第196話 人の弱さを突く嫉妬の大罪と、そういうのはいいからイベント邪魔すんなと出てくるはづきっち伝説

 心のなかに、嫉妬の気持ちが無かったとは言えない。

 だって、彼女は誰よりも近い人だったから。


 カンナ・アーデルハイドがデビューする前に出会ったその少女は、とても危なっかしくて、思わず手を差し伸べたくなる存在だった。

 妹みたいだと思って付き合っていくうちに、彼女は超一流配信者への道を駆け上がり始める。


 あれっ、と思う。

 いつの間に、彼女はあんなに先を進んでいたのだろう。

 ずっと少し後ろをついてきてくれていると思っていたのに。


 ダンジョンハザードで、企業案件で、夏休み配信で。

 彼女はどんどん高みに至っていく。


 焦りが生まれる。

 ようやくデビューしたのに、追いつけない。

 彼女が速い。

 あまりにも速すぎる。



 嫉妬の気持ちを抑え込むので必死だった。

 妬むなんて、醜いことだと思っていたから。


 必死に抑えて、取り繕って……。

 だけど彼女が近くにいると、嫉妬は不思議と消えてしまう。

 彼女がそばからいなくなると、また湧き上がってくる。


 この黒い感情が嫌だ。


 だから自分は、自分のペースで一歩一歩進んでいくのだ。

 そう誓った。

 そのための機会がやって来た。

 それがVR追儺。


 チャンスを掴んだ。

 オープニングイベントのサポーター。


 ここから私は、大きく、高く羽ばたくのだ……。


 それなのに。


『あはっ』


 新たに拡張された総合ロビーから、声が聞こえた。


『美味しそうな嫉妬のあなた、また戻ってきてくれたんだぁ。狙い通りだなあ』


 それはまるで、ロビー全体に響き渡るような。

 いや、それはインターネットの海の中から、そこに突き立つロビーの支柱を伝って漏れ出た声だ。


「な、何……」


 思わず呟きが漏れ出た。


「カンナ?」


 同僚の水無月ミナが不思議そうな顔をする。

 聞こえていない?


 だが、同じく仲間の卯月桜が腰に佩いた太刀に手を伸ばした。


「カンナが聞こえたんなら、何か来るんでしょ」


 周囲のギャラリーがざわつき始める。

 トライシグナルの三人が、臨戦態勢に入ったからだ。


 ライブダンジョンの配信者たちも、それを見て各々の装備を取り出す。


 何かが起ころうとしている。

 その空気が、会場に伝播し始めた。


 そこに大きな異変が起こる。


 総合ロビーがフリースペースごと、傾き始めたのだ。

 僅かな傾きが、滑り台ほどの角度まで大きく変化していく。

 とても立ってはいられない。


『えっえっえっえっ』『うわああああああ』『ぎゃぴいいいいいい』


 急な坂道になった総合ロビー目掛けて、ギャラリーがどんどん転げ落ちていく。


『嫉妬がいっぱい! いっぱい、いっぱい! そうだよねえ。みんな悔しいよねえ! だって先を行ってる奴らはずるいもんねえ! 自分より多くの物を持ってるやつはずるいもんねえ! うんうん、分かる、分かるよぉ! レヴィアタンはみんなの味方だよぉ!!』


『ウオーッ、レヴィアタン様がカッとなって作戦を早めたぞー!』『しゃあねえ、俺らも破壊工作すんべ』『よっしゃよっしゃ、キラキラしてる奴らをぶっ飛ばすべ』


 ギャラリーの中から次々と、デーモン化する個体が出現する。

 嫉妬の大罪レヴィアタン。

 彼女はずっと待っていたのだ。


 あえて隙を設けて、人間たちが己の餌場の上に楼閣を築くのを。

 そしてそこに、美味そうな感情をたたえた餌が大量にやってきた。


 レヴィアタンの手勢が次々姿を現す。

 ギャラリーのうちの、なんと一割が大罪の手の者。

 そしてイベントを眺め、嫉妬を抱えていた者たちがデーモンへと変じていく。


「まずい、まずいまずいまずい! こんなの、スケールが大きすぎる……!!」


 カンナは叫んでいた。

 近寄るデーモンを、魔法で牽制する。

 トライシグナルの仲間たちも、協力してだ。


 だが相手は強い。

 たった一体のデーモンでも容易に退けられない。

 なのに、そいつらはどんどんと増えていく。


 当然、周囲の総合スペースへ滑落していく人々を助ける余裕なんて……。


(だけど、はづきちゃんはこいつらを次々やっつけて)


 心の中がちくりと痛む。

 小さな嫉妬が生まれる。


(ダメだ、ずるいなんて思ったらダメだ。そんなの、良くない感情だ)


