The wolves in the dream

篠目薊

第1話

プロローグ

 

 少年は連なる建物の間を駆けていた。今は夜だ。周りはもうやみに沈んでいる。時折ビルとビルの間から漏れてくる屋台の光だけが頼りだった。おぼつかない足元と、もとよりそんなに持ち合わせていない体力が原因で、息は上がるし幾度となく転びかけた。しかも後頭部が酷く痛む。先ほど確認したところ、大きな切り傷が走っていた。幸い深くはなかったものの、血は未だ止まっていなかった。痛い。頭が痛い。ていうか、全身が痛い!!しかし今は転べない。時間は一秒たりとも無駄にできないのだ。それに、少年は今一人きりで走っているわけではなかった。少女を一人、右肩に背負っていた。少年より年下の少女だ、幼女と言っても通じるかもしれない。彼女を背負っている限り、転んで怪我させるような真似は絶対したくなかった。その彼女が、無機質な声で告げる。

「そこを左、曲がったら三つ目の角を右」

 少年は言われた通りに角を曲がった。そのまま一つ、二つと右側の黒い口を開けている路地を数え、三つ目の曲がり角で同様の暗がりに飛び込む。そこは、真っ直ぐな通路であった。どこまで続いているかは分からない。なおさら、入ってくる光が少なくなる。一瞬足がすくんだが、なんとかこらえ、止まらず駆け続ける。

「もうすぐ階段がある。見つけたら、上って」

 少女が言った通り、しばらく走ると階段の手すりのようなものに触れた。周りにはほぼ明かりがなく、何も見えないと言っても過言ではない。だから、あくまで「手すりのようなもの」なのだが。しかし、ぼんやりと見える登り切ったであろうところは完全に闇だ。登るのを躊躇した、その時。

「待ちやがれゴラァ!!」

「どこ行きやがったあのクソガキ!!」

 怒声が今しがた来た道の方から聞こえてきた。少年は身震いした。

「やば……」

 暗いことなど関係なかった。今はただこの肩の上の少女と共に逃げるだけ。

「逃げて」

 背負った彼女が静かに言う。少年は止まりかけていた脚をフルに回転させ、猛烈に階段を駆け上がりだした。

 何を隠そう彼らは今、追われているのである。しかし理由も無しに追いかけられているというわけではない。少年は追っ手から、あるものを盗んできたのである。食べ物か?金か?どちらでもない。少年が獲ってきたものは、今、彼に担がれている……あの、少女であった。

 では追っ手は何者か?

「なんだあいつら……人間か?」

 少年は思わず、と言った調子でつぶやいた。息が切れているので、本当に極々小さな声での呟きだったのだが、それに律儀に答えた少女の返答は、ひどく簡素なものであり、またひどく異様なものであった。

「あれは、鬼」

 何気ない調子で発されたので、一瞬聞き逃してしまいそうになるほどだったのだが、聞き逃すわけにはいかなかった。

「……マジで?」

「うん」

 返答が簡素すぎる。

 追っ手が鬼なら、まさしくこれは、本物の鬼ごっこ。捕まったら何をされるか分からない。よって、捕まるわけにはいかない。

 彼らは更なる闇へ身を躍らせた。

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