2話

 そんなふうに息巻いてから一年が経つ前に、オレは念願の慈み野学園高校に入学することができた。

 もちろんスポーツ推薦を取って挑んだので、学力や内申だけの状態よりも受験のハードルは低かったかと思う。年が明けた一月末に合格通知が届いたのを見て両親が一番目を丸くしていた。

「まさかお前がスポーツ推薦で私立に、それもあの慈み野に行くなんて思ってもみなかった」

 仲の良い友人たちは口を揃えてそう言った。みんな公立高校に進んだので、中学の卒業で離れ離れになった。

 同じ中学から慈み野高校に入学を決めたのは、オレを抜いて三人。

 二人は普通に受験して、残りの一人は特別推薦枠を貰えていた。普通に凄い。だって学力も内申もお墨付きというわけだ。そして三人の方が明らかに『いかにも慈み野に通ってそう』な雰囲気だし、合格するのもオレよりはるかに納得だ。

「オレは慈み野で心機一転する。そんでゆくゆくは、あの人と付き合う!」

 実に単純かつ不純すぎて自分でも笑える入学動機だ。だから合格がすっかり決まったっていうのに、自分の選択に迷い直す夜はたくさんあった。

 そんなときは、決まって自室の机の本立ての間に隠したクリアファイルを取り出して、じっくりと眺めることにしていた。

 クリアファイルの中はもちろんあのポスター。あの女子生徒のきらびやかかつ優しい笑顔を見ていると、早く校内で会ってみたいと思えて、メンタルを持ち直すことができたから。

 学校案内パンフレットの中にもあの女子生徒はたくさん載っていた。学校行事を楽しむ姿も、修学旅行らしき写真も。いずれも弾けるような笑顔でカメラを向いていて、こんなふうに笑いかけられるクラスメイトは最高に贅沢だと思った。

「こんだけ美人なんだし、そりゃ広告効果期待して使いたくもなるよなぁ」

 結局それはオレにとって絶大的効果だったがために、こうして慈み野の制服に腕を通す人間がここに一人増えたわけですが。

 爽やかな青をベースにしたグラフチェック柄の制服は、身に着けるだけで簡単にお上品で洗練された人間になれてしまう。土まみれのじゃがいもも、綺麗に洗って皮を剥いて油で揚げれば、みんながこぞって手を伸ばすフライドポテトになるようなものだ。……ちょっと例えがヘタクソか。

 男子はブレザーにネクタイ、女子はセーラータイプに大きめのリボンだ。夏服も冬服も、なんとかっていうデザイナーがデザインしたらしい。だからはっきり言って、この枝依えだより市内の高校で一番オシャレなんじゃないかと思う。あくまでオレ個人の感想だけれど。

瀬尾せおたけるです。一六八センチ、五三キロ。伸び代充分のハツラツ男子です。春休みからもう慈み野のバド部で活動始めてるので、先輩たちから新入部員の勧誘を託されてたりします。一緒にバドミントンやりたい人は、是非オレに話しかけてくださーい」

 クラス内の第一印象は『落ち着いている』一択だった。

 予測はしていたけれど、学力パッパラパーなオレと比べればみんな知的でなんでも出来そうに見える。まぁ慈み野高校は『元女子校』ではあるし、やはりそういった校風の名残りかなにかが、厳選された相応しい人たちを引き寄せるんだろう。

 自分の異端さをチクチクと感じていると、オレは早々にクラスのムードメーカーになってしまった。オレ以外に若手お笑い芸人みたいなノリの人がいないので、オレの何気ない発言ひとつでクラスが簡単に笑ったり、予想以上に盛り上がったりする。これ自体を嫌に感じたわけではないけど、あまりの笑いの沸点の低さに「これでいいのか?」という気持ちがついてまわっている。まぁ、クラスメイトたちには内緒だ。

 で。肝心のあの女子生徒のことだが。

「あぁ、3Aの高城たかしろだよ」

「高城センパイ……」

 そう。彼女は三年生だった。オレとは二個差、それだけでなんだかものすごぉく大人って気がする。

 オレは部活終わりのとあるタイミングで、鞄に忍ばせていたクリアファイルを手に先輩二名のところへ彼女のことを訊ねに行った。

「お二人とも、高城先輩と同じクラスだったり仲良かったりしますか?」

「いやー、俺ら違うクラスだし、仲良いかって訊かれたら違うなぁ」

「まぁな。で? 高城がどうかしたわけ?」

「いえ、どうってこともないんです。もしかしたらもう卒業しちゃってたりして……と思ってたんで、早く確認したくて」

「はぁーん? なるほど。中学三年生の瀬尾クンは、このポスター写真の高城に惹かれたってわけかぁ」

「こんな大事にオープンスクールのチラシとパンフレットを持ってるくらいだもんな?」

 バド部の先輩たちからズバリ言い当てられた。だがオレは笑顔で大きくガクンと頷く。

「あは、ぶっちゃけそうっス!」

 だって本当のことだ。彼女の所在がはっきりするまでは、クリアファイルに綴じたB5大ポスターと学内パンフレットが、唯一の心の支えみたいなものだったんだ。

 部活が始まれば仲良くしてくれる先輩たちができる。そこから情報を得て、後日直接会いに行くと計画していたんだから、今更否定したって仕方がない。なにより、彼女がまだ在校生でよかった。入れ違いだったらと思うと正直ひどくヒヤヒヤしていたんだ。

「どぉーしても高城先輩と一回直接喋りたいんスけど、3Aまで会いに行ったら話せますかね?」

 くもりなき眼のオレへ、しかし先輩たちは苦笑いで顔を見合わせた。……あれ? なんでそんな感じ?

「いや、教室突撃トツはやめといたほうがいいと、俺は思う」

「同じく」

「なんでっスか」

「なんでって。なぁ」

「うん。まぁ、うーん……」

 異様に歯切れが悪い。ハッキリしないのは性に合わない。

「先輩たちからどうにか取り次いでもらえねっスか? まずは三分もかかんねーくらいの間喋れたらいいんです」

 入学間もないオレにはこの学校での人脈がないから、突破口は自分の足しかない。自分でズカズカ近付くしか方法はないのだ。いろんなものをかなぐり捨ててここまで来たというのに、今更回れ右もできない。

「だったら――」

 一人の先輩がコソコソ話のように声を小さくする。

「――土曜の午後連の前に、三階の『デン』の前に行ってみな」

「……でん?」

「うん。そんときなら高城もさすがに一人だろうし、セーフかもな」

「高城に会いに行くの、あんま他人ひとに言いふらすなよ? で、俺らから聞いたってことも内緒な?」

 言い方的に、人の目があるところで高城先輩とコンタクトをとるのは避けた方がいい、ということだろうか。

 わかったことと引き換えによくわからないことが追加されたけれど、ひとまず前進のオレは「ありがとうございます」とお礼を言った。


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