輩のこと、全部ひっくるめて好きす」

「なっ、なんで? どこにそんな……私なんかのどこがいいの?」

「どこがって訊かれても。マジ存在そのものが好きなんスもん」

 勢いあまってストレートに何度も『好き』を連発してしまったが、赤くなったのはオレよりも高城先輩のほうだった。困ったように顔を歪めて、口を横に引き伸ばしハワハワと落ち着かない。

「わた、私がタケルくんだったら、高城鈴蘭のことなんか、絶対好きなままでいられないっ」

 真っ赤な顔をしたまま、高城先輩はブンと首を振る。

「ふわふわして、中途半端なことばっかり。決断できないし、笑ってればいいと思ってる。そうやって、他のクラスの女の子たちに嫌われてたり陰口言われてるのも知ってる」

 他の人の評価も気になるし、かといって孤高にもなりきれない。媚を売っているわけでなくともそう映るような行動しかとれないし、知らない。

 そうやって高城先輩は、これまでの一八年間を生きてきたのだ。それによって傷つけられたことだって少ないとは言えないだろう。だからこそ自分に好意をもつ相手にその理由を求めるのだ、それがひとによっては悪循環になることもあるというのに。

「うーん……じゃあ。プリンって美味ぇじゃねースか」

 片膝を崩し、あぐらをかく。「え?」と訊ね返した高城先輩をじっと見つめ、頬が痛みすぎない程度に柔く笑む。

「プリンっス、スイーツの。あれすら嫌いな人間がいるんスよ。知ってました?」

 首を傾いできょとんの高城先輩。何の話だろうと思うだろう。

も、無類のプリン好きっているじゃねぇすか。どんな大きさろうが冷凍ろうが失敗作ろうが、プリンから好きって人」

 訝しげな首肯をひとつ刻む高城先輩。

「例えはワリィかもすけど、それと一緒なんス。オレ、あなただから好きなんです。どんなあなたろうと関係ない。好きなもんは好きなんスよ」

「タケルくん……」

「たしかに、初めはへんはい先輩の顔がドストライクだったから惹かれました。でも実際に会ったとき、あの土曜にデンのドアの向こうから聞こえた返事とか、ひとつひとつの返答の仕方とか……もうとにかく挙げてくとキリないくらい、あなたの全部に惚れてるんです」

 恥ずかしくなんてない。一年間ひたむきに想い続けた自分の気持ちを、まさか本人に告げられる日が来るだなんて。そんなこと、数か月前まで思ってもみなかったのだから。

 限界だったか、ボンと顔を赤くする高城先輩。けがれているだなんてとんでもない。こんな初々しい反応をするくらいだ、彼女の心が純粋で謙虚であるなによりの証拠だ。

「今を生きようって必死な鈴先輩が好きです。オレのこと想って自己犠牲的に行動しちゃう危なっかしい先輩も好きです」

 なんとなく正座になって、そっと彼女の手を取る。姿勢が正されると、高城先輩もオレを凝視していた。

「真摯で真面目な先輩が、オレ、生涯とおしてずーっと好きなんだろうなって」

 そう思ってるんです、と笑んでみる。言いたいことがすべて言えた気がする。なんだかとても心内がすっきりしている。

 日陰で小さくなっていた先輩。

 媚びを売るようなかたちでしか他人と接してこられなかった先輩。

 オレのために、そんな自分を変えようとして危ない真似をしてくれた先輩――。

「アハ。こういうのって重いんスかね? オレずっとバド一筋で、好きな女の子とかぶっちゃけちゃんとできたことなくて」

 沈黙に耐えかねて、ついおどけて空気を壊した。後頭部を右手で掻いてアハアハと取り繕う。

「けど、鈴先輩に出逢ってからは鈴先輩だけが好きっス。先輩の心から笑ってる顔見られるなら、どんなに無謀なことでも無理そうな状況でも、オレは確実に鈴先輩のとこに駆け付けます」

「ふえぅ……」

 ボロボロ零す涙。それでぐしゃぐしゃの顔。必死に拭う袖もすっかりジトジトだ。

 涙ごとに、彼女の芯にまで染みていた毒気が抜けていくようだ。肩を震わせ啜り泣く高城先輩は、やっぱり俺にとってとても愛おしいと思えた。

「タケルくん」

「はい」

「いままで、ごめんなさい」

「はい」

「それと、ありがとう」

「フフ、はい」

「甘えるって、どうしたらいいのかな」

「え? あま、甘える、って」

 両手で顔の半分以上を隠したその隙間から、チラリとオレを見てくる。耳まで真っ赤だ。しかもちょっと震えている。照れているとわかる。

「んー、そうスね。……あ、じゃあ」

 つられてオレまで赤くなる。腫れぼったくてみっともない顔面にだらしなさが追加されたのではないだろうか。

 嫌がっていなければいいなと思いながら、ぎこちなさ全開で両手を高城先輩へ近付ける。

「…………」

「…………」

 ドキンドキンでバクンバクンの心臓の音。

 細かく震える両手が彼女の肩に近付いていく。

「鈴蘭おまたせぇっ、貰ってきたよ冷やすもの!」

 そのとき。

 何の前触れもなく、バダーンと大きな音を立ててデンの後の扉が開いた。ビクゥッと大袈裟なほどに全身を跳ねさせて高城先輩から距離をとるオレ。同時に、高城先輩もおののくようにして身を縮みあげて取り繕っている。

 声の主は英会話部副部長。なんともまぁ、『お約束』ってやつですこと。

 間もなく、ほわほわとした雰囲気の副部長から保冷剤という名の氷嚢をたっぷりと受け取り、腫れぼったくなってしまった両頬に充てがう。まるでおたふく風邪のようだ。ヒヤリとした肌感覚が痛覚になってヒリつく。

 そんな姿を彼女に見られて、だが無性に誇らしかった。彼女がまた安堵の笑みを見せてくれたことが、オレの充足感を改めて満たしてくれたのだから。


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