 これを嫉妬の女王は見逃さない。


『熟成された嫉妬、隠された嫉妬! 美味しそう! 最高……! あなたがここに来て本当に良かったわあ、カンナ・アーデルハイド!!』


 その呼び声とともに、突然、総合ロビーの前部がまるごと巨大な顎にかじり取られた。

 先にいたのは、信じられないほど巨大なウミヘビ。


 そして真っ黒なインターネットの海。


 ギャラリーの人々がこぼれ落ち、あるいはレヴィアタンに飲み込まれていく。


「そんな……そんな……! わ、私がこいつを呼び寄せたの……!? 私のこの、汚い気持ちが……! みんな、私に巻き込まれて……!」


「カンナ! しっかりして! デーモンの言うことに耳を貸さない!」


「そうだよ! 今は戦いに集中!」


「う、うん……!」


 どうにか頷く。

 その耳に届く、「あちょー!」という聞き慣れた声。


 それと同時に、フリースペースの傾きが無理やり戻された。

 一拍遅れて広がる、ピンク色の光。


 カンナの視線は、自分のリスナーたちが必死に床にしがみついているところへ向いていた。


 そこでただ一人立っている女の子がいる。

 一般アバターで、誰とも知れない。

 だけど、手にした輝く棒を見間違えるはずがない。


 ゴボウだ。

 彼女がいた。


 彼女が私を見に来ていた。


「は、はづきちゃ……」


『こっちに来なさい、カンナ・アーデルハイド!!』


 ウミヘビが咆哮した。

 叫びがロビーを、フリースペースを吹き荒れる。

 

 カンナは衝撃波となったそれに体を煽られ、態勢を崩していた。


 仲間たちは無事。

 自分だけが意識を他に割いていたから、耐えられなかった。


「あっ……」


 吸い込まれていく。

 レヴィアタンの元へ。


『あはははははは! 来たわね! 最高の嫉妬の味! 黒い感情を溜めておけば溜めておくほど、熟成されて味わい深くなるの! 私はもう、他人の嫉妬の味をテイスティングするのが大好きになっちゃって! あ、結界を張るわ! あはははは! 大罪もどきの力じゃ超えられない結界を! さあみんな、私の故郷まで帰りましょ! リヨンでじっくり、あなたの感情を楽しませてもらうわ!』


 終わりだ……!

 カンナは絶望する。

 自分が黒い感情を抱いていたから。


 だからこいつに付け込まれて……。

 でも、はづきちゃんがフリースペースを立て直してくれて良かった。


 やっぱり彼女は凄いな。

 とても勝てない。


 私も、彼女みたいになりたかったな。


 どこまで続く、インターネットの海への滑落。

 底なしの真っ黒な海へ落ちていく流れは、闇色の瀑布だ。

 自分を睨め回す巨大なウミヘビは、ぬるりと動きながら周囲を包んでくる。


『一口くらいいいわよね』


 ウミヘビの頭上から声がした。

 そこに、女の上半身が生えている。


 真っ黒な翼と、捻じくれた巨大な角を持つ白人の女だ。


『いただきま』


「あちょっ!」


 間の抜けた声がした。

 真っ黒なインターネットの海が、まるで一昔前のポリゴンのように、荒い粒子となって砕け散っていく。


『ほい! 僕の力で道を開いたのだ! こんなこともあろうかと、嫉妬勢に紛れ込んでインターネットの海で密漁してた甲斐があったのだ! ちなみにこれはうぉっちチャンネルときら星はづきさんのチャンネル、それとなうファンタジーさんの公式で生配信中なのだ! よろしくなのだー!』


 宣伝するような声が響き渡る。


『あの緑色のガキ、スパイだったのか!!』『妙に強大なオーラを放っていたと思ったら!』『何か来るぞ! む、迎え撃て!』『えっ、丼……!?』『丼が展開して……中から丼パーツを翼にした体操服の女の子が!!』『日本人の女子!? カワイイ!』


「は……はづきちゃぁぁぁぁぁん!!」


 カンナは叫ぶ。

 彼女が来た。

 来てくれた。


 どうして、何のために?

 きっと、さらわれた人たちのために……。


「うおー! 愛のために、カンナちゃんのために! わ、た、し、参上!! こんきらーーーーーーー!!」


 きら星はづきの叫びが、カンナの胸を貫く。

 私の、ために……!!


 勝つとか届かないとか、どうでもいい!


 私は、カンナ・アーデルハイドは彼女の中に強く焼き付いているんじゃないか。


 そして。

 丼ウイングの女子高生配信者が、インターネットの海に降り立つ!

 それと同時に、接触した海が真っ二つに割れた。


『う、うおおおおおおおお!! デタラメ! デタラメなああああああああ!?』


 吠えるレヴィアタン。

 向かい合うは、のっそりと立ち上がったきら星はづき。

 目が据わっている。


「こんなはづきちゃん、初めて見る……」


 そう。

 きら星はづき、マジおこである。


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