他人を父親と呼んだ日

抹茶ラテ

現実ってのはどうしてこんなに辛い

 本当の父親は既に死んでいる。だから今、目の前で母と一緒に笑って買い物をしているこの人は本当の父親じゃない。


 死んだ父を見送った母は気がつけば目の前にいるこの男と一緒にいた。そして、あっという間に再婚までしてしまった。目の前にいるこの男は書類上では確かに父親だ。まだ父親になって半年しか経過していないという注釈が付くが。


「悠木……くんはどうする? 今日、何が食べたい?」


 俺の名前を詰まりながらも呼ぶこの人は無理をしている。だが、この人なりに俺との距離を詰めようとしているのは分かる。邪険に扱うことは出来ない。それに、邪険に扱って母の機嫌が悪くなるのもごめんだ。向こうが喜ぶような返事をしなければ。


 こういう時のデフォルトはもう知っている。お互いが不快にならないライン。そして、踏み込めないライン。幸か不幸かそのラインを見極める能力は既に獲得している。


 この能力はとても便利だ。自分に嘘をつくだけで相手は喜ぶ。その嘘さえも相手は見抜けないんだからバレることもない。この人と母親の関係を補強する添え木に徹するだけで俺は他に何もしなくて良い。とても簡単で吐き気がする。


「うーん……。オムライスとか、ハンバーグとかどうかな?」

「それで良いの? もっと違うのでも良いんだよ?」

「そうよ。オムライスとかハンバーグなんていつでも作れるのよ。お父さんがこう言ってるんだから遠慮したら逆に失礼よ」

「けど、それが今食べたいから。それ以外は思いつかないかな」

「なら今日はオムライスにしようか。でも、いつものオムライスじゃちょっとつまらないでしょ? だから今日のオムライスはいつものとは違うのにしてみよう。知枝。あとでいつも作ってるオムライスのレシピ、教えてくれないかな?」

「勿論。というか。貴方が作るの?」

「ダメかい?」

「そんなことないけど。私の立場が無いじゃない」

「任せっぱなしじゃ俺の立場も無いさ」


 失敗かと一瞬考えたが、これが正解だったみたいだ。簡単な料理ならきっとこの人が作ると考えたから手軽に作れるものを挙げた。それに、違ったとしても母が作ろうとする物のハードルは幾分か下がる。あまり料理が上手でない母に難しい料理はさせたくない。失敗したときのリカバリーはとても面倒だし。


 さっき母が言っていた「遠慮したら逆に失礼よ」という言葉を真に受けてはいけない。この言葉を真に受けて遠慮なく食べたいものを伝えた弟はこの人が帰宅した後に母に叱られていた。その場に俺がいればそんなことは起こさせなかったが、タイミング悪く外にいた俺は何も出来なかった。だから今回、弟は家で待機させている。


「買うものも買ったし、帰ろうか。悠木くん」

「そうだね。


 心にもない言葉を吐く口に石を詰め込みたくなる。死にたくなるほどの自己嫌悪が沸々と体に浸透していく。泥でも血でも良い。今すぐにこの汚れ切った口を漱ぎたい。


 父さんと呼べる関係性でもないのに、父さんと呼ばなければいけない。


 本当の息子でもないのに本当の息子のように演じなければならない。


 それを良しとしようとするアンタが嫌だ。それに乗っかっている俺も嫌いだ。


 ああ。とても気持ち悪い。美しさとは程遠い。醜い。


 お互いが距離を取り合いながらも手を取り合う? 残念ながらそんな美しいものは存在しない。片一方が汚れていくだけ。もう片方は綺麗なまま徐々に、徐々に近づいてくる。


 その行進が恐ろしい。父と息子の関係なんて築きたくない。叶うのであれば離れていてほしい。俺にはアンタとの関係性なんて必要ない。アンタが築くべきは母親との関係だけ。それ以外にはない。


 俺の父親は死んだあの人だけだ。父親を塗り替えられるのは御免だ。だから進まないでくれ。俺の思い出を侵食しないでくれ。


 暴発しそうになる舌を無理矢理固めている俺を余所に母とこの人は俺には聞こえない声で何かを話している。


「知枝。その……もう言っても良いんじゃないか? 悠木君ならきっと喜んでくれるだろうし、きちんと伝えるべきだよ」

「……そうね。何時までも隠しておけることじゃないし、伝えるなら早めに伝えた方が良いよね」


 トイレに駆け込みたいのを我慢している俺の横で緊張した面持ちで母と話している他人は、覚悟を決めたのか俺の目を見つめゆっくりと話し始めた。


「悠木君。その、俺が家族になった時どう思った?」

「嬉しかったですよ」

「それは家族が増えて? それともその……俺が父親になったから?」

「どっちもです」


 父さん。俺を殺してくれ。今晩化けて出て来ても良い。俺をどうか、殺してください。


「悠……」


 何故か感動している母親は目に浮かんだ涙を手で拭っていた。今のどこにお涙頂戴のシーンがあったのか。全く理解できない。


「それなら君も喜んでくれると思うな」

「?」

「えっと……」

「なに照れてるのさ? 悠もこう言ってくれたんだから早く伝えよう?」

「そうだね。よし! ……悠木君。!!」

「……」

「悠?」「悠木君?」

「それは……嬉しいな」


 さて、これ以上の地獄はあるのでしょうか?


 信じてもいない神様。いつの日か殺しに行きます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

他人を父親と呼んだ日 抹茶ラテ @GCQ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