第6話 桜

「……この学び舎に誇りを持って、心身共に成長していくことを誓います」


 読み終えた。やっと終わった。ササッとパンフレットを畳んで、大層立派なことをしている風の動きで校長に手渡す。校長は気を使ってくれたのか、ササッと胸ポケットにパンフレットをしまってくれた。グッジョブ。


 拍手に包まれながら、踵を返して壇上を降りる。遠目にお母さんが見えた。お母さんは顔をピンクのハンカチで隠すようにして椅子の上でうずくまっている。


 はたから見たら、娘の晴れ姿に感無量で涙を流す良き母親に見えるかもしれない。しかし私は知ってる。


 お母さんは私のこの醜態を見て笑っているのだ。ぷるぷる震えてやがる。あのハンカチが無かったら大声をあげてこちらを指さして笑うんだろうな。お母さんがいつもあのハンカチを持ち歩いてて良かった。




「いやいや、あれは無い! あれはおかしい! あははっあはははっゲホッゲホッ!」


「咳き込むほど笑わないでよ。結果的に何とかなったんだからいいじゃんもう許してよ」


帰り道、お母さんは私の背中をバッシバシ叩きながら大笑いしていた。


「あの窮地をよく乗り切りましたねぇ。さすがとしか言いようがないです」


「ねー! ほんと桜ってすごいよねママ!」


 お母さんよりも椿のお母さんの方が私のことを褒めてくれる。この人のしゃべり方はいつもふわふわしていて和む。椿のふわふわも、きっとここから来たのだろう。お母さんずが2人で話しながら前を歩き、並行して歩く椿が話しかけてくる。


「ねえーさくらー、この後暇なら遊ぼーよ。なんなら入学祝いパーティでもやろうぜぃっ!」


 椿はにこにこしながら親指を立てる。今すぐ私も親指を立てたかったけれど、我慢して拳を握る。


「ごめんね椿。私今日少し別のところ行きたいからさ、今日は遊べないや」


「ええええー!? えー…、じゃあまた今度絶対遊んでね。忙しくなるからって放置したら泣くからね」


「親友をそんなにぞんざいに扱うわけないでしょうが。明日は寝坊しちゃだめだよ。めっちゃ歩くんだからね」


 椿は眩しいほどの輝くにこにこの笑顔で


「まかせとけ!」と胸を叩いた。




 さて、親友の誘いを断ってでも行きたいところ。それは先程の不思議な店だった。


 改めて考えると、本当に変なお店だった。思い出すとまた怖くなってくる。しかしあの店員さんの笑顔は眩しかったな。一言だけでいいからお礼を言いたい。


 そう思って、スニーカーを履いて玄関を出ようとする。


「桜! どこ行くの? お昼ご飯は? せっかくだしお祝いしようよ。お寿司食べちゃう?」


 お母さんがキッチンからスーツを脱ぎながらひょこっと顔を覗かせて言う。すし…。


「ごめん。ちょっと長めのお散歩に行きたいから、お昼ご飯はいらないや。お寿司は夜ご飯がいい」


「そうなの? 椿ちゃんのとこ?」


「いや、ひとりでぶらぶら」


 お母さんは不思議そうな顔して頷いた。


「あらそうなの? 夜ご飯までには帰ってきてね。じゃあ気をつけて、あっ! スマホはちゃんと持っていってね!」


「はーい!」


 スニーカーのつま先でトントンと床を鳴らしながら、玄関を開けた。



「この辺だこの辺だ。……あれ?」


 私は先程の桜並木の通りに来ていた。しかしどれだけキョロキョロしても、先程の路地は見当たらない。


「うそだ。ここにあったのに!」


 路地だった場所はコンクリートの壁に覆われていて、選挙運動のポスターが貼られていた。


 おかしい。先程は確かにここにあった。私の記憶が間違うわけが無い。数時間でコンクリートの壁を建てるなんてことは出来ないはずだ。ポスターにだって年季が入っている。


 ならば消えた? それとも元々なかったものが出現した…? なにか条件でもあるのかもしれない。先程の私の状況はどんなものだったっけか。目を閉じて、さっき見た景色をもう一度見てみよう。



『ねぇ、桜あんた、鞄どこやったの?』


『ふふ、不思議そうな顔してますね。さぁ、小さな可愛いお客様。あなたは何をお忘れですか?』



 そうだ! 忘れ物だ。あの時私は鞄を忘れていた。ならば、忘れ物をすればあの店がもう一度でてくるのか…? 物は試しだ。やってみよう。幸いにも、いや、悲しいことに、私は忘れ物しかしない。


 ほら! スマホがポケットに見当たらない! 胸ポケットにも手にも見当たらない! 忘れてきた! さぁどうだっ!


 もう一度目の前を見つめる。すると、先程のポスターは消え去り、見覚えのあるステンドグラスがでてきた。さっき店から出る時に見たものだ。少し離れて監察をすると、それは扉にはめ込まれていることがわかった。左端に、丸いドアノブがちょこんと載っている、焦げ茶色の扉だった。少ししか見ていなかったけど、先程見た扉だ。本当に現れた。 でも、先程の路地じゃない。


 なんで?


 私は意を決して冷たいドアノブを掴み、扉を開けた。カランッと鈴の音がした。


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