忘れ物屋さん

野々宮 可憐

第一章 桜

第1話 桜

 日本には『サクラサク』なんて言葉がある。


 本来、大学に合格した時に打つ電報に使われていたらしい。電報が無くなった今、『サクラサク』は試験や入社試験で合格した時に使われている。


 この通りにも、入学式に向かう新入生を祝福するかのように、目一杯の桜が咲いている。


 目の前にひらりひらりと散った桜が降ってきた。それを捕まえて、指先で摘み、声をかける。


「仲間だね」


 散った桜とは、私のことである。


「ちょっとさくら、何辛気臭い顔してるの。可愛い顔が勿体ないじゃない。うだうだ言ってないで、背筋を伸ばしなさい。入学式遅れるよ!」


「だってさぁお母さん。お母さんには分からないだろうよ。第二志望校っていう悔しさ。これから入学するんだって考えたらじわじわ悔しくなってきた」


「大丈夫大丈夫。なんだかんだ言って気に入るよ。案外そういうものだよ多分」


 お母さんは適当な慰めを投げて、スタスタ歩く。置いてかれないように少し歩数を増やした。


「お母さんは第一学園のことかなり気に入ってるけどね。偏差値も高めで部活もしっかりしてて、文武両道でしょ。あ、もしかして学費のこと気にしてる?」


「気にしてない。だって私、特待生で受かったじゃん」


 そうだった、優秀だったとケラケラ笑うお母さんに少し呆れて、歩幅を広くしたけれどお母さんはなんでもないように着いてくる。それが癪に障る。


「大丈夫だってば。お友達もできるよきっと。同中出身の人っているの?」


「前も言ったよ。椿だけだってば」


「そういえばあんた椿ちゃんと一緒に来なくて良かったの? せっかくの入学式なのに。また喧嘩?」


「違う! 私たちが早く来すぎてるだけなの。代表挨拶の打ち合わせあるから。昨日は一緒に行くって椿張り切ってたのに、寝坊したんだよあの人」


 足元にあった石を蹴飛ばす。案外遠くまで飛んで草陰に入っていった。


「そんなピリピリしなくていいじゃないの。せっかくの入学式なのに……。逆に第一の何が嫌なの? 頭も良くて部活も良くてお金がかからないなんて、しかも私立だから校舎が綺麗! 椿ちゃんもいる! もしかして第五よりもいいんじゃないの? というかこの会話何回目?」


「良くない良くない。遠いし、あと嫌な校則というか制度がある。椿がいるのが唯一いいポイントだよ。そしてこの会話は十七回目!」


「校則? ……あー、あれか。あんたが第五落ちた理由を知ったら、退学させられそうなあれか」


「入学した途端に退学させられたらどうしよう。退学RTAなんて挑戦したくないよ」


「そこまで厳しくないでしょ。なんだかんだ救済措置あるってたぶんきっと」


 こうお母さんが言った後、ピタッとお母さんの動きが止まった。嫌な予感が背中を這う。


「ねぇ、桜あんた、鞄どこやったの?」


 バッと背中に手をやる。触れるのは皮ではなくてザラザラとした手触りの制服だった。嘘でしょ……。


絶句する私を前にお母さんはため息を吸って腕時計を見た。


「桜、入学式は十三時からなのね。受付は十二時四十分から。今の時間は十二時ちょっと前。あと二十分位で学園につく。ここに来るまでに歩いて二十分かかってる。全力疾走なら間に合う。打ち合わせに間に合うかはわからないけど。言いたいことはわかるね? お母さんは門のところで待ってるから。自分で蒔いた種は自分で回収しなさい」


「はい! わかりました行ってくる!」


 ピカピカの革靴をすり減らす勢いで駆け出した。流石うちのお母さん、対応が慣れてるなぁ、でもこんな時位タクシーとか呼んでくれてもいいのになぁ……。とにかく走るしかない。めいいっぱいの力を足に込めて地面を蹴る。


 荷物を持っていないので体が軽い軽い。こんなに軽いのになんで気づかなかったんだろ。お母さんもなんで気づかなかったんだよ。


 入学式に向かうのであろう同じ制服を身にまとった新入生とその保護者の視線を奪いながら走る走る。きっとあとで目撃者達に「めっちゃ走ってたけどなんで?」って聞かれるんだろうな。でもそれがきっかけで友達ができるのならいっか。





 やはりというかまさかというかなんとというか、私の受験期でごっそり落ちた体力はそう長くもたなかった。肩で息をしながら膝に手を着く。というかお母さんの言う全力疾走って誰のだよ。運動会とかあんまり来られなかったから私の実力ご存知ないだろ。


 よろよろ歩きながらこれからのことを考える。


 遅れたらどうしよう、私新入生代表挨拶やるのに。これ間に合うか? いや間に合わせるしかないか。お母さんにまた迷惑をかけるのか?いや、もう迷惑とすら認識していないか。高校に行っても、何も変わらないままなのか。


じわりとぼやけた視界に、何か綺麗なものが写った気がした。顔を上げると、シャボン玉みたいなものがふよふよ吹いていた。


「……何これ?」


 触ろうとするとすっと避けられた。風なんて吹いていないのに。よく見るとシャボン膜ではない。でもガラスでもない。なんだこれ。


 透明な玉は暗くて狭そうな路地に入っていった。こんなところあったっけと気になって少しだけ後を追うことにした。


  路地の中はやっぱり狭かった。奥の方が暗くて見えなくて不気味だった。気づけば透明な玉がどこかに行ってしまっていた。


  瞬間、ピンッと糸に引っ張られたような気がした。脳は指示を出していない。なのに足が動く。動く。私が履いているのは赤い靴じゃなくて革靴なのに。


 足は見えない路地の奥へ向かう。光が遠のいていく。なんだなんなんだと混乱していたら何か黒い影が私を横切った。人影だったので助けを求めようとしたら、影の主は見えなかった。怖い。漠然とそう思った。


 上半身が反抗しても、下半身が言うことを聞かない。なになになになんなのなんなのこれは。戻れないどうしようどうすればいい。お母さんお母さんお母さん……!


 後1歩で真っ暗に足を踏み入れる、絶望の瞬間に横からカランと鈴の音がした。と思ったらガッと腕を掴まれた。大きなその手は、私を扉の先に引きずり込んだ。


 またカランと音が鳴った。

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